冷房器具の確保
「フォーク落としたので、新しいもの貰えますか?」
「はい、少々お待ちください」
「水こぼしたので、何か拭くもの貰えますか?」
「はい、少々お待ちください」
「ナプキンってありますか?」
「はい、少々お待ちください」
「ちょっと寒いので、空調の温度を下げてもらえますか?」
「はい、少々お待ちください」
「倉石さん、悪いんだけど私、休憩入るねー」
「はい、少々お待ちください」
「お姉さん、連絡先教えてよ」
「はい、少々お待ちください」
「だぁーーー!!疲れたーー!!」
高校生の一人暮らしには少しだけ広い1DKのダイニングに置いてあるベッドにダイブしながら、ストレスを発散するように声を出す。
なんで忙しい時に限って、あんなにものを落としたりこぼしたりするんだよ!それに、なんで忙しい時に休憩入るんだよ!謎に連絡先を訊けるまで待つ輩もいるし!
土曜日は平日よりも時給上げてよー。それに暑い日は酷暑手当も出てほしい。
エアコンのリモコンの冷房ボタンを押す。
ブワーっと風が送られてくる。
ふーー、涼────
「……あれ?」
全然涼風が来ない。リモコンには冷房と表示されているのに。
うんうん、なるほどなるほど。
「ふざけんなー!」
故障しやがった。人が死ぬくらいに暑いっていうのに、なんで機械のお前が先に死ぬんだよ。
時刻は夜の七時に近づいている。私はエアコンを切ってリモコンを乱暴に置いて、ベッドから身を起こして、キッチンへ向かう。どれだけ疲れていても、自炊はしなければならない。無駄な出費は避けなければならない。
「明日は買い物行かなきゃ」
隙間が多くなってきている冷蔵庫の中を見ながら、呟いた。
やだなー、買い物。休日はスーパーずっと混んでるし、次の行動が読めない小さい子供がうろついてるし。
冷蔵庫の中は涼しいなー。お前はエアコンよりも使えるな。
無意識に顔を突っ込んでいたことに気がついて、慌ててそのドアを閉める。
扇風機は持っていなかった。なくても今まで特に困ることがなかったのだ。
私は両耳にイヤホンを装着して、フライパンをガスコンロにセットした。
重てえーー。
食材が詰まったエコバッグを肩に担ぎながら、相変わらずの炎天下のもとを歩く。
昨日はなんとか水を飲んだり、氷を食べたりして熱帯夜を乗り切ったが、当然の如く睡眠時間は短くなり、その質も低下した。そのせいで寝不足気味になり、目の前の光景がときどき歪んで見える。
修理をお願いするのはヤダ。誰も家にあげたくないし、高いし。あとちょっと乗り切ればすぐに涼しい季節になる。でも、扇風機くらいは買おうかな?いや、でもなぁー。
そんな自問自答を繰り返しながら、自宅に到着した。
ドアを開けても、ちっとも涼しさを感じない部屋の中に足を踏み入れる。
冷蔵庫に買ってきた食材を詰めて、誘惑に負けてまた顔を突っ込んで、すぐに閉めた。
ベッド近くにある窓を開けようとしたところに、いた。知らん奴が。
私は声も出さずに、キッチンへ身を隠した。
なんかベッドの上にいる!?誰!?修理頼んでないよな!?
包丁を手に取ろうとしたけれど、戦闘になったときにそれを駆使できる自信がない。そもそもキッチンから包丁を持ち出す勇気すらない。
ピーラーを持って、鍋を頭に被せてゆっくりと距離を詰める。
私の気配を感じたのか、不審者はのっそりと起き上がって、口を開いた。
「………ダレ?」
「いや、こっちのセリフなんだけど」
不審者は寝ぼけ眼を擦りながら、危機感なく伸びをした。不法侵入者とは思えないほどのくつろぎっぷりだ。
「なんでここにいるの?どうやって入ってきた?」
私の質問に答えを探るように、不審者は辺りを見渡した。だが、返事は返ってこなかった。私はさらに尋ねる。
「名前は?」
「わかんない」
「年齢は?」
「わかんない」
「ここに来た目的は?」
「わかんない」
「わかんない以外の言葉は?」
「わかんない」
めっちゃ腹立つ!なんでこんなにわからないことだらけで、なんでこんなに冷静なの?家主に敵意向けられてるのに。
だけど、一つだけ引っかかることがある。
この不審者が嘘をついているように見えないのだ。
本当に何もかもがわからないようで、頭の上にでっかいハテナマークが浮かんでいる。
「てか、ここ暑くない?なんなジメッてしてる」
そう言って、不審者は自分の顔に手をかざした。そして、次の瞬間にはその前髪がその手から生み出された風で靡いていた。
「は?」
何してんだこいつ……?どっから風が出てきた?魔法?魔法使いなのかこいつは?
「ねぇ、あなたはどこから来たの?」
「わかんない。でも、こんな暑いところは知らない。なんか、どこかを歩いていたような気がする。どこだっけ……?」
私の脳内に一つの単語が思い浮かんだ。
転移者?
いやいやいやいや、そんなことあり得ない!?ここは漫画じゃなくて、現実だぞ!?そんなことあってたまるか!?
じゃあ、あの魔法は何なのだ?タネも仕掛けもないのは、火を見るよりも明らかだった。私が見たのは風だけど。
「あなた、日本っていう国名に心当たりはある?」
「ニホン?どこそれ?」
私は認めたくないけれど、未だに手の平を扇風機にしている不審者はそれを認めさせてくる力を有している。
「転移って言葉は聞いたことある?」
「転移?あー、なんとなく聞いたことある気がする」
「私の推測でしかないけど、多分、恐らく、あなたは別の世界で生まれてその世界から、今いる日本に意図せずに移動してきた」
「………?」
不審者はあざとく首をかしげる。これ以上、どう噛み砕いて説明しようかと頭を抱えていると、不審者は大きく目を見開いた。
「それってヤバくない!?住むところないじゃん!?」
さて、いったいこの転移者をどうしようか。
警察に連絡?転移者なんて信じてくれるのだろうか?そもそも私が誘拐したみたいな誤解が生まれないとも限らない。
「ねぇねぇ、ここに住んでもいい?」
「いいわけないでしょ。さっさと出て行ってよ、怖いから」
私の冷たい答えを聞くや否や、不審者はベッドから飛び出して私の両肩に手を置いた。咄嗟のことに私は反応が遅れてしまった。
「お願いって!住むところが────うわ、汗すご」
「ぶっ飛ばすぞ」
改めて不審者の外見を見る。
髪はちょっと茶色みがあって、枝毛なんかとは縁がなさそうな肩甲骨あたりまで伸びたストレートで、身長は中学生くらい。それに比例するように顔もどこかあどけなくて、くっきりとした目鼻立ちをしていて、可愛らしい見た目だ。
不審者は手扇風機のお陰か、私と対比するように汗はかいていないようだった。
ん?手『扇風機』?
「さっき出してた風を私に向けてみてよ」
「え?まあ、いいけど」
顔面に温かくない、涼しい風を受ける。
う、うひょーー、すごい涼しい!学校にあるやつよりも冷風来る!
私の顔が途端に気持ち良さそうであったのが原因か、不審者は口の端を吊り上げて、悪い表情を浮かべた。
「住まわせてくれたら、これをいつでも堪能できるよ?室内でも室外でも」
へ、へぇー、まあまあいいなぁー。
駄目だ!この誘惑に負けるんじゃない!
「ほら、もっと強くできるよ」
「うぉーー」
涼しいーー!体温が適温に戻っていくーー!
いや、冷静になれ!
扇風機を買うのと、この不審者と暮らすのでは、かかる費用が段違いだ。追い出すのは、罪悪感があるけれど………罪悪感が……
「いろいろお手伝いするから!料理とか洗濯とか!」
「ああーーーもう、わかった!いいよいいよ!住めばいいよ!」
「やったーー!」
不審者は体全体でその喜びを体現した。
家事の負担が減ったとポジティブに考えることにしよう。




