表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/1

プロローグ

 ただ、ズレていた。精神的マイノリティと他称されるぼくですらそう思うのだからよっぽどだった。

 長年ぼくは、ピサの斜塔と、反出生主義の奴に「じゃあ死ねば」と吐き捨てる行為こそがズレているモノ界の横綱だと認識していたのだが、今日からは改めねばならないらしい。 


 それほどまでに、フリルつきのドレスを纏ったどこの貴族の箱入りお嬢様だよとツッコミたくなるような少女が、極道顔負けのドスを振るって人を刺殺する様は、ズレていた。



 勝負は一瞬だった。

 日本人離れした体躯にちゃちな墨を彫る事で、作り込みすぎて逆に笑えてくる心霊映像よりは人々の恐怖を集めていたに違いない強面のチンピラが、予備動作ですらぼくくらいなら吹きとばせそうな大げさな右ストレートを繰り出した刹那、少女は一ミリも臆することなく華奢な躰でチンピラの懐に入り込んだ。


 いつの間にか抜き放たれた黒塗りの鞘から(よく見ると、ハートやら星やらのシールがペタペタ貼られている)、飛び出したのは一尺八寸の直刃。逆手に握られた凶刃は少女の奇跡みたいな造形美を誇る鼻梁がひしゃげる寸前、チンピラの胸元に吸い込まれた。


 擦過音も風切り音もスプラッタ音も無いあまりにもあっさりとした幕切れ。長渕剛のライブでも五月蝿すぎて出禁を喰らいそうな男の雄叫びは藤子・F・不二雄の反核漫画のオチみたいにプツリと止まった。慣性だけが生きていたが、仕事を終えた少女は恐るべき速度で刃を納刀すると、馴染みの屋台の暖簾をくぐるみたいに気安く身を屈め、肉の塊の弾丸を軽く交わしてみせた。


 ぼくはしばらく言葉を失い、少女の腰まで届く白髪が、都会の薄らぼんやりとした月明かりと路地裏に明滅する赤茶けた街灯の光をこれでもかと纏って、光子を散らしながら幻想的になびく様を網膜に焼き付け、「ああ女も背中で語るんだな」なんて感想を抱くしかなかった。


 そうこうしている内にチンピラ(故)は三メートルほど横滑り。廃ビルの壁面に衝突した拍子にくるりと仰向けに。

 じきに厚い胸板から溢れ出す血がアスファルトを濡らし、カカオを渋りすぎたチョコフォンデュみたいな血溜まりが形成されるかと思いきや。


 ぼくはいつ喋れるんだろうな、更に言葉を失った。


 ドスで刺されたわずか数センチの空間。

 そこには肉も骨も血管も、そして心臓も、跡形も無く消失していたのだ。

 リョナが苦手な外科医志望にはちょうど良い教材かもしれない。患部を漆黒のモザイクに侵食された死体なんて入門編にはうってつけだろう。


 無表情なマネキンみたいな死に顔も相まって、ぼくにはそれが期限付きの魂を吹き込まれた人形のようにも思えた。広い世界を探せばそんな寓話や昔話の一つや二つ出てくるだろう。


 そして、ここは間違いなく現実だった。


 馬鹿げた事を言ってるのは百も承知だが、ぼくは確信した。心臓を一突きしたように見せて、魂自体を抉り取って人を殺す術があるようだと。傷口に巣食う底しれない闇を見てしまえば誰だってそう思うはずだ。

 待て。


「あまり見ない方がいいですよ。感受性の強い人なら極稀に引っ張られる可能性がありますから。アナタは--まぁ大丈夫そうですけど--」

 鼓膜を舐められたかと思った。

 甘い吐息がくすぐったい。


 廃ビルに囲まれた空き地。ヤシマ作戦にでも参加しているのか、光の消えた自動販売機に身を潜め惨劇の野次馬と化してしまったぼくの真横に、少女が佇んでいた。


 可愛らしさと気品を孕んだ、恐ろしい程蠱惑的な笑顔で。


「うおっ」


 馬鹿みたいな声を出してぼくは後ずさった。

 パンチは当たらないが踏み込んだローキックは被弾するくらいの距離まで避難し、ぼくは自らの愚かさを呪った。

 死体に気を取られて、殺人鬼から目を離すなんて、どうかしている。これじゃ、希死念慮云々じゃなくて、ただの欠陥品じゃないか。


「そこまで逃げなくてもよろしいではありませんか」


 少女は年相応(おそらく15.6くらい)に桜色の唇を尖らせた。


「おまえ、何者だ?」


 我ながら馬鹿みたいな発言だと思った。まだ、「そ、それ以上近づくな」の方がマシだったかもしれない。


「可愛らしい美少女が話しかけてあげてるのですから、そんなことどうでも良いではありませんか? それとも貧乳でロリ顔ってだけで女じゃねぇ! なんておっしゃる殿方なのですか?」


 相変わらずの上品な笑顔にからかいの色が混じったのをぼくは見逃さなかった。

 早速失言をつつかれたみたいで、ぼくはつい反射的に、野次られた国会議員みたいな有り様で、


「見くびるな! 貧乳でロリ顔の女子高生こそが至高だろうが!」


 咄嗟に取り締まられそうな女のタイプを開示してしまった。


 闇が上書きされた。

 死体のことなんてほとんど忘却した。


 少女は喫驚したような顔になった。ぼくは、殺人鬼にすらドン引きされて、次の瞬間には「きっしょ」と刺殺される馬鹿みたいな末路を辿る事を覚悟し、流石に嫌すぎるので、足掻くだけ足掻こうと臨戦態勢に入ろうとし


「--あ、あり、がとう、ございます」


 なぜかほんのりと赤面し、どもりながら返礼してきた殺人鬼に牙を抜かれたのだった。



 -----


 すぐさま牙を装填し直した。

 しばらく少女の恥じらいシーンを見ている内に冷静になりつつあったぼくは、正体に当たりをつけつつあった。


 そして一方少女の方も、頬にさしていた朱色は徐々に鳴りを潜め、滑らかさときめ細かさをはっきり視認できる珪乳石のような白肌をピクピクと震わせ始めた。


「アナタも殺すことに致しました。」


「丁寧語と相性最悪の動詞が聞こえてきたんだが?」


「五月蝿いです。戦場に迷い込んでガクガク震える哀れな少年を、からかうだけからかって差し上げようと思っただけですのに。大変な恥をかかされてしまいました。殺すつもりはありませんでしたが、この屈辱はあなたの血液でそそぐことにしますので」


 そう言うと少女はドッジボールだと当たり判定食らって不利になりそうな、フワフワと膨らんだスカートに下から手を伸ばし、どこからか得物を取り出した。

 先ほど一人の命を刈り取ったばかりのドス。

 少女はドスを両手で掲げると、顔の前でゆっくりと抜いた。

 右手に持ったドスをすっとぼくの心臓に向ける。

 光沢が眩しく煌めく。

 反面少女の顔から表情が消えた。

 人間国宝の刀匠が自信を喪失して転職しそうな完成された意匠の刃。たとえ人形だったら、毎晩髪が一センチずつ伸びて尚且つ持ち主が呪われるとしても、ガラスケースに閉じ込めておきたいほどの端正で精巧な美少女。

 二つの造形美が発して乱反射する光の渦は、不思議なことにガチリと重なり合い調和していく。


「さぁ死ぬ覚悟はお済みですか?」


「·········」


 ぼくは、心置きなく拍手を送ってやりたい気持ちになった。

 殴りかかっただけで大したもんだ。すげぇよ、ホントに、シャブってやつはさ。


 化け物がそこにいた。



「なぁあんただろ、最近巷で噂の連続殺人鬼の正体って」


「あら、お気づきでしたのね」


「当然だろうが。老若男女問わずその手にかける今をときめくシリアルキラーだってな。半年で300人か大したもんだぜ本当に」


 考えればこんなにあからさまな事は無かった。

 半年前、Q県で連日連夜女の刺殺体が発見された。

 切り裂きジャックの再来なんて陳腐なテロップでお茶の間を戦慄させていたが、まだ序章だった。

 徐々に犯行は規模を拡大させていく。

 誰かれ問わず場所を問わず、あがり続ける刺殺体。

 ガイシャは皆一様に、鋭利な刃物で真正面から心臓を一突きにされていたらしい。


 ぼくの中でこいつとシリアルキラーが結びつかなかったのは、そんな大胆かつ残虐な惨劇を非力な女ができるわけが無いと無意識に思っていたからだ。これが俗に言う女性蔑視という奴なのか。ならば反省の意味を込めて訂正しとくか。


「女性は残虐な殺人鬼だ!!」


「はっ?」


「あっ、すんません」


 まぁ、それは置いといて。 

 結論は簡単なことだった。

 殺人鬼は常識や法律の埒外から来た化け物だったってわけだ。

 今の彼女を目にすれば、皆思うことだろう。

 300人殺すくらい訳ないなって。


 そしてぼくは知っている。

 こういう化け物達が、皮を一枚めくればそこら中に潜んでいるということを。もっとも、彼女ほどのバグはそうそういないのだが。


「そろそろ始めましょうか、血湧き肉躍る殺し合いを」


「殺し合い? 一方的な惨殺の間違いじゃないのかい?」


「あまり見くびらないでほしいものです。アナタ、こっち側の人でしょう? さっきのヒャッハーな方は元々あなたの獲物だった。違いますか?」



「ぼくは一般人だよ。普通に社会の荒波に揉まれて希死念慮に苛まれてるだけの、どこにでもいるペシミストだ。」


「まぁそういうことにしておきましょう。あまり長話をしていると警察の方々が来てしまわれますので」


 そう言うと少女は、--あんたがピッチャーだったら牽制だけで飯が食えそうだな--ノーモーションでドスの鞘を投げつけてきた。化け物にも利き腕の概念はあるはずだし、ドスを持った右腕に完全に意識を奪われていた。



 たかだがリングの端から端ほどの距離。


「うわっ」


 持てる限りの反射神経を総動員して躰を捻り鞘をかわした。



 風切り音が鼓膜をつんざく。

 三半規管に染み込む死を帯びた風。

 それが心地良いと思えるほど、次の一手は致命的だった。


 鞘に意識を奪われたほんの一瞬。

 首をひねったことで側面に生じたほんの死角。

 視界の端でかろうじて捉えたのは、刹那の隙に飛来する、逆袈裟の軌道で凶刃を振るう少女の姿だった。


 声をあげる暇もない。

 ガード!

 無理無理、当たっただけで多分アウト。

 スウェイ!

 無理無理、躱し切るのは不可能。 

 なら穴を突け!

 あのドスが唯一斬れないものってなーんだ?



 極限の思考の中でぼくは咄嗟に賭けに出た。

 鞘を避けた際に、とっさ過ぎて不格好にも後方に流れた左腕。

 躱されたせいで、等速直線運動をおそらく後ろの壁にぶつかってめり込むまで続ける鞘を、かろうじて人差し指と中指で挟み込んだ。


 指先が焦げる感触。火傷を察知し全てを投げ出そうと誘惑してくる脊椎反射を遮断。フォークボールのように挟み込んだ鞘で真っ向から迎え撃った。


 ガキン!


 ぼくは剣術の才能があるのかもしれない。

 他人の振るう刃を納刀するのって、真剣白刃取りよりむずかしいんじゃね?

 とはいえ才能にあぐらをかいている場合じゃなかった。

 攻撃の手段すら一時的に失った少女をぼくはミヤギ流空手の要領で後方に突き飛ばした。

 その反動を脚力に乗せて、自らは後方にかっ飛んだ。


 ここまでの攻防でわずか五秒。

 人生で一番長い五秒だった。 


 バランスを崩した少女が再びこちらを見据える。


「フ」

 化け物になってから鉄面皮を崩さなかった少女の顔が初めて歪む。それはおそらく少女が見せた初めての喜笑だった。



「フフフフフフ! なぁにが一般人ですか。やっぱりあなたは最高です! 楽しくなって参りましたね!!」


 化け物が嗤う。

 退屈を紛らわしてくれる玩具を手に入れて思い上がっている。

 そういうポーズ。

 ぼくにはそうとしか思えない。

 いや、玩具という意味では正解なのか。誰でも長く使っていたいからな。


 さっき矛盾した彼女の言動。

 しかし、それを鵜呑みにするほど、ぼくは純粋ではない。


 言動が矛盾するように。

 行動も矛盾する。

 生きている限り。

 死んでしまわない限り。


 では跡形も無く消えてしまえばどうなのだろうか。

 意思も尊厳も軽蔑も全てが跡形も無く消えてしまえばどうなのだろうか。

 そして、ぼくは思い至る。

 死は消滅の副産物でしか無いんじゃないかと。


 ぼくは質問してみる。


「なぁ、アンタ人を殺すとき何を思ってる?」


「急になんですか? このまましれーっと話術に持ち込んで丸く納めようとしてます?」


「心配するな。ぼくはとことんやる気になってるぜ。ただ天国のミヤギさんに土産のひとつでも持っていかねぇと無礼だからな」


「ミヤギ? 失礼ですが、あなたとどんな関係で?」


「たいそうなもんじゃねぇ。ただぼくがダニエルである限り、ミヤギさんはモリタさんじゃなくミヤギさんってだけの話だ」


「あのー、全く意味が分からないんですが。これは私が悪いのでしょうか? とりあえず、あなたはダニエルさんって事でよろしいですか?」


「は? どっからどう見ても日本人だろうが! ぼくはヤマザキだ! よろしくな」


「あの、もう殺してもいいですか?」


「殺す殺す言っときながら、一応話を聞いてくれるアンタの事は結構かわいいと思っている」


「はい。殺します」


 少女が、今にも向かってきそうなんで慌てて止めた。


「ちょ待て待て! 脱線しすぎた! アンタ会話のキャッチボール下手だなまったく。今だよ! 今なんて思ってるんだ?」


「一応殺人を嗜む者としてなんですが、アナタのように話の通じない方はむしろ駆除するのが世のためになるのではないかと」


「嘘じゃなくてさ。本心を言えよ」


「特に何も。これで満足ですか?」


 優しいねぇ。全く。やっぱいい奴だろアンタ。

 あとぼく以外の前で人を殺す時は、無口になったほうがいいぜ。


「ああ、OK。やるか」


 ぼくは腰のホルスターから銃を取り出す。


「まさか、ぼくだけ徒手空拳じゃないと駄目だなんてルールはないよな?」


「無論です。服を溶かす酸以外ならOKですよ」


「え? なにそれ? 普段からそういう妄想してんの? キミ変態なの?」


 転瞬、少女が地面を蹴りぼくに迫った。


 さて、はじめようか。

 ベストを尽くすのはとうに諦めた。

 ベストを狙わずベターを狙え。

 ただこうも思うのだ。


 最悪じゃなければ、別にいいだろうと。


 そうして、ぼくの余生ははじまった。

 エンディングノートを埋めるまでの、取り敢えずの物語。




 

 

初めて書いた小説です。よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ