26話「エアネストの決意と誓い。少年の純粋な思いが民の心に響く」
「失礼いたしました。
ヴォルフリック殿下、エアネスト閣下。
あなた方を疑うような言葉を吐いたこと、どうかお許しください」
農民の一人が一歩前に出てそう謝罪した。
「彼は農民達のリーダーのマルクです」と、カールが教えてくれた。
マルクと呼ばれた青年は三十代前半ぐらいに見えた。
背が高く、体格の良く、賢そうだ。
彼となら話し合いが出来そうな気がする。
「精霊の血を引かれる高貴な第三王子殿下と、侯爵閣下がなぜこのような場所にいるのですか?」
マルクが疑問を口にした。
「マルクさん、閣下はあなた方と話し合いになるめにお越しになりました。
なのでお気持ちを鎮め、どうか武器をお下ろしください」
カールがマルクにそう伝える。
「それは本当ですか家令様?
閣下が、私達と話し合いに来られたというのですか?」
マルクが僕を見る。
彼の目には困惑と疑惑の色が宿っていた。
「さようでございます。
閣下は慈愛に満ちた精神を備えた信頼できるお方です。
どうか皆、閣下のお言葉に耳を傾けてください」
「家令様がそうおっしゃるなら……」
マルクは僕と話し合う気になったみたい。
「カール、ありがとう」
カールがお膳立てしてくれたお陰で、話しやすくなった。
「いえ、わたくしは閣下のお役に立てて光栄です」
それから、兄様が人々の信仰を集める精霊の神子なのも大きい。
二人がお膳立てしてくれたのだから、あとはこの土地の侯爵である僕が頑張るだけだ!
「マルク、単刀直入に言うね。
精霊の森を開拓するのを止めてほしい」
僕の言葉に農民たちがどよめきく。
「この森は精霊が住まう神聖な森だ。
確かに精霊の森を切り拓き、木を売れば収入を得ることは出来るだろう。
だがそれは一時的なものだ。
僕達はそれ以上のものを森から享受している。
皆もそれはわかっているのだろう?
精霊の森を開拓してしまえば、川が枯れる。
薪を拾うことが出来ず、冬を越せなくなる。
きのこや木の実を主食にしていた者は、飢えて死ぬだろう。
精霊の森を開拓した先にあるのは、凍死か餓死だ。
君たちだってそれは知っているはずだ」
僕はなるべく穏やかに農民たちに話しかけた。
「閣下、この土地では不作が二年続いています。
少ない貯蓄も、底をつきました。
今年の春先から夏までは干ばつが続き、土地は干上がり、作物はやせ細りました。
秋になっても収穫は見込めません」
マルクが悲痛な面持ちで言った。
農民達もとても苦しそうな顔をしている。
「だが精霊の森を開拓してしまっては、森からの恩恵を受けられない。
君たちもそれはわかっているでしょう?」
なんとかして彼らを止めないと。
彼らを凍死や餓死させるわけにはいかない。
「不作が続き土地税が払えず、昨年借金をしました。
ですがこれ以上、借り入れはできません。
売れるものはみな売り払いました。
中には家族を売った者もいます。
今年の税金を払ったら食べるものもなく、冬を越せません!
もうこの土地には精霊の森以外に、価値のあるものは残っていないのです!」
マルクの瞳には涙が滲んでいた。
彼の言葉に農民達は深く頷いた。彼らも苦しそうな顔をしていた。
皆わかっているのだ、精霊の森を開拓したらどうなるのか。
それでも森を切り開かなければならないほど、彼らは追い詰められているのだ。
森を切り開かなければ税金を払えずに餓死する。
森を切り開き、木を売れば今年の冬は越せるかも知れない。
だが来年には川が枯れ、薪も拾えなくなる。
そうなったら、どちらにせよ餓死か凍死するだろう。
どちらかしか選択肢がないのなら、彼らは来年の事を考えず、今家族にお腹いっぱい食べさせることを選ぶのだろう。
「不作が続いても土地税は変わらない!
痩せた土地では取れるものも少ない!
干ばつで野菜も育たない!
今年の税金を払ったら、食べ物が買えないのです!
だからもう精霊の森を開拓し、木を売って金に替えるしかないんです!
ですから侯爵閣下、どうか俺達の邪魔をしないでください!!」
マルクが斧を構えた。
彼の行動を皮切りに、農民たちがノコギリや斧を構える。
彼らの殺気に気づいたヴォルフリック兄様が、バスタードソードに手をかけた。
この場に、殺気に満ちたピリピリとした空気が漂った。
「待って!
もう少し僕の話を聞いてほしい!
君達の苦しみはよくわかった!」
シュタイン領には長らく領主がいなかった。
王族の直轄地といえば聞こえはいいが……痩せた土地ゆえ治めたがる者がおらず、放置されていたのだ。
彼らは守ってくれる人もいない、寒さの厳しいこの土地で、痩せた農地を耕し、懸命に生きてきた。
そんな彼らの末路が、兄様に斬られるか、凍死するか、餓死するかしかないなんて……あんまりだ。
「君たちの現状は状況はよくわかった!
僕には王都から持参した私財が少なからずある!
そのお金で今年シュタイン侯爵領の農民に課せられた税金は、僕が肩代わりする!
だから武器を収めてほしい!」
僕の言葉に農民たちは動揺した。
「閣下が私達の税金を肩代わりして下さるのか?」
「それなら今年の冬を越せるぞ……!」
「家族に腹いっぱいパンをくわせてあやれる!」
お願い、どうか武器を収めて……!
「ですが今年は良くても来年はどうするのですか?
この土地にかかる土地税は高すぎます。
ここにはさしたる産業もありません。
来年もし、日照りや水害がこの土地を襲えば、税金が払えなくなります」
マルクから鋭い質問が飛んできた。
「その時は僕が王都に赴き、父に……陛下に頭を下げるよ。
土地税の減額を乞い、納税の期間を猶予してもらう」
今の僕に出来ることはそれくらいだ。
「あなたが金髪碧眼で第四王子であらせられた時ならいざ知らず……。
金色の髪と青い目を失い、シュタイン侯爵領に飛ばされた閣下の言葉を、陛下が聞き入れて下さるのですか?」
農民の一人が放った言葉が、胸に突き刺さる。
僕が王位継承権を剥奪された事実を彼らは知らない。
だけど僕が金髪碧眼だった時、国王の寵愛を受け、王太子の有力候補だったことは、地方にも届いていたのだろう。
金色の髪を失った僕が王子としてではなく、シュタイン侯爵領の当主として現れたら、国王から見捨てられたと推測されても仕方ない。
それに、彼らの推測はほぼ当たっている。
僕は国王から見捨てられ、侯爵に封ぜられた。
そのことに触れられるのは、今でも苦しい。
だが僕の痛みなど、農民たちの苦しみに比べたら些細なことだ。
「その時は地面に頭をこすりつけ、陛下の靴の裏をなめてでもシュタイン侯爵領の窮状を訴え、陛下に慈悲を乞うよ。
陛下にわかっていただけるまで、何度でも頭を下げるつもりだ。
シュタイン侯爵の名にかけて、君たちに誓うよ。
来年以降、土地税は必ず減額させると。
だから精霊の森を切り開くのは止めてほしい!」
僕は彼らに向かって深々と頭を下げた。
それを見ていた農民からどよめきが起こった。
「閣下が頭を下げたぞ!」
「俺たちのような農民に侯爵様が頭を下げるなんて……!」
「この方は、他の貴族とは違う……!」
農民たちがそんなことを口にした。
「エアネスト、何もそなたがそこまでしなくても……!」
「兄様、僕なら大丈夫ですから」
過保護な兄様が僕が民に頭を下げたことに動揺している。
心配しないで兄様。僕は平気だから。
「約束する!
僕が必ず皆の窮状を救うと!
だからお願いだ、精霊の森を傷つけないでほしい!」
僕がこの場で彼らを説得できなければ、兄様は彼らを武力で制圧するだろう。
相手は農民、彼らが束になってかかっても兄様は傷一つ負うことはない。
ここにいる者の多くはおそらく一家の大黒柱だ。
彼らが死ねば、働き手を失った彼らの家族も、飢えて死ぬことになるだろう。
そんなのは悲しい。
僕は彼らを傷つけたくはない。
彼らは国に虐げられた被害者なんだ。
農民たちはしばらく動揺していたが、やがて静かになった。
「閣下の誠意は分かりました。
どうか頭をあげてください」
そう言ったのはマルクだった。
僕はゆっくりと頭を上げる。
農民たちがノコギリや斧を地面に置き、その場にひざまずいた。
「ヴォルフリック殿下!
エアネスト閣下!
どうか我々をお救いください!」
農民たちが僕と兄様に向かって深々と頭を下げた。
「僕はシュタイン侯爵領の当主として、君たちの力になると誓う。だからどうか頭を上げてほしい」
「「「ヴォルフリック殿下!
エアネスト閣下!
我々をお救い下さい!!
私達をお助けてください!」」」
そう訴える彼らの瞳から大粒の涙が溢れ落ちる。
農民たちの懇願はいつまでも続いた。




