ラビリントス・コーデックス
先日、ひとつの不可解な事件が起きた。
ある大学院生が、突如として行方をくらましたのだ。
彼の所属していた大学では、以前にも一人の教授が失踪している。
その消息はいまだ掴めていない。
私は、この連続失踪事件の真相を追う刑事である。
唯一の手がかりは、大学院生「北條湊」の残した調査記録だ。
これから記すのは、
その記録をもとに私が辿った調査の一部である。
9月3日(火)
附属図書館地下書庫にて整理作業。
棚番号B-17の奥から、革装の書物を発見した。
登録記録なし。背表紙には金文字で「ΛΑΒΥΡΙΝΘΟΣ ΚΩΔΙΞ」とある。
手に取ると、かすかに温かい。
紙質は羊皮紙ではない——繊維が異様に細かく、人肌のような質感をしている。
初見ではギリシア語系統に見えるが、どの辞典にも一致する語形がない。
数ページを複写して、明日以降に解析予定。
9月5日(木)
昨日と同じ箇所を確認したところ、文字配列がわずかに異なっていた。
誤写かと思ったが、複写画像と照らし合わせても明らかに違う。
特に第3段落の単語“ΘΕΑΡΟΣ”が“ΘΕΑΡΩΣ”に変化している。
どちらの形も文法的に成立している。理解不能だ。
葛西教授に報告したが、「古書ではよくあることだ」と取り合ってもらえなかった。
夜、夢を見た。
果てのない階段を下りている。
壁一面に、あの文字がびっしりと刻まれている。
一行読むたびに、足元の階段が一段ずつ崩れていった。
目が覚めると、机の上の写本が開いていた。
9月8日(日)
筆記中、文中に自分の名前“ΜΙΝΑΤΟ”を発見。
偶然ではありえない。写本が私を——認識している?
翻訳を進めると、不可解な一文が現れた。
「書く者は読む者であり、読む者は書かれる者である。」
それは自己言及の構造だ。
このテキストは“記録”ではなく、“生成”そのものかもしれない。
読むこと自体が写本の変化を促す——。
ならば、私が今読むのと同時に書かれているのだろうか。
9月10日(火)
葛西教授と連絡が取れない。
研究室には“ΛΑΒΥΡΙΝΘΟΣ”とだけ書かれた紙片が残されていた。
三島司書の話では、教授は一昨日、鍵を返さずに帰宅したままだという。
私は写本の構造に、ある法則を見出した。
文節ごとに一定の幾何的配置があり、それを三次元的に展開すると、
人間の脳神経のシナプス配置と酷似している。
つまり——この写本は、思考の構造を模倣している。
あるいは逆に、私たちの思考が、写本によって模倣されているのかもしれない。
9月12日(木)
今日は、写本が……呼吸していた。
そうとしか言いようがない。
ページの端が脈を打ち、開くたびに文字がわずかに動いている。
理性は「読むな」と警告しているのに、別の声が囁く——
「続けよ」と。
その瞬間、ノートの余白に文字が浮かび上がった。
“ΛΑΒΥΡΙΝΘΟΣ ΚΩΔΙΞ ἈΝΘΡΩΠΟΣ”
ラビリントス・コーデックス・アントローポス——“人間の書”。
誰が書いた? 私か? それとも——。
9月14日(土)
昨夜、夢の中で筆を取った。
墨ではなく、指先から滲み出す黒い液体で、
“読む者よ、続けよ”と書いた。
書き終えた瞬間、空気が反転するような音がした。
目が覚めると、机の上の写本は開かれており、
その一文が——まるで私の夢を見ていたかのように——
新しい章として記されていた。
……偶然ではない。
ページの縁が微かに波打ち、呼吸している。
行間が、心臓の鼓動のように膨らみ、縮んでいる。
そして今、このノートの文字が——
書くそばから形を変えていく。
“震えているのは私の手ではない。”
“紙のほうが、動いている。”
後日、行方不明となった刑事の捜査記録の最終頁に、
黒く鈍い光を放つインクの痕跡がかすかに浮かび上がった。
紫外線照射のもとで、その下から次の一文が確認された。
「読む者よ、汝もまた筆を取れ。」




