もう、奪われないために
※※※
それから数日後。
アルト達は、冒険者の間で話題になっている湯治場へやってきた。
普通の旅行客もいるが、冒険者らしき者も多い。
あちこちに宿が軒を連ね、そこかしこから温泉地独特の、あの卵のくさったような、と表現される匂いが漂ってくる。
予約していた宿で手続きをし、部屋へ通される。
荷物をおろし、一息ついてから二人して温泉街へ繰り出す。
家族連れも多い。
ちなみに、たまの贅沢だから、と部屋にも源泉かけ流しの浴室が併設されてるところを選んだ。
一通り、温泉街にある店を冷やかしてまわり、甘味処で一休みする。
「羽目を外しすぎるなよ」
と、これはアルトがセナへ投げた言葉だ。
「端的に言うと、酒は禁止な」
「わかってる」
何度か、セナは酒で失敗しているのだ。
いまのところ、失敗の矛先がアルトに向いているのと、未遂で終わっているから良いものの、ここであの失敗を繰り返したらただの犯罪者になってしまう。
セナの酒による失敗とは、酔いの勢いにまかせて何度もアルトを襲って押し倒していることだった。
その度に、アルトはセナを蹴ったり殴ったりして正気に戻す、ということを繰り返していた。
そして、セナの酔いが冷めるといつもこんこんと説教することになるのだった。
――俺だったからよかったものの、外でやったら犯罪だぞ犯罪――
――せめて、こういうのはそういう相手とやりな、酒は飲まずにな――
――俺は、お前のことそういうことしたい相手としては見てない――
ほかにも色々言われてきた。
その度に思うのだ。
今でも、思うのだ。
考えているのだ。
(俺は、お前を抱きたいんだ)
そうすれば、今度こそ手に入るから。
体も心も、手に入れたいから。
今でも、少し手を伸ばせば触れられる距離に、アルトはいるのだ。
こんなに近いのに。
でも、触れさせてくれない。
触れたいのに。
触れて、そして愛したいのに。
愛させてくれない。
酒のせいにすれば、と邪な考えが浮かび、実行したのがそもそもいけなかった。
セナは、酒によって勢い任せに抱こうとしたことなど無かった。
いつも、素面だった。
拒否されるたびに、酒のせいにしてきただけだ。
「……なぁ」
「ん?」
注文した甘味とコーヒーが届く。
甘味はアルト、コーヒーがセナである。
コーヒーに口をつけ、喉を潤してから、セナは続けた。
「なんで俺じゃダメなんだ?」
「なにが??」
「恋人」
「……言ったろ、酒は」
「飲んでない」
「……コーヒーで酔うとか器用だな」
「答えてくれよ。
俺は、お前のことが」
「俺は好きじゃないから。
意見の相違ってやつだよ。
俺は、お前のことそういう意味で好きじゃない」
「……そう、か」
返しつつ、セナはアルトを見た。
思い出すのは、意図せず再会した時のことだ。
世界を書き換えることになった、きっかけ。
アルトの生存を知った、あの日。
アルトはセナの暗殺対象者の護衛をしていた。
その時、アルトは暗殺対象者と同じ気配を纏わせていた。
なんなら、その体内からも気配が染み出ていた。
マーキングだった。
魔族が生涯の伴侶と決めた相手に刻み込む、目印。
最初は暗殺対象者が、アルトに手を出したのだと思った。
けれど、調べてみてそれが違うことがわかった。
アルトにマーキングを刻み込んだのは、次期魔王候補の中でも有力視されているニクス王子だった。
(俺の、俺だけのものだったのに……)
最初は敬愛と崇拝だった。
それが、いつからか歪んだ情愛となった。
手に入れたい。
心も体も、アルトのなにもかもが欲しい、と。
そう思うようになってしまった。
でも、理性がそれを止めていた。
許されない、と。
そんなことは許されない、と。
けれど、今は、こんなに近くにいるのだ。
ようやく、手に入れられたのだ。
あとは、ゆっくりじっくり、関係を深めればいい。
そう、考えている。
けれど、理性がもたない。
はやく、抱きたいと、そう欲が訴える。
抱いて、そして、かつてニクスがそうしたように、今はセナのものであるという印をアルトに刻みつけるのだ。
そうすれば、今度こそ本当の意味で自分のものになる、と。
そうセナの中の欲が訴えてくる。
セナは昏い眼をして、美味しそうに甘味へパクつくアルトを見た。
そこで、本音が首をもたげる。
我慢をする必要なんてないのだ。
(我慢をしたから、別の誰かに奪われた)
もう、そんなことはごめんだった。
セナはアルトを自分のモノにすると、今度こそ決めたのだ。
そのためなら、なんだってすると、決めた。
そして、願望を実現する力を魔法を、セナは手に入れている。
(もう、失うのは嫌なんだ。
ずっと、ずっと、今度こそ、死がふたりを分かつまで一緒に……)
コーヒーを飲み干す。
とても、苦い味が口いっぱいに広がった。