第13話「盤面を、ひっくり返す方法」
三日間、レンはほとんど部屋にいた。
クエストには最低限だけ出た。生活費を確保する分だけ働き、残りの時間を全て思考に使った。研究ノートが一冊、埋まった。
問題の構造を整理するところから始めた。
魔法師ギルドは圧縮詠唱理論の審査権を持っている。審査期間は三ヶ月から半年。その間、理論の公表も伝達も禁じられている。違反すれば王都の法廷に持ち込まれる。
正面から戦えば負ける。組織対個人で、しかも相手は王家と繋がっている。法的手段も使えない。魔法師ギルドが審査権を持っている以上、審査の場でも主導権は相手にある。
では、どうするか。
レンが出した答えは単純だった。
土俵を変える。
魔法師ギルドが権威を持つのは、魔法の理論と教育の分野だけだ。商業、医療、農業――それ以外の分野には、別の権力軸がある。圧縮詠唱理論を「魔法の新理論」として扱う限り、魔法師ギルドの管轄になる。
だが別の角度から見れば、これは「効率化技術」だ。
魔力消費を三分の二に削減できる技術は、魔法師だけでなく、魔法を使う全ての人間にとって価値がある。商人、貴族、軍人、農民。魔法ランプの燃料費が三分の二になれば、商人は利益が増える。魔法農具の消費魔力が減れば、農村の生産性が上がる。
経済的価値として提示すれば、管轄は商業ギルドか貴族の経済部門になる。
魔法師ギルドの審査権が、及ばない領域だ。
三日目の夜、レンはカイを呼んだ。
テーブルに紙を広げ、設計した戦略を説明した。カイは黙って聞いた。途中で一度だけ「続けろ」と言った。
説明が終わると、カイは腕を組んだ。
「この村の商人ギルドに接触するつもりか」
「まずここです。小さくていい。実績を作ることが目的です」
「商人ギルドが圧縮詠唱の価値を認めたとして、次は」
「王都の商業貴族に繋げます。魔法効率化技術の特許に近い概念をこの世界に持ち込む。技術の使用権を売る形にすれば、利害関係者が魔法師ギルドの外側に生まれます」
カイは少しの間、考えた。
「利害関係者が増えれば、魔法師ギルドも封じにくくなる」
「はい。審査を突破するのではなく、審査の意味を消す。技術が経済に組み込まれれば、止めることのコストが便益を上回る。そうなれば魔法師ギルドも動けなくなります」
「商人は信用できるか」
「信用ではなく、利益で動かします。信用は後から作るものです」
カイはレンを見た。
「お前、本当に二十四歳か」
「来月で二十五です」
「この世界に来て何日だ」
「十四日です」
カイは静かに息を吐いた。感嘆ではなく、何か別の感情が混じっていた。
「俺には思いつかない発想だ」と彼は言った。「騎士の訓練では、問題に対して正面から力で当たることを教わる。迂回する発想が、根本的に欠けている」
「あなたには戦う力があります。私には迂回する理由があります。お互いに持っていないものを持っている」
「それが協力する理由か」
「そうです」
翌朝、レンは村の商人ギルドへ向かった。
冒険者ギルドより小さな建物だった。看板に天秤の紋章。扉を開けると、帳簿の匂いがした。受付には中年の男が一人いた。
「冒険者ギルドのFランク登録者ですが、商業的な相談をしたいのですが」
男はレンを上から下まで見た。「商業的な相談、とは」
「技術の売り込みです」
「技術。魔法関係か」
「魔力消費効率化技術です。現行の魔法消費を最大で三分の二に削減できます」
男の目が変わった。
商人の目だった。利益の匂いを嗅いだ瞬間の、あの目の動きだ。レンは同じ目を、地球のビジネス書の中で何度も読んでいた。
「話を聞こう」と男は言った。「奥へどうぞ」
商人ギルドの受付主任はトレードといった。
四十代、小太り、目が細い。愛想がいいが、笑顔の奥で常に計算している顔だった。レンは警戒を維持しながら、準備した説明を始めた。
「現行の魔法詠唱は、意味の核に対して修飾語が過剰についています。これを削減することで、同じ現象を起こすための魔力消費を削減できます。魔法ランプを例にとれば、現行の点灯詠唱は魔力消費が一回あたり五前後です。効率化詠唱なら三から三・五に落とせます」
「実証はあるか」
「私自身での実験データがあります。バルトというBランク魔法使いとの比較実験で、消費魔力が四十二から二十八に落ちました。三分の二です」
トレードは指を組んだ。
「バルト、というのは」
「この村のギルドにいる魔法使いです」
「知っている。あの男が認めた技術か」
「実験に立ち会ってもらいました」
トレードはしばらく考えた。
「魔法師ギルドとの関係は」
やはり、そこに来た。レンは準備していた答えを出した。
「現在、魔法師ギルドが魔法理論としての審査を行っています。ただし私が今日提案するのは魔法理論ではなく、商業利用可能な効率化技術の使用権です。管轄が異なります」
「その区別を、魔法師ギルドが認めるか」
「認めさせる必要はありません。商業ギルドが独自に技術評価を行い、使用契約を結ぶことは、商業ギルドの権限の範囲内です。魔法師ギルドが介入できる法的根拠はありません」
トレードの目が、細くなった。
「よく勉強しているな」
「必要なことは事前に調べます」
「魔法師ギルドが動いた場合のリスクは、こちらが負うことになる」
「そのリスクに見合うリターンを提示します」とレンは言った。「王都の商業貴族への紹介状を一通、用意していただければ、技術使用権の最初の契約はこの村の商人ギルドに優先して提供します。独占期間は半年。その間に上位組織との交渉を進めていただければ、利益の分配については協議します」
沈黙があった。
トレードは天井を見た。指で机を一度叩いた。
それから、レンを見た。
「お前、いくつだ」
「二十四です」
「どこで商売を学んだ」
「独学です」
トレードは少しの間、レンを見続けた。それからゆっくりと手を差し出した。
「話を進めよう。ただし条件がある。実演を見せろ。この場で、今すぐ」
「構いません」
レンは右手を前に出した。
光。小規模。前方。持続。
指先に、豆粒大の安定した光点が現れた。魔法ランプの代わりになる程度の明るさだ。消費魔力は一以下。
トレードはその光を三秒間、眺めた。
「魔力はいくつだ」
「十九です」
「十九で、これができるのか」
「効率化すれば、できます」
トレードは手を引いた。握手ではなかった。だが、断りでもなかった。
「一週間待て。王都の伝手を当たる。返答はその後だ」
「ありがとうございます」
ギルドを出ると、カイが外で待っていた。
「どうだった」
「一週間で返答をもらえます」
「上手くいったのか」
「まだわかりません」とレンは言った。「ただ、盤面には乗りました」
カイは空を見た。昼の空に、薄く月の影が見えた。二つの月が、白く霞んでいた。
「三ヶ月後まで、二ヶ月と二週間だ」とカイは言った。
「間に合わせます」
「根拠は」
「根拠はまだありません」とレンは答えた。「でも、諦める理由もありません」
カイは何も言わなかった。
ただ、並んで歩き始めた。
二人の影が、石畳の上に伸びた。




