52話「魔王ゲアハード。傲慢で不遜で邪悪なる存在」
城の最上階。
玉座の間に通じる扉はひときわ大きかった。
真紅に染められた扉には、黒いインクで不気味な文様が刻まれていた。
どこかから淀んだ冷たい風が流れてくる。
扉の上部には悪趣味な悪魔の彫刻があり、侵入者を威嚇しているように見えた。
ゲームで見たドアとまったく同じだ。
だけど実際に目にした扉は、画面越しに見た作り物の世界の何倍も威圧的だった。
僕の心臓がバクバクと音を立てている。
ちゃんと作戦通りに戦えるだろうか?
緊張して呪文のスペルを間違えてしまったら……?
呼吸が荒い……上手く息が吸えない。
「エアネスト、体が震えてるぞ。
少し落ち着け。
大丈夫だ。
そなたのことは、私が必ず守る」
兄様が僕を抱き寄せそう耳元で囁いた。
彼に抱き締められると落ち着く。
心臓の鼓動がさっきよりもゆっくりと音を立てている。
息がちゃんと吸える。
大丈夫……僕はやれる。
「ありがとうございます、兄様。
お陰で少し落ち着きました」
「まずは気持ちで相手に負けないことだ」
「はい」
僕はスーッと大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
「行きましょう兄様。
これが最後の戦いです」
「ああ、魔王を葬り去ってやる」
僕は兄様と一緒に扉を開けた。
「ぎぃぃ……」と金属の擦れる音が響き、室内から暗く重く冷たい空気が流れてきた。
玉座の間は真っ暗で、しん……と静まり返っていた。
一歩足を踏み入れると、「ボッ」と音を立て壁のろうそくが灯った。
「ボッ、ボッ、ボッ……」と音を立て、部屋の中に徐々に明かりが灯っていく。
部屋の奥のろうそくに火がついた頃には、玉座の間は室内に何があるかわかるくらいには明るくなっていた。
そこは、黒と赤を基調とした部屋だった。
壁際には怖い顔をした悪魔の像が整然と並び、壁には不気味なレリーフが刻まれていた。
一言で言うと悪趣味だ。
稲妻が光ると部屋の中が一瞬とても明るくなった。
部屋の奥、五段ほど高くなった場所に玉座がそびえ立っていた。
玉座は血のように真っ赤に染まり、側面にはいくつもの棘が装飾されていた。玉座の背もたれには古代文字のような紋様が刻まれている。
黒衣のマントを纏った男が足を組んで座っている。
凄まじく邪悪で、全てを支配するような威圧的なオーラ。
彼の漆黒の髪は腰まで届き、黒檀色の鋭い目は見るものに恐怖を植え付けた。
耳は尖っており、長く伸ばされた爪は鉄さえも簡単に引き裂きそうなほど鋭かった。
大柄で服の上からでも筋肉質だとわかる体躯。
恐怖と憎しみの対象。
世界中の人々の敵。
「宝石箱の王子様〜愛をささやいて〜」のラスボス、魔王ゲアハードだ。
レーア様を傷物にし、ラグ様を殺した仇。
ヴォルフリック兄様の髪を闇の魔力で黒く染め、彼に十三年という長い月日を地下牢で過ごさせた張本人。
ついに……直接対峙してしまった。
魔王は僕たちを見て余裕のある笑みを浮かべた。
彼にとって僕たちなんて脅威でもなんでもないのだろう。
魔王は彫りが深く目鼻立ちが整った顔をしていた。
邪悪な色を宿した冷淡な目つき、人を嘲るように歪んだ口元から、彼の性格の悪さが伝わってくる。
彼の顔を見て僕は少しホッとしていた。
魔王の顔が、ヴォルフリック兄様と似ていなかったからだ。
ヴォルフリック兄様の顔はラグ様に似ていると、シュトラール様が言っていた。
僕が彼の立場だったら、母と祖父の仇と同じ顔をしていたらいたたまれない。
兄様の顔が魔王に全然似てなくて、本当によかった。
「久しいな、ヴォルフリック」
地を這うような低く邪悪な声が室内に響いた。
魔王が兄様を見て、ニヤリと嫌味な笑みを浮かべる。
「地下牢での暮らしはどうだった?」
「……!」
「エーデルシュタイン王国の国王は冷たいな。
お前が自分の子でないとわかったら、暗く冷たい牢屋に閉じ込めたのだからな」
「誰のせいだと思っている!」
兄様がキッと、冷たい目で魔王を睨みつけた。
「ヴォルフリック、お前にはがっかりだ。
光の魔力を持つものが多く生まれる王族の元で育てば、魔族でありながら光の魔力に耐性を持つものが育つと思ったのに……。
実の親である我に牙を剥くとはな。
人間と精霊と魔族……全ての血を宿しながら、人間の側に付くとは……お前は相当の阿呆だな。
どうだ?
今からでも私の傘下に入らないか?
お前は我の息子だ。
働きしだいでは、幹部に取り立ててやってもいいぞ?」
「お断りだ!!
貴様を父親だとは思ったことはない!!」
兄様はきっぱりと魔王の誘いを断った。
「本当に……失望させてくれる。
どちらについた方が得かもわからんとはな。
おや?
お前の隣に立っている子鹿のような者はソフィア王女か?
いや違う……男だな」
魔王の視線が僕に向いた。
彼の漆黒の瞳が相手の力量を見定めるように、ジロリと僕を見据えた。
兄様が僕を庇うように立ち、僕を背中の後ろに隠した。
「この世界にプラチナブロンドに瑠璃色の瞳を持つ人間は二人しかいない。
ソフィア王女ではないのなら第四王子のエアネストだな。
いや、今は王位継承権を剥奪されシュタイン侯爵だったかな」
「貴様が気安く名前を呼んでいい相手ではない!」
兄様は怒気が籠もった声で魔王を威嚇した。
「お前は其奴を随分と気に入っているようだな。
ヴォルフリック、奴はお前の何だ?」
魔王が長い指で僕を指す。
「戸籍上、彼はお前の腹違いの弟になっているが……。
お前が奴に向ける目、それは弟に向けるものではない。
劣情と独占欲に満ちた視線……愛しい恋人に向ける目だ」
魔王が僕にじっとりと舐めるような視線を向けた。
僕の背筋がゾワゾワし、心臓がドクンと嫌な音を立てた。




