第10話「地鳴りの正体」
地鳴りは、北から来ていた。
レンは足元の振動を感じながら、周囲の木々を観察した。幹が微かに揺れている。葉が一方向に傾いている。振動の発生源は、おそらく百メートル先。地中を伝わってくる周期から、移動速度は遅い。だが質量が大きい。
「カイさん、撤退の選択肢はありますか」
「ある」とカイは即答した。「ただし」
「ただし?」
「この森の第三区画は村への水源に近い。魔力脈が乱れたままだと、水源の魔力濃度が上がり続ける。濃度が一定を超えると水が魔力汚染される。村人が飲めなくなる」
レンは一瞬で計算した。
「だから緊急指定だったんですか」
「ああ。調査だけじゃなく、原因を止める必要がある」
依頼書には調査とだけ書いてあった。だが現場に来なければわからない情報がある。カイはそれを知っていて来た。事前に調べていたのだ。
この男は、思った以上に頭が動く。
地鳴りが近づいた。木が一本、遠くで倒れる音がした。
「見てから判断しましょう」とレンは言った。
カイは無言で頷いた。
それは木々の間から現れた。
四足歩行。体長五メートル。全身が黒い鱗に覆われ、背中に沿って発光する紋様が走っている。青白い光が、脈打つように明滅していた。
頭部が大きく、顎が発達している。目は二つだが、虹彩が縦に割れている。尾が長く、先端が球状に膨らんでいた。
レンは魔物を見た瞬間、思考が加速した。
発光する紋様。脈打つ周期。魔力脈の乱れとの相関。
この魔物が、魔力脈を吸収している。
紋様の光が強くなるたびに、地面の振動が変わる。吸収と放出を繰り返している。魔力脈を乱しているのではなく、魔力脈そのものを餌にしている生き物だ。
「名前はわかりますか」とレンは小声で聞いた。
「ヴェインイーターだ」とカイが答えた。声が、わずかに低くなった。「やばい。Cランク相当の魔物だ。俺たちの手に余る」
「弱点は」
「魔力紋様の中枢。背中の中央にある一番大きな紋様だ。そこを破壊すると魔力の循環が止まって機能停止する。ただし」
「背中に近づくのが難しい」
「近づく前に死ぬ」
レンは魔物から目を離さずに、頭を動かした。
正面から攻めるのは論外。逃げれば村の水源が汚染される。Cランク相当を二人で倒す必要がある。戦力差は絶望的だ。
だが、条件を整理すれば解ける問題かもしれない。
ヴェインイーターはまだこちらに気づいていなかった。
木の根元に溜まった魔力を吸収することに集中している。その間隔は、約二十秒に一度だった。吸収中は動きが止まる。その瞬間が、唯一の隙だ。
「カイさん、いくつか確認させてください」
「手短に」
「あの紋様の中枢、どれくらいの衝撃で破壊できますか」
「魔法で直撃なら一発。物理なら鉄の杭を叩き込む程度の力が必要だ」
「私の焦点化魔法では威力が足りない可能性があります。出力を上げる方法を今考えています。もう一つ、カイさんは跳躍力がありますか」
「人並み以上には」
「背中の高さまで届きますか」
カイはヴェインイーターの背中を見た。地面から三メートル近い。
「木を足場にすれば届く。ただしあの鱗に短剣が通るかどうか」
「中枢の紋様部分だけ、鱗が薄くなっているはずです。発光している箇所は組織が特殊なので、防御より機能を優先した構造になっていると思います」
「……根拠は」
「生物の構造上、エネルギーの出入り口は防御を犠牲にすることが多い。あくまで仮説ですが」
カイは三秒間、レンを見た。
「仮説で動くのか」
「他に選択肢がありません」
カイはゆっくりと息を吐いた。それから短剣を両手に持ち直した。
「わかった。続けろ」
作戦は単純だった。
レンが魔法で注意を引く。ヴェインイーターが向きを変えた瞬間に、カイが背後の木を蹴って跳躍し、背中の中枢に短剣を叩き込む。
問題は二つあった。
一つ目、レンの魔力残量は六しかない。注意を引くだけの魔法を使えば、おそらく残量がゼロに近くなる。その後は何もできない。
二つ目、焦点化魔法の威力がカイの短剣に届くかどうか、まだわからない。
どちらも許容するしかない。
レンは木の陰から出た。
ヴェインイーターが魔力を吸収する瞬間を待った。十秒、十五秒――紋様の光が強くなり、魔物の動きが止まった。
今だ。
火。大規模。前方。爆発。
新しい構文だった。実験では試していない。だが理論は組み立ててある。規模の指定を大にした場合、魔力消費は増えるが出力は跳ね上がるはずだ。
指先に熱が集まった。
普段の比ではない密度だった。胸の奥の炭火が、一瞬だけ炉になった。
火球が、握り拳の三倍の大きさで飛んだ。
ヴェインイーターの顔面に直撃した。
爆音がした。魔物が後退した。八つの目ではなく二つの目が、レンを捉えた。
怒りの唸り声が、森全体に響いた。
来る。
ヴェインイーターが向きを変えた。レンに向かって踏み出した。
その瞬間、木が揺れた。
カイが跳んだ。
三メートルの高さを、一息で飛んだ。短剣二本を逆手に持ち、落下の勢いを全て刃先に乗せて、背中の中枢紋様に叩き込んだ。
ぐしゃ。
嫌な音がした。
ヴェインイーターが硬直した。紋様の光が、不規則に明滅した。青白い光が赤に変わり、全身に広がった。魔物が低い声で呻いた。
そして、倒れた。
地面が揺れた。木の葉が一斉に落ちた。
森が、静かになった。
レンは木の幹に背中を預けて、座り込んだ。
魔力残量を確認する。
魔力:E(1/500)
一。限界だった。指先が痺れていた。視界の端が暗い。魔力切れの症状が出始めている。
カイが近づいてきた。右腕から血が滲んでいた。着地の際に鱗で切ったらしい。それでも歩き方は安定していた。
カイはレンの隣にしゃがみ、倒れたヴェインイーターを見た。
長い沈黙だった。
「仮説は正しかった」とカイは言った。
「今回は」とレンは答えた。「次は違うかもしれない」
「次があるのか」
「この世界には、まだ知らないことが山ほどあります」
カイは少し考えてから、立ち上がった。手を差し伸べた。
レンはその手を掴んで立ち上がった。
握手ではなかった。ただ立ち上がらせてもらっただけだ。だがその手のひらの重さが、昨日までとは違うものに感じた。
「帰るぞ」とカイは言った。
「はい」
二人並んで、森を歩き始めた。
背後で、ヴェインイーターの紋様の光がゆっくりと消えていった。




