35話「シュトラールとエアネストの気持ち」
「まだ何かありましたか?」
精霊様の声は穏やかだった。
よかったぁぁ……!
どうやら彼の機嫌を損ねずに済んだようだ。
僕は掴んでいた精霊様の服の裾を離した。
「お引き止めしてしまい申し訳ありません。
ですが、僕にはどうしても確認したい事があるんです!」
「確認とは?」
「その……あなたは……。
あなたのお名前は、ラグ様ではありませんか?
男爵家のエリー様と、その娘のレーア様をご存じありませんか?
今精霊の森の外に、兄様が……エリー様の孫のヴォルフリック・エーデルシュタイン殿下が来ています。
一度だけで構いません。
兄様に会っていただけませんか?」
ラグ様の名前を聞いた瞬間、精霊様は一瞬驚いた顔をした。
だが、すぐに落ち着いた表情に戻った。
精霊様はしばらく沈黙していたが、やがて口を開いた。
「わたしは……ラグではありません」
「えっ……?」
そんな……人違い、いや精霊違いだったの?
それじゃあ、兄様のお祖父様のラグ様はどこにいるの?
「わたしの名はシュトラール。
ラグは……。
彼はわたしの……弟です」
「…………っ!?」
情報を整理しよう。
目の前にいる精霊様の名前はシュトラール様。
彼はラグ様の兄様。
ということは、彼はヴォルフリック兄様の大伯父様。
「それでは、ラグ様は今どちらに?」
どこに行けばラグ様に会えるの?
「あなたはラグにはもう会っています」
「えっ……?」
僕はラグ様にお会いしたことがあるの? それはいつだろう?
シュトラール様が泉に視線を向けた。
あの泉……僕にBとMのルーン文字を授けてくれた。泉を見ると優しくて暖かくて穏やかな気持ちになれた。
それは、泉の正体がラグ様だったからなの?
「あの泉がラグ様だと言うのですか?」
「ラグはわたしと同じで、元々は人の形をしていました。
彼はゆえあって今は、泉の姿をしています」
「今後、ラグ様が人の姿に戻ることはあるのでしょうか?」
「百年……日光と月光に当たり続ければ、人の姿に戻ることもあるでしょう」
「百年……!?」
精霊にとっての百年は、瞬きするような時間なのかもしれない。
だけど僕ら人間にとっての百年は長過ぎる!
だめだ……!
兄様が生きている間に、兄様をラグ様に会わせることが出来ない!
ラグ様が泉になっていたなんて、兄様に何て伝えよう……?
「ラグはあなたをとても気に入っているようですね。
あなたをここに導き、BとM、二つもルーン文字を授けた」
僕をここに導いてくれたのもラグ様だったんだ。
僕と兄様が仲良しだから、ラグ様は僕のことを助けてくれたのかな?
「シュトラール様、一つお伺いしてもよろしいですか?
昨日、兄様がこの森に入ろうとして森に弾かれました。
その理由をご存知ありませんか?
もしかして、それもラグ様が……?」
兄様の祖父であるラグ様が、兄様を弾いたなんて思いたくない。
「それはラグではなく、私です」
兄様を森に入れなかったのはシュトラール様なの?
「なぜ兄様の大伯父であるあなたが、そのようなこと……!
兄様はあなたの姪孫のはずです!」
シュトラール様は何も答えなかった。
「シュトラール様、お願いします!
どうかヴォルフリック兄様を森に入れて下さい。
彼は精霊の森に弾かれてショックを受けています。
レーア様は兄様を生んですぐに亡くなりました。
ラグ様も泉になってしまいました。
彼にはもう、シュトラール様しか身内がいないのです。
兄様に会ってほしいのです」
一応彼の実父である魔王は健在だ。
だけど彼を兄様の身内だと思いたくない。
「あの子を精霊の森に入れないのには、色々と事情があります」
「兄様を森に入れられない事情とは何でしょうか?」
「それは……まだあなたには言えません」
シュトラール様が僕の目を見て、かすかに微笑みを浮かべ、そして僕の頭をそっと撫でた。
優しく頭を撫でてくれるそのしぐさは、兄様に似ていた。
「ですが、あの子の傍にはあなたがいます。
私があの子に会わなくても問題ないでしょう」
「そんな事はありません!
兄様は大伯父であるあなたに会いたがるはずです」
多分……だけど。
もしかして僕、余計なことしてるのかな?
兄様をシュトラール様に会わせるのは、兄様の為だと思ってたけど、もしかして盛大に空回りしてる?
「あなたの頭の中はいつもあの子のことでいっぱい。
あなたはあの子のことを、愛しているのですね」
「あっ、愛……!?」
愛という言葉に思わず顔が赤くなる。
「兄様は僕の大切な家族です。
彼のことは、家族として大切に思ってますし、家族として愛してます」
でも……なんだろう、そうじゃない感情がどこかにあるような?
「そうではありません。
私が言ったのは家族愛のことではなく、恋愛的な意味合いでの愛のことです」
「恋……愛?」
「あなたはあの子のことを、恋愛対象として愛しているのでしょう?」
「ええっ……!?
そ、そそそ……そんなことはありません!」
僕が兄様を恋愛対象として見てるなんて……そんなこと。
確かに兄様は前世の推しだったけど、それはミーハーなファン心理というか……。
兄様と一緒にいる内に、彼をゲームキャラクターとしてではなく、人として好きになったけど……それは家族愛で……。
「わたしの言葉が信じられませんか?
あなたはまだ、恋愛感情の自覚がないようですね。
ヒントをあげましょう。
想像してみてください。
あなたがあの子に向ける感情を家族愛というのなら、
普段あの子としている事を、他の兄弟と出来るかを」
普段ヴォルフリック兄様としていることを、他の兄弟に置き換えてみる?
僕がヴォルフリック兄様としてること。
キスしたり、抱き合ったり、馬車で密着したり、添い寝したり、着替えを手伝ってもらったり、ご飯を食べさせてもらったり、お姫様抱っこしてもらったりしてる。
同じことをワルフリートやティオと出来るだろうか……?
…………無理。
想像しただけで、嫌な気分になった。
ワルフリートとティオも僕の兄だ。
だけど、二人とはキスしたり抱き合ったりしたいとは思えない。
ヴォルフリック兄様は、ワルフリートやティオとは違う。
彼は僕にとって特別な存在。
彼とキスする度にドキドキして、彼に抱擁される度に離れたくないと思った。
着替えを手伝ってもらうのは、くすぐったいけど嫌じゃない。
人前でお姫様抱っこされるのは少し恥ずかしかった……だけど本当は嬉しくて……。
こんな感情、家族にはきっと抱かない。
それってつまり……僕は、兄様のことを……愛してる?
そう気づいた時……僕の顔がボンと音を立てた。
僕の顔に急速に熱が集まってくる。
ヴォルフリック兄様の香りや仕草を思い出すと……心臓がドキドキする!
僕はヴォルフリック兄様のことを……愛しているの……?!
き、気づくの遅すぎだよ!!
「シュトラール様、あなたのおっしゃるとおりです。
僕は…………ヴォルフリック兄様のことを、恋愛対象として……愛している、みたいです」
自分の気持に気づくのに……かなり時間がかかってしまった。
シュトラール様が僕の答えを聞き、にこりと笑う。
顔の造りは違うけど、彼の笑い方は兄様とどことなく似ている。
シュトラール様はやっぱり兄様の身内なんだ。
「あの子のことを思っている人が傍にいてよかった。
あの子の傍にいてあげてください」
そう言って、シュトラール様は霧の中へ消えていった。
「待ってください、シュトラール様!」
僕が呼びかけても返事はなかった。
シュトラール様が兄様を精霊の森に入れない理由が聞けなかった。
彼が兄様に悪い感情を持っているようには見えなかった。
なのに、何故シュトラール様は兄様に会おうとしないのだろう?
◇◇◇◇◇
僕は森を出る前に、ラグ様に挨拶をした。
「あなたがラグ様だったのですね。
初めまして……ではないですね。
昨日もお会いしました。
二度目まして、僕の名前はエアネスト・エーデルシュタイン。
シュタイン侯爵領の当主です。
戸籍上はヴォルフリック兄様の、腹違いの弟ということになっています」
泉に向かって挨拶するなんて変な気分。
「僕をここに導いてくれたのも、BとMのルーン文字を授けてくれたのも、あなただったんですね。
ありがとうございます。
ラグ様が下さったBのルーン文字を、シュトラール様が白樺の枝に変えて下さったのです。
その枝を死の荒野に植えたら、豊かで穏やかな大きな森になりました。
改めて感謝申し上げます」
こうして話していると、人型のラグ様が目の前にいるような気がする。
「今度ここにヴォルフリック兄様を連れてきたいです。
兄様は顔の彫りが深くて、顔のパーツが一つ一つ綺麗で、それがバランスよく配置されていて、とてもハンサムなのですよ。
ラグ様とレーア様、どちらに似たのでしょうね?」
そのとき泉の底から湧いてきた水が水面を揺らし、ポコポコと音を立てた。
それはラグ様が「自分だ」と言ってるみたいだった。
「二人でラグ様にご挨拶に伺いたいです。
そのためには、シュトラール様が兄様を精霊の森に入ることを許可してくれないといけなくて……。
僕からもシュトラール様にお願いしますから、ラグ様からもシュトラール様を説得してみて下さい」
泉がポコッと音を立てたので、ラグ様が了承してくれたんだと思う。
「では、名残惜しいですが僕は帰りますね。
いつか兄様を必ずここに連れてきますから。
待っていて下さいね」
泉は太陽の光を受けて、キラキラと反射していた。
ラグ様から「待ってる」と言われた気がした。
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