悪役令嬢が現代日本に転移する話
「無礼者! クビよクビ!」
絢爛豪華な部屋に響いた金切り声は、かの有名な公爵令嬢エリザベス・フォン・グランディーオのものであった。
「野菜を入れるなと命じたはずよ! それなのに、どうしてこんなにたくさんの野菜がありますのっ!」
「ですが、お嬢様……」
「口答えは結構。早くこの屋敷から出てお行きなさいっ!」
クビを言い渡された者は、グランディーオ公爵家に長年仕える料理長であった。
「わたくしは部屋に戻りますわ」
エリザベスが立ち上がった瞬間のことだった。
「きゃあっ!」
「お嬢様ッ!」
☆
目が覚めると、わたくしは納屋のように狭い部屋におりました。誰ですの、こんな場所にわたくしを連れてくる無礼者は。
部屋を見渡すと、公爵令嬢であるわたくしも見たことのないような調度品の数々が並んでいる。壁にかけられた四角い箱や、楽団もなしに珍妙な音楽を奏でる円盤。わたくしの知っているものといえば、隅にある本棚には百冊近くあるであろう本が並べられている。
先ほどは納屋のようだと思いましたが、この部屋の主は、公爵家クラス……いや、王族に並ぶほどの財力を持っているに違いありませんわ。
「あ、起きたの。うちの前で倒れてたからビックリしちゃった」
扉の向こうから現れたのは、王国では見ない黒髪の女性。服装はドレスでこそないが、それなりに上質な生地を使ったもの。恐らく、伯爵くらいの家の娘ですわ。そのような娘が奉公している家ということは、やはり高位の貴族の部屋ですわね。
わたくしが黙って考えていると、女性はなにやら良くわからない言葉で話し始めた。
「ハロー? ボンジュール? グラシアス、いやそれはありがとうか……何語だったら通じるかな」
なるほど、わたくしが何語を話せるか知りたいのね。
「王国語で結構よ」
「王国語? 日本語だよね、えっと……もしかしてコスプレイヤーの方だった?」
「にほん、こす……なんですの?」
聞き覚えのない単語がいくつかありましたけれど、どうやら王国語が通じるみたいだわ。
「それで、こちらはどなたのお屋敷ですの? 公爵家に連なる者を誘拐するなんて、許されることではありませんわよ!」
「公爵令嬢って……設定込んでるなぁ」
女性はわたくしを珍しいものでも見るようにした。
「なんて無礼ですのっ! どこの家の者ですの。お名乗りなさい!」
「どこの家って……そうだなぁ、太田家の絵里です」
オータ家なんて貴族、王国内で聞いたことありませんわ! わたくし、国外に連れ去られてしまったというの!?
「早くうちに帰しなさい! お父様に言いつけるわよっ! わたくしを誰だと思っていますの!? わたくしは、エリザベス・フォン・グランディーオですわ!」
「え、誰ですか」
女性は、本当にわたくしのことを何も知らないというようにきょとんとしている。そんなはず、ありませんわ。グランディーオの名は世界に知れ渡っているはずですもの。
「で、そのエリザベスさんはどうしてうちの前に居たんですか」
うちの前に居た? どういうことですの? だってわたくしは、屋敷で料理長をクビにして……。
――――――ぐぅ
わたくしとしたことが、人前でお腹を鳴らしてしまうだなんて……!
「お腹空いてるんだね。まあ、とりあえずこれ食べなよ」
女性は、袋を開けて差し出した。中には薄っぺらい黄色のものが入っていた。
「なんですの……?」
「ポテチ。もしかして、食べたことない?」
ぽてち……そんな食べ物聞いたことありませんわ。それに食べ方もわからないのに。そう思っていると、女性はぽてちを手でつまんで口に運びました。
「なっ、はしたないですわ!」
「手が汚れるか……じゃあ、これ使って」
女性は、小さな手が先端についた棒を持ってきた。
「このボタンを押すと、つまめるよ。やってみて」
「こうですの……?」
棒についた丸い部分を押すと、手が閉じてぽてちなる食べ物をつまむことができた。
「掴めたね~それじゃあ食べてみて!」
毒味はこの女がしていましたわ。毒の心配はないはずね。知らないものを口にいれるなんて……。でも、ランチも食べていないからお腹がもう限界。食べるしかありませんわ。
わたくしは恐る恐る、ぽてちを口に運ぶ。
ぽてちを噛んだ瞬間、パリッという音が響く。
「……っおいしいですわ!」
こんなの、うちのシェフも出したことがない。この奥深い味わいは、表面にまぶされた粉の味ね。
「この粉はなんですの!?」
「コンソメだよ。なんだっけな、肉と野菜を煮込んで作る粉」
「こ、これが野菜ですのっ!?」
だって、野菜って青臭くて獣が食べるようなものじゃない! それなのに、こんなに奥深い味わいの粉になるだなんて信じられませんわ!
「野菜でいうなら、芋部分も野菜か」
「もしかして、この薄いものは芋でできていますの……? そんな、まさかっ!」
「そのまさかです」
わたくしの大嫌いな野菜が、こんな美味しいものに変わるだなんて。この家の主は素晴らしい腕の料理人を抱えているのね。そうですわ!
「この家の料理人を紹介してくださらないかしら。我が家でお抱えにしたいのだけれど」
「うちに料理人はいませんけど……自炊はサボり気味だし」
わかりやすい嘘ですこと。まあ、そう簡単に優秀な料理人を他家に渡すようなことはしませんわよね。
「では、せめてこちらの料理のレシピだけでもいただけないかしら」
「レシピ? コンビニで買ってきただけだからわからないや。あ、そうだ」
女性は、薄い板を取り出して何やら始めた。
「あった。手作りポテトチップスの作り方!」
女性が見せてきた板には、本物そっくりのぽてちの絵とレシピが書いてあった。彼女が指を動かすと、レシピの続きが現れる。
「魔法……」
板に精巧な絵とレシピを映し出すなど、魔法に決まっていますわ。オータ家は、表では秘匿された魔女の一族なのでしょう。彼女を仕えさせるこの家の主は一体何者ですの……!
「あ、ポテチだけじゃ流石にお腹は満たされないよね。何かないか冷蔵庫見てくるね」
ぽてちは確かに美味しかったですけれど、お腹にはたまりませんわ。それを見抜いた彼女は、追加の食べ物を取りに部屋の外へ出ていきましたわ。
そういえば、わたくしがぽてちを食べるのに使っているこの手は、魔女の魔法で作ったものだとしたら納得がいきますわ。あら、なんだか眠気が……。
☆
「……さま、お嬢様!」
「んん何よ、うるさいわね」
気がつくとわたくしは、自室のベッドの上で横になっていた。
「お嬢様がお目覚めになりましたッ! わたしはもうお嬢様が目を覚まされないかと……」
「失礼ねっ!」
侍女に聞くところによると、わたくしはあのあと、丸一日眠り続けていたそう。
魔女と会ったのは夢だったのね……。そうよね、そんなことあるはずがありませんわ。ですが、あのぽてちなる食べ物は本当に美味でしたわ。
「そうですわ! 今すぐ料理長を呼びなさい!」
「また急に、どうしたのですか」
「ぽてちを作らせるのよっ! 早くしないとクビにするわよっ!」
その後、エリザベスが作らせたぽてちの噂は、またたく間に王国貴族中に広まった。料理長は、エリザベスの野菜嫌いを克服させたとして雇い主である公爵からお褒めの言葉をいただいたという。
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