27話「兄様は心配性」
あれから一時間が経過した。
農民達は僕らに頭を下げ、それぞれの家に帰っていった。
僕は彼らが見えなくなるまで見送った。
なんとか当面の危機は去った。
ホッとしたらどっと疲れが出た……。
「エアネスト、大丈夫か?」
くらりとよろけそうになった僕を、兄様が支えてくれた。
「兄様、ご心配には及びません」
途中農民たちがノコギリや斧を構えたときはひやりとした。
だけど、彼らが精霊の森の開拓を諦めて帰ってくれてよかった。
「兄様、それからカール。
僕を援護してくれてありがとう。
二人がいなかったら、僕は彼らと話し合うことが出来なかった」
僕の濃い茶色い髪と、灰色の目を見た時点で、彼らは僕をかなり訝しんでいた。
兄様とカールがいなかったら、僕が「新しい侯爵です」と言ったところで、誰にも信じてもらえなかっただろう。
「気にするな。
エアネストを守るのが私の努めだ」
「わたくしも、閣下のお役に立てたことを光栄に思います」
二人共優しいな。
彼らのお陰で当面の危機は脱した。
だけどこれで終わりではない。
むしろここからが始まりだ。
精霊の森を騒がせたのだ。
領主として精霊に謝罪にいかなければならないだろう。
それにいずれは、国王に土地税の減税を嘆願する為に、王都に行かなくてはならない。
不作の年でも売れるような、土地の名産品も考えたい。
出来れば長い冬の間、家で出来る内職的な物がよい。
死の荒野に巣食うモンスターもなんとかしたいし……。
問題は山積みだった。
色々と考えていたらまたぐらりと視界が揺れ、気がつくと兄様の腕の中にいた。
「体調は大丈夫か?
そなたは無茶をし過ぎだ」
兄様が心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
「すみません、兄様。
ご心配をおかけしました。
もう大丈夫ですから……」
だが兄様は僕を離そうとはしない。
それどころか強く抱きしめられてしまった。
「兄様……?」
「そなたが農民たちから誹謗中傷を受けるのではないか?
彼らから石を投げつけられるのではないか?
彼らに武器を向けられるのではないかと……話し合いの間中、気が気でなかった!」
どうやら僕は兄様を不安にさせてしまったようだ。
「私はそなたが傷つくのを見たくない」
見上げると、兄様の瞳が悲しげに揺れている。
「兄様には心配かけてごめんなさい」
僕がうなだれると、兄様が痛いくらい強く僕を抱きしめた。
「そなたが何と言おうと、
今日のような無茶は二度とさせないからな」
「兄様……」
「そなたをもう二度と民の前には立たせぬ。
一生屋敷の中に閉じ込めておく」
それは困ります。
「それから国王の前で土下座するなどもっての外だ。
そなたが奴の靴の裏を舐めるなど、想像しただけでゾッとする」
兄様は僕の身を案じて、怒ってくださっているのだろう。
僕は彼の背に手を回した。
「兄様、心配してくれるのは嬉しいですが、僕は大丈夫ですから」
僕だって土下座をすることや、靴の裏を舐めることには抵抗がある。
でもそれで領民が救われるなら、僕はいくらでも頭を下げるし、国王の靴の裏をなめることもいとわない。
「そなたがそのような目にあったら、私は平常心ではいられない。
そなたは私を傷つけたいのか?」
兄様のこの質問はずるい。
僕だって彼が傷つくのは辛い。
「僕のために兄様が傷つくのは嫌です」
「ならば、もう無茶をしないと私に誓ってくれ」
「すみません。
それはお約束できませ……ん?」
僕の言葉の途中で、兄様が僕の唇を自分の唇で塞いだ。
外だし、ひと目もあるのに、なんで今キスするの……!?
だけど……僕は、兄様の口づけを拒めずにいた。
兄様はずるい。
話している途中だったのに、口づけで強制的に終了させるなんて。
近くにカールもハンクとルーカスもいるのに……!
彼らになんて言い訳しよう?
「これはキスじゃないんです。
兄様は僕に光の魔力を返そうとしてるだけなんです。
いわば人工呼吸のようなものなんです」
……とは言えない。
そんなことをしたら、兄様が闇属性だってバレちゃう!
ならどうしよう?
王族特有の兄弟間での愛情表現ですろ……って説明したらみんな信じてくれるかな?
◇◇◇◇◇◇
兄様が僕から唇を離した時、日は西の空に傾いていた。
「このまま屋敷に帰り、そなたと共寝をしたい」
彼が僕の耳元で囁く。
そう言えば、兄様と添い寝する約束だった。
疲れているし……お風呂に入ってベッドで休みたい。
僕は彼の言葉に頷きかけた。
でも僕にはまだやることが残っている。
このまま帰るわけにはいかない。
「兄様は先にお帰りください。
僕は精霊の森に入り、ここに住む精霊に謝ってきます」
未遂だったとは言え、侯爵領の民は精霊の森の木を切ろうとした。
その事で精霊の怒りを買い、災害が起きたら大変だ。
僕は侯爵領の当主として、精霊に謝罪する義務がある。
それに謝罪するなら早い方がいいと思う。
「もうじき日が暮れる。
明日ではだめなのか?」
「それは……」
兄様の仰ることにも一理ある。
夕暮れ時に森に入るのは危険だ。
暗くなると足元が見えにくくなり、滑落する危険がある。
だけど明日僕が精霊に謝罪に行く前に、精霊が災いを振りまいたら困る。
下手をすると侯爵領がなくなってしまうかも……?
「カール、一つ尋ねたいことがある。
精霊の森には狼や熊のような大型の肉食獣は出るの?」
「うさぎやリスを目撃した者はおります。
ですが、そのような大型の獣を見たという報告は一度もございません」
「そっか、教えてくれてありがとう」
「また何か知りたいことがありましたら、何なりとお尋ね下さい。
私の知識の範囲内であれば、どのようなことでもお答えさせていただきます」
「うん、頼りにしてるね」
大型の肉食獣がいないのなら、僕一人で森に入っても大丈夫だろう。
「兄様、やはり今日のうちに精霊に謝罪に行きます。
安心して下さい。
大型の肉食獣はいないそうです。
僕ちょっと行ってきますね」
僕は森に向かって走り出した。
「待てエアネスト!
そなたが森に入るのなら、私も同行する!」
兄様が僕の後を追いかけてくる。
彼は僕より足が長いし、体力もある。
すぐに僕に追いつくだろう。
そうしたら一緒に精霊を探そう。
この森に今もラグ様がいるのなら、兄様に合わせたいし。
だけど……兄様はいつまで経っても追い付いて来ない。
それどころか、彼が草木をかき分ける音や、彼の足音も聞こえない。
不審に思い僕は振り返った。
そこに彼の姿はなかった。
「兄様……?」
声をかけても返事がない。
どうやら兄様とはぐれてしまったらしい。
森に入ってから結構時間が経っている。
「でも小さな森だし、適当に歩いてたら、兄様にも会えるよね?」
僕は森の奥を目指し歩を進めた。
この時の僕はすぐに兄様に会えると信じていた。
だがすぐにそれが、甘い考えだと思い知らされた。
◇◇◇◇◇◇
歩けども歩けども兄様に会えない、
森を突き抜けて、反対側に出ることもない。
もしかして……この森は外から見るよりもずっと広いのかも?
精霊の森の見かけは小さい。
地図上だと精霊の森はコインぐらいの大きさしかない。
そんな小さな森なのに、シュタイン侯爵領に暮らす全ての民の薪をまかなっていた。
何故そのことに今まで疑問を持たなかったのだろう?
少し考えれば、違和感に気づいたはずなのに。
森が見た目よりも広いのなら、全ての領民が冬を越す為の薪を、この森一つで賄えたことにも納得できる。
ここは精霊の住む森。
彼らが不思議な力で、森の外観を小さく見せていたのだろう。
だとしたら、この森に大型の肉食獣やモンスターがいないのも精霊の力かな?
疑問は尽きない。
一つだけ確かなのは、この森に住む精霊はすごい力を持っているということだ。
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