エピローグ 風が教えて
新しいスタジアムに、人々の熱気が渦を巻いていた。サクラモータースFCの記念試合。街の大通りから続く歩道には屋台が並び、揚げバナナやスパイスの匂いが風に漂っている。観客は赤と黒のユニフォームを身にまとい、旗を振りながら歌を響かせていた。地元紙の号外は「誇り、再び」と大きく見出しを打ち、人々はそれを掲げて入場していく。
隆志はメインスタンドに立ち、智子とみゆきと肩を並べた。長い年月を経て、ようやく家族三人で同じ景色を見ている。智子は赤と黒のマフラーを巻き、視線をピッチに注いでいた。みゆきは首から吊るした小さな風鈴を揺らし、澄んだ音を響かせた。隣の観客が「いい音だな」と笑い、子どもたちが真似して旗を振った。
ピッチでは選手たちが円陣を組み、キャプテンのカリームが叫んだ。
「命と夢を運ぶ、赤と黒の誇りを示す!」
ホイッスルが鳴り、試合が始まる。観客席の太鼓と歌声が一体となり、空気を震わせた。
前半二十分、カリームが豪快なシュートを決める。スタンドが揺れるほどの歓声の中で、隆志は背後から声をかけられた。
「この足でスタジアムに来られたのは、あなたの工房の車のおかげです」
杖をついた老人だった。隣では母親が子どもを抱きしめていた。
「搬送してもらった救急ワゴン、忘れません。あの時、娘は命をつなげました」
隆志は胸が熱くなった。数字でも記事でもない、生きた声がここにあった。
ハーフタイム、ムワンギ議員が現れた。派手なスーツではなく、赤と黒のユニフォームを着て観客と同じように声を枯らしていた。
「田中、君は日本人としてこの地に来た。だが今は、アフリカの民の一人だ。数字は歴史に刻まれる。だが誇りは子や孫に語り継がれる」
隆志は深く頷いた。
「数字は風です。帆を張るのは人。誇りは船を進める心臓です」
サミュエルが横から笑った。
「これからは俺たちが帆を張る。お前が道を示した。次は俺たちの番だ」
若者たちもうなずき、「俺も」「私も」と声を上げた。
後半、追加点が入り、試合は二対一で勝利した。終了の笛と同時に観客席が爆発し、歌と太鼓と歓声が夜空を震わせた。子どもたちが合唱を始めた。
〈サクラ、サクラ、夢を運ぶ船〉
みゆきが風鈴を振り、その音が合唱に溶け込んだ。智子が涙を流しながら夫の手を握った。
「疑い続けた年月を、やっと越えられた。……あなたを誇りに思う」
隆志は答えられず、ただ握り返した。
祝祭は夜まで続いた。スタジアムの外では屋台が灯をともして賑わい、商人が「クラブが戻れば街も戻る」と声を上げていた。工房の若者たちは選手と肩を組み、歌いながら帰路についた。
隆志は夜風の中で目を閉じた。リストラを言い渡された冷たい会議室、黒田の誘惑に抗った工房の夜、徹夜で整備したブレーキの感触、五百億の数字に震えた仲間の姿。すべてが一本の線に結ばれ、この光景に至っていた。
「真の国際化とは、お互いを尊重することだ」
小さく呟いた声は歓声に消えたが、風に乗って遠くへ届く気がした。
赤土の風がスタジアムを駆け抜け、旗を揺らし、風鈴を鳴らした。透明な音が青空に吸い込まれ、未来への道を照らしていた。




