42話「|S《シゲル》、|P《ウィン》。兄様とシュトラール様の対面」
「Rは旅、Iは氷を意味するルーン文字です」
その時、背後から聞き覚えがある声がした。
「Rのルーンはヴォルフリックがこの先の人生に迷わないように。
Iのルーンは、これからの戦いで必ず役に立つでしょう」
振り返るとそこには、見知った精霊様が立っていた。
「シュトラール様!」
精霊様の存在に気づき、兄様が立ち上がる。
彼に吊られて僕も起立した。
「久し振りですね、エアネスト。
それから初めましてですね、ヴォルフリック。
ラグからの贈り物は気に入りましたか?」
「お久し振りです。
シュトラール様。
この度はとても貴重な贈り物をありがとうございます。とても気に入りました。心から感謝申し上げます」
僕はシュトラール様にお礼を伝えた。
「ヴォルフリック、あなたはいかがですか?」
シュトラール様が、兄様をじっと見る。
「祖父には感謝している」
「それはよかった。
ラグも喜びますよ」
シュトラール様は兄様の答えを聞いて、ニコニコしていた。
「そなたに感謝したわけではない。
私はまだそなたを信用した訳ではないからな」
「兄様、シュトラール様にそんな言い方……」
僕はあわてて兄様を止めた。
そんな喧嘩腰の言い方では、シュトラール様を怒らせてしまう。
せっかく精霊の森に入れたのに、森の外に放り出されてしまう。
「もしかして、精霊の森にあなたを入れなかったことを、まだ気にしていますか?」
「当然だ。
そなたが私を森から弾いた結果、エアネストが一人で森に入ってしまった。
私がどれだけ心配したか、そなたにはわかるまい」
兄様が怒っているのは、自分が精霊の森に入れなかったことではなく、僕を森に一人で行かせたことなの?
「エアネストが木の根で転んで怪我していないか、毒虫に刺されていないか、斜面で足を滑らせて滑落していないか、外で待っている間、気が気でなかったのだぞ!」
兄様の目には、僕がそんなに不器用に映っているの?
「兄様、僕のことならもういいですから」
「しかしだな、エアネスト」
「ふふっ」
その時、シュトラール様が声をあげて笑った。
「何がおかしい?」
兄様が精霊様を睨みつける。
シュトラール様も、火に油を注ぐようなことは止めて下さい。
「そうしていると、ラグとエリーを見ているみたいで、懐かしくて」
エリー様はラグ様の奥さん、つまりヴォルフリック兄様のお祖母様だ。
「ラグは自分のことより愛しい人が大切で、いつもエリーのことを気にかけていました。
エリーは見た目はとても可愛らしくしとやかなのに、芯が強い性格で、時に頑固と思えるほど自分の考えを曲げない所がありました」
シュトラール様と初めて会ったとき、「あの人に似てる」と言われたけど、それってエリー様のことだったんだ。
ということは……僕って周囲からそんな性格だと思われてるの?
「すみませんでした、ヴォルフリック。
あなたを精霊の森に入れなかったのには事情があるのです」
「事情とはなんだ?」
「ラグのことです。
あなたは私の弟の孫であると同時に、弟の……」
「ラグを殺した憎い仇の子だと……そう言いたいのか?」
えっ……? それってどういう意味?
ラグ様を殺したのは魔王なの?
「どうしてそのことを、あなたが知っているのですか?」
「今知った。
ただ……私が祖父なら、娘を傷物にした魔王を生かしてはおかない……そう考えただけだ」
そうか……ラグ様は、レーア様を傷つけた魔王が許せなかったんだね。
「そうでしたか……。
あなたの言うとおりです。
弟は……ラグは、レーアが魔王に傷物にされたことを知り、単身魔王城に乗り込み……奴に倒されました」
そう口にしたシュトラール様は、とても苦しそうな表情をしていた。
「精霊が人間と結婚するとき、一つ条件が出されます。
それは、相手が亡くなったときは、速やかに精霊の世界に帰ること。
精霊と人間とでは、寿命が違いすぎます。
なので、人間の世界に精霊が長く留まることを防ぐ為の決まりでした。
ですが……エリーは思ったよりも早く……レーアを産むとすぐに亡くなりました。
ラグは泣く泣く、生まれたばかりのレーアをエリーの両親に託し、この森に帰ってきたのです」
ラグ様がエリー様が亡くなってすぐに精霊の森に帰ったのには、そんな事情があったんだね。
「ラグは精霊の森から、レーアの成長を見守っていました。
後妻であっても、レーアが王に深く愛されて結婚したことを、ラグは嬉しく思っていました。
それが……まさか、あんなことになってしまうなんて……」
シュトラール様は痛々しい表情を浮かべていた。
「魔王には、光魔法か剣などによる物理攻撃しか通じません。
ラグの属性は水。
水魔法を得意とするラグが魔王に挑んだところで、彼にほとんど勝ち目はありませんでした。
私は弟を止めたのですが、彼は聞く耳を持たず……」
ラグ様は、負けるとわかっていても、魔王に戦いを挑んだ。
それほど、彼はレーア様を傷つけた魔王のことが許せなかったんだね。
「だから……ずっと、ヴォルフリックの事をわたしは認められなかった。
あなたは弟の孫であると同時に、弟の仇である魔王の息子でしたから……」
「シュトラール様、兄様も望んで魔王の子供に生まれた訳ではありません……!」
兄様は自分の出自が明らかになってからずっと、牢屋に入れられてきた……それだけでも十分悲しいのに、さらに血縁者からも拒絶されたら、あまりにも酷い。
「わかっています。
子供に罪はないことは、十分に承知しています。
ですが……わたしはラグを失ったとき……心の一部を閉ざしてしまっていたようです」
シュトラール様は悲しげな顔をしていた。ラグ様を失ったことは、彼にとっても辛い出来事だったんだろう。
「しかし……レーアは生まれて来る子が、魔王の子と知りながら、あなたに生きて欲しいと願っていました。
ラグも泉になっても……あなたを、助け、導こうとしていました。
だから……わたしも、ヴォルフリックの存在を受け入れようと思います」
「シュトラール様……」
時間がかかってしまったけど、彼の中で、色々なことに区切りがついたみたい。
「くだらん。
そなたが私を受け入れたからといって、現状は何も変わらん」
そう言いつつも、兄様は少し嬉しそうだった。
そもそも兄様は、興味のない人や苦手な人のことは「お前」呼びをする。
彼がシュトラール様のことを「そなた」呼びをしている時点で、そこまでに憎く思っていないのがわかる。
「ラグが魔王に挑むとき、わたしはただ見守るだけで、何も力になれませんでした。
ですが、大切な誰かをもう二度と失いたくはありません。
なので、わたしから二人に、贈り物をします。
受け取ってください」
シュトラール様はそう言うと、僕の額にキスをした。
彼の動きはあまりにも素早くて、額に何か触れるまで、彼が動いたことに気づかなかった。
頭の中にアルファベットの「S」に似た字が浮かび、僕は「シゲル……」と口にしていた。
隣にいる兄様の顔を見ると、彼の額にはアルファベットのPに似た文字が光っていた。
彼は「ウィン……」と口にしていたので、それがあのルーン文字の読み方なんだろう。
お兄様もシュトラール様から、額に祝福の口づけを受けたらしい。
「Sは太陽、Pは喜び。
魔王との戦いで、必ず役に立つことでしょう」
シュトラール様が、ルーン文字の意味を説明してくれた。
僕がもらったのは太陽のルーンだったらしい。
どうりでSのルーンをもらってから、体がポカポカすると思った。
「ありがとうございます。
シュトラールさ……まぁ……って、兄様……?!」
兄様がポケットからハンカチを取り出し、僕の額をごしごしと擦っていた。
「油断した!
この私が一歩も動けなかった!
私の目の前でエアネストに口づけをするとは……!
貴様、良い度胸だな!」
兄様がシュトラール様を睨みつけた。
せっかく兄様とシュトラール様と仲良くなれそうな雰囲気だったのになぁ……。
「僕は平気です。
口づけをされたといっても額ですし」
「そなたの額もほっぺも唇も……他の箇所も全部、キスしていいのは私だけだ!」
兄様って、変なところで独占欲強いよね。
「消毒だ!」
と言って兄様が僕に体を清潔に保つ魔法をかけ、額にチュッチュと何度もキスをした。
兄様ってば〜〜!!
シュトラール様の目の前でそういうことしないで〜〜!
あと泉になっているとはいえ、ラグ様もいるんだから〜〜!
身内にイチャイチャしているところを見られるのは、他人に見られるよりも、より気恥ずかしく感じた。
「……っ!
エアネスト……そなたその髪と瞳の色はどうした……?」
兄様が驚いた顔で僕を見ている。
僕の髪と瞳がどうかしたのかな?
僕は、兄様の瞳に映った自分の姿をじっと見つめた。
あれ?
髪と瞳の色が違うような……?
僕は背後にある泉に自分の姿を映した。
自分の姿をしっかりと映すために、僕は泉の前でしゃがみ込んだ。
泉に映っていた僕は、輝く金色の髪に、サファイアのように青い瞳をしていた。
どうして……僕の髪と瞳の色が変化しているの?
原因は一つしか思い当たらない。
シュトラール様から授かったSのルーンだ。
僕の体がポカポカと暖かかったのは、光の魔力が戻ったからなのかな?
「ヴォルフリック兄様……この髪と瞳の色の僕は変ですか?」
兄様が僕の隣に座り、僕の腰に手を回した。
エアネストは生まれつき、金髪碧眼だった。
とはいえ、僕は前世の記憶を取り戻してすぐに茶色い髪に灰色の目に変化してしまった。
なので僕の体感としては、茶髪だった時間の方が長いのだ。
「私はどちらの色のエアネストも愛している。
以前も伝えたであろう?
そなたの髪と瞳の色が、どのように変化しても私の愛は変わらぬと」
「兄様……!」
彼が気に入ってくれるのなら、僕は髪が何色になっても構わない。
「ただその髪の色を目当てに、そなたに良からぬものが言い寄ってこないか、それだけが心配だ」
確かに金髪碧眼だった頃のエアネストには、やたら媚びてくる人間が多かった。
エアネストが茶髪に灰眼になった途端、彼らは手のひらを返した。
「そういう人達からは兄様が守ってくれますよね?」
「当然だ」
「なら、大丈夫です。
僕は兄様と、茶髪に灰眼だった頃の僕を受け入れてくれた優しい人達とだけ仲良くしますから」
兄様が傍にいてくれるから、僕はどんな変化も受け入れていけるんだ。
これって惚気かな?
それとも甘えかな?
それはそれとして、僕の髪と瞳の色が変化した理由が気になる。
シュトラール様に尋ねないと。
僕は立ち上がり、彼の方を向いた。
「シュトラール様、僕の体に起こった異変について説明していただけますか?」




