34話「泉と|M《エイワズ》と白樺の森の使用許可」
精霊の森は静寂に包まれていた。
森の木々に導かれているような不思議な感覚がした。
僕は一切迷うことなく、昨日精霊様にお会いした泉にたどり着いた。
泉は今日も清らかな水をたたえている。
この泉を見ていると、不思議と穏やかで暖かい気持ちになった。
それと……何故か懐かしい感覚がした。
それにしても……今日はこの場所に、精霊様はいないんだ。
僕は泉の前に座り、精霊様が来るのを待つことにした。
だけど、いくら待っても精霊様が来る気配がない。
僕から呼びかけては駄目かな?
煩いって怒られちゃうかな?
でも、一回だけ……。
一回だけなら許してもらえるよね?
「精霊様ーー!」
僕は森に向かって呼びかけてみた。
しかし返事はない。
精霊様は気まぐれな存在。
そんなに度々出てきてはくれないよね。
そのとき、泉の水が風に揺れ、太陽の光をキラキラと反射した。
眩しい……。
なんとなく泉に呼ばれてるような気がして、そっとのぞき込む。
泉の水は今日も澄みきっていて、泉の底からポコポコと……水が湧き上がっていた。
そのとき、湖の底からなにかが浮かんできた。
それはアルファベットの「M」の文字に似ていた。
文字をすくい取ろうと、僕は泉に手を入れる。
水は夏なのにとてもひんやりしていた。
泉の底から湧き上がってきた文字に触れると、文字は僕の手に吸い込まれるように消えていった。
「エイワズ……」
僕の頭の中に文字の呼び方が浮かぶ。
アルファベットの「M」に似たあの文字は「エイワズ」と読むらしい。
「あなたはよほど、ルーン文字に好かれているようですね」
背後から聞き覚えのある声がしたので、僕は振り返った。
「精霊様!」
昨日、泉でお会いした中性的な顔立ちの美形の精霊様が僕の後ろに立っていた。
「ルーン文字に好かれているというよりむしろあなたは……泉に愛されているようですね」
そう言って泉に視線を落とした精霊様の横顔は、少し寂しそうだった。
精霊様とこの泉にはどんな関係があるんだろう?
それは僕にはわからない。
精霊様が泉を見つめる目は、なんでそんなに切なげなのだろう?
はっ……僕は精霊様にきちんとお礼を伝えに来たんだ。
僕はこの地の侯爵を任されてるんだからシャンとしなきゃ!
僕は立ち上がり、精霊様を真っ直ぐに見つめた。
「精霊様!
昨日は白樺の枝を授けてくださりありがとうございます!
昨夜、精霊様から授かった白樺の枝を、精霊様の助言通りに死の荒野に植えました。
そうしたら、一夜にして死の荒野が白樺の森に変わりました!
シュタイン侯爵領の当主として、領民を代表し心よりお礼申し上げます!」
お礼を述べた後、彼に対し深く頭を下げた。
緊張した〜〜!
今の挨拶変じゃなかったかな?
言葉の使い方を間違ったり、噛んだりしなかったよね?
「どうか、頭をあげて下さい」
精霊様にうながされ、ゆっくりと頭を上げる。
「わたしは力を貸しただけです。
死の荒野に植えた白樺の枝が、
大きな森になったのはあなたの力です」
「えっと……? それはどういう意味でしょうか?」
「あなたはこの土地と、ここに暮らす民を大切に思っていますね。
あなたはこの土地が豊かになるように、
民が安心して暮らせる地になるように、
そう願いながら白樺の枝を死の荒野に植えましたね?」
「はい、おっしゃるとおりです」
僕は昨日精霊様からもらった白樺の枝を、シュタイン侯爵領が豊かな土地になるように、民が安心して暮らせる地になるように願って、死の荒野の乾いた大地に植えた。
「それからこうも願いましたね?
白樺の枝がすくすくと育つように…
と」
「はい、そのとおりです」
「だから白樺の枝が、一夜にして、清らかで、豊かで、広大な森に育ったのです」
僕の民を思う気持ちが、死の荒野を今の姿に変えたということ?
「あなたに民を思う気持ちがなければ、
白樺の枝は小さな林ぐらいにしか育たなかったでしょう。
あなたに少しでも邪な気持ちがあれば、白樺の森は、モンスターが闊歩する危険な森になっていたことでしょう。
あなたがすくすくと育つように願わなければ、大きな森になるまでに、もっと多くの時間を要したでしょう」
僕の気持ちに白樺の枝が反応していたってこと。
「あなたの民を思う気持ちが、
死の荒野を豊かな森に変えました。
あなたの清らかな心が、あの地をモンスターがいない清らかな土地に変えたのです」
そうだったんだ……。
でもよかった。
荒野が一夜で、広くて、豊かで、清らかな森に変わってくれて。
「あなたのような曇りなき心の持ち主なら、ルーン文字を正しく使えるでしょう」
「精霊様にそのようにおっしゃっていただけて光栄です」
今回はたまたま上手くいったけど、次も上手くやれる自信がないな。
白樺の枝だって、兄様や、カールや、ハンクや、ルーカスの協力が無ければ、死の荒野に植えることが出来なかった。
みんなに支えられて、僕はようやく侯爵としての仕事をこなせている気がする。
帰ったらみんなにもお礼を伝えないと。
「そして今日あなたは、Mのルーン文字を授かりました。
Mの意味は『馬』です」
Mは馬って意味だったんだ。
そのとき、僕の脳裏に綺麗な毛並みの二頭の馬が浮かんだ。
一頭は真っ白で、もう一頭は漆黒だった。
「直に馬の方からあなたのもとを訪れるでしょう」
僕のところに馬の方から来てくれるんだ。
楽しみだな。
馬が来たら、兄様と遠がけしたいな。
その時はお弁当をたくさん持っていこう。
バスケットには、兄様の好きなチョコレートやマフィンも入れよう。
サンドイッチやフルーツや紅茶もほしいな。
見晴らしの良い場所にシートを敷いて、お弁当を広げたら気持ちいいだろうな。
そんなことを想像をしたら、わくわくしてきた。
僕が楽しい事を想像するとき、僕の隣にはいつも兄様がいた。
僕は最初、兄様のことをゲームの最推しキャラだと思ってた。
彼と一緒にいる内に、頼れる家族だと思えるようになって。
兄様と一緒にいると、楽しくて、わくわくして、ドキドキして。
家族として、兄様のことが一番大好き!
でも彼は僕のことを、弟として見てないって言ってた。
兄様は僕を弟として見てないのにどうして優しくしてくれるんだろう?
今日も彼は添い寝したいって言ってくれた。
それはつまり……兄様にとって僕は…………?
わかんない。
これ以上考えてると知恵熱がでそうだし、屋敷に帰ったら兄様に聞こう。
「それではわたしはこれで……」
「待って下さい!」
「わたしにまだ、何かようがあるのですか?」
「精霊様に聞きたいこと……いえ、許可をいただきたいことがあるんです!」
今日は精霊様にお礼を伝えるだけでなく、新しく出来た森の資源の使用許可を取りに来たんだ。
「それはどのようなことですか?」
「白樺の森の資源に関してです。
木の伐採、森の一部を開拓しての畑作、森に実る木の実やキノコの収穫、川に住む魚や森に住む鳥の狩猟について、許可をいただきたいのです」
白樺の森の周りに集まっていた農民は、森の資源が利用できることを期待していた。
彼らの望みを叶えてあげたい。
もちろん摂りすぎれば自然が破壊されてしまう。
採取する量を決め、自然を保護しながら、森と長く付き合っていきたいのだ。
「木の実やキノコ、山菜を採るときは、森の生き物のために半分は残しておくこと。
魚を槍や銛で突いて獲ること。
狩りをするときは弓で鳥を射ること。
森を開拓して農地にするときは、森の面積の1/10にとどめておくこと。
魚を網ですくって大量に獲ることや、鳥や獣の巣を襲って卵や赤子を奪うことは禁止します。
これらの条件が全て守れるのなら、白樺の森での狩猟、採集、伐採、開拓を許可します」
「白樺の森の使用を許可して下さり、ありがとうございます!
シュタイン侯爵領の当主として、感謝申し上げます!
精霊様が提示された全ての条件を必ず領民に守らせると誓います!」
よかった! 条件付きだけど白樺の森の使用許可が降りた。
聖霊様が出した条件に異論はない。
僕も森の資源は大切に使いたいと思っていたから。
死の荒野は、シュタイン侯爵領の半分の面積を占めていた。
その死の荒野が全て白樺の森に変わった。
白樺の森の1/10の面積を農地に変えられるということは、
シュタイン侯爵領の1/20の面積が、
新たな農地として得られるということだ。
森の収穫と、農地の収穫を合わせれば、来年は全員らくらくと土地税を支払えるかもしれない!
それだけでなく、昨年までに彼らがした借金を全て返せるかもしれない!
シュタイン侯爵領の改革に希望の光がさしてきた!
「精霊様、本当にありがとうございます!」
僕はもう一度お礼を伝え、彼に頭を下げた。
「もういいですか?
それではわたしはこれで失礼します」
僕はとっさに精霊様の服の裾を掴んでいた。
精霊様が驚いた顔で振り返った。
思わず精霊様の裾を掴んでしまったけど、これってもしかしなくても、不敬な行為なのでは……!?
天罰を下されたらどうしよう!




