名前をつけよう
「本当に名前すら思い出せないの?」
涼風の心地よさに顔面が蕩けそうになるのを必死で堪えながら、改めてこの人物の詳細を紐解いていくことにした。警戒心はもう捨てた。
「うーん、頭の中に靄がかかってるみたいになるんだよね」
左斜め上の方向を見て、なんとか思い出そうと唸っているが、その努力は実りそうになかった。
「もうそっちが名前つけてよ。ぴったりなやつお願いね」
えー。めんどい。十五歳で人に命名する機会があるなんて思わなかった。
どうしよう。でも、変な名前にしても怒る人もいないし、不快になる人もいないから適当でいっか。見た目が幼いから、『幼』とか?
いや、それは良くない。カブるカブる。
「なんでもいいよー。第一印象とかから派生させてもいいし」
私がこの不審者に抱いた感情は、早く帰ってほしい。だったら───
「私にとって早く帰ってほしい人っていうことで、『私帰』ってのはどうすか?」
「シキ………」
何度も小さく「シキ」と顔を伏せながら繰り返して、その語感を確かめている。しっくりこないで突っぱねなれる気がした瞬間に、不審者はバッと勢いよく顔を上げた。
「シキ、あり!」
「おー良かった良かった。じゃあ、今日からあなたはシキね」
「そっちはなんて言うの?」
「私は倉石希乃。十五歳ね」
私の名前を聞いたら、シキは座っていたベッドからいきなり立ち上がって頬を赤らませて興奮していた。
「じゃあ、一緒だ!」
「一緒?何が?」
「名前に『シキ』ってあるの!」
「………?」
「ほら、くらいしきのって『シキ』が隠れてるじゃん!」
言われて初めて気がついた。苗字と名前を跨いでいることが原因かもしれない。
なんとなくシキとの繋がりがある気がして、なんか嫌だった。だって、不審者と共通点あるって、不審者に言われたらねぇ……。まあ、じきに慣れるか。
「そんなことよりも、家事手伝うって言ったよね?早速だけど、洗濯機回してきて」
「……????洗濯機って何?」
あー、こりゃダメだ。そうだよなー、名前すら覚えてない人が洗濯機の回し方なんてわかるはずがないよなー。ていうことは、家事はぜんぶ一から教えていかなくちゃいかないのか…………。
「これが洗濯機。洗剤入れて、ボタン押すだけ」
「音うるせー」
「これが電子レンジ。食品入れて、ボタン押すだけ」
「どこから火出てるの?」
「これがテレビ。リモコンのボタン押すだけで色々観れるから」
「この映ってる人たちってテレビに閉じ込められてるの?」
「これが電話機ね。受話器取って耳に当てて喋るだけ。『クライシキノ』ってここに書いてあるときだけ触っても良し」
「うぉー!耳元でキノの声がする!」
興奮しているシキを尻目に私は電話を切った。これで一通りは説明を終えた。キッチンについてはシキにどうこうさせる気はないので説明は一切せずに触らないように念押しした。
「それにしても、この世界すごいね」
私からしたら、手から風を生み出せる方がすごいんだけど。
「さっきのも今のも、全部キノが作ったの?」
「いや────」
否定しようとしたけど、口を閉じた。シキには、私が凄いってことにしておけばこれから反抗される心配もなくなる。魔法が使える方が凄いってことを気が付かれたら、調子に乗られて後々面倒になるかもしれない。
「まあ、私だけの力じゃないけどね。一応は私が作ったって言っても差し支えはないかなー」
「えー!スゲェーー!」
ほう、なかなかに気持ちが良いじゃないか。
「じゃあさ、キノはお金持ちなの?」
「うっ……」
こんな的確に急所を突いてくるとは……。意外にも侮れないのかもしれない。
「お金なんてそんなに必要ないんだよ。ただ、普通の生活が遅れて、将来にいろんな体験ができるくらいにあればいいんだ」
「いろんな体験?」
シキはキョトンとしたが、説明するのが難しそうだったし、何より私としても具体的なプランは何一つ定まっていなかったため、それを放り捨てた。
「それより、キノはここに一人で住んでたの?」
「……そうだよ。ずっと一人」
「家族は?」
「母親が一人いるよ。ほとんど仕事で帰ってこないけど」
「おとーさんは?」
「私が小さいときに死んじゃった。もう、写真越しでしか顔を知らない」
母はその埋め合わせをするかのように、懸命に仕事に励んだ。励みすぎて、娘の私よりもその優先順位が上がってしまったくらいに。
ただ、それに不満はない。母の稼ぎのお陰で私はこの家にいることができる。もう十五歳だ。一人で暮らすことなど造作もないのだ。
シキは「そっか……」と、最初は自分の知らないベッドの上でくつろいでいたくせに途端に居心地の悪そうな顔をした。
「寂しくないの?」
「もう全然。十年くらい今の状態だしね」
「そっか。でも、これからは─────」
シキはほとんどないに等しい胸を張って、
「楽しいだけの日々にしようね!」
と言ってピースサインをした。そのせいで私に風が来なくなった。
「扇風機係、業務を怠らないように」
「はーい」
なんの反応もしない私に不満気に頬を膨らませながら、また私に手をかざすが、一向に風を感じない。いくら待てど暮らせど、それが改善されることはない。
「扇風機係?」
「…………」
シキは両手を見つめている。そして、申し訳なさそうな顔で一言。
「ごめん、魔力が切れちゃった」
「………」
私はシキの側頭部に丸めた拳をあてがって、グリグリした。
「いたたたたたたた!ごめん、ごめんって!」
「なんのために一緒に暮らす決断したと思ってるの!もう意味なくなっちゃたじゃん!」
「そんなことないって!明日になればまた復活するから!」
「明日までに干からびて死んじまうわ!」
「だったら、死なないようにシキが頑張るから!グリグリやめて!」
私はため息を漏らして、両腕を下ろした。
いちにち数時間しか持たない不良品の扇風機を購入してしまったようだ。それもいつ終わるかわからないローンを組まされて。
「おりゃ!反撃開始!」
シキは怪我なんて気にしないように私に飛びついてきた。
「おりゃおり────うわ、汗すご」
「はっ倒すぞ」
誰のせいでこんなに汗だくになってると思ってるんだ。故障したエアコンのせいか。




