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第16話 カップ麺

 表現するってなんだろうな、夕食のカップ麺を食べながらそれを考えていた。


 例えばオレは現在カップ麺を食べているが、カップ麺を食べる歓喜を表現するとどうなるんだろう。そうだな、演技ってのは大げさなくらいが丁度いい。


 設定は一週間ぶりの食事だ、腹も背も引っつきそうなほどに飢えている。容器を置いて手を合わせていただきますなんて余裕はねえ。顔を容器につっこみ食欲をそそる湯気の匂いに感銘し、空を仰いで一つ吐息。ああ、涙が出そうになってきた。腕を十字に開いて心境はタイタニックだ。マイハートウィルゴーオンが頭に鳴り響いている。ああ、ああ。のどの奥からあふれ出しそうな歓喜に包まれて水平線を見ている。


 大きな高波が心に打ち寄せた。腕をしならせ胸を張りだし背中をそらせる。興奮に耐えられなくなったオレはカップ麺を一口ずっとすすった。尋常じゃない美味さだ、だがここからオレは悲劇を表現しなくてはならない。


 口にカップ麺を溜めたままカップ麺の縁を指でつんとつくと、座卓に汁ごとぶちまけた。一週間ぶりの食事だったのに。オレの心臓は絞られる。表情はムンクの叫びだ。なんということだろう。頬を目いっぱい伸ばして口から悲鳴が漏れる。哀しみの感情でいっぱいになった。ああ、ああ。胸元に手を重ねて息を詰める。心臓の音だけがやかましく時計の秒針のように規則正しく鼓動を打っている。この荒ぶる感情をどこにぶつければいい。


 オレは立ちあがると大きく体を旋回させた。だんだん感情は悲劇から恐怖へと変わる。誰かが見ている。カップ麺にありつけなかったオレをあざ笑っている。部屋の右上、左下、床、正面。どこだどこにいる……その時! インターフォンが鳴った。


 轟く心臓を押さえつけながら出ると宅配業者だった。実家から荷物が送られてきた。サインをして受け取ると鍵をかけて部屋に戻る。段ボールを置いて今度は歓喜の舞。鳥のように両手を大きく羽ばたかせながら段ボールの周りをぐるぐると回る。祭りだ、祭りだ。これからいけにえに喰らいつく。右足と左足を交互に上下させてゆっくりとリズムを刻む。これぞ、コンテンポラリーの動き。よっし、とオレは段ボールを開封した。中に入っていたのはふるさとの食材だ。だが演技は続く。これが万が一すべて腐っていたとしよう。


 オレの感情はすべて猛々しさに変わる。母親はごみを送ってきた。段ボールいっぱいのごみを送ってきた。段ボールを両手で抱えて床へと怒りをあらわに投げつける。だっと中身がぶちまけた。残された感情すべてをかき集めて憤怒する。電話だ、電話をしよう。つながるとオレは母親へ向けて叫んだ。


「ごみ送ってくんじゃねえ!」


 心臓は轟いていた。通話を切ると気持ちを落ち着ける。ぶちまけたごみの中に手紙が入っていた。母ちゃんの文字だ。


——少しだけど生活の足しになさい。


 入っていたのは三万円だった。大金だ。気分一転、なんと愉快な気持ちだろう。福沢さんが笑っている。楽しそうに笑っている。オレは笑っている福沢さんに話かける。


「なにがあったんすか」

「いや、今度ね。オレの名言集が出るでしょう。あれってオレの印税どうなってんだってね」

「結構生生しい話っすね」

「いや、実際そうでしょう。気になるよね印税」


 あの福沢諭吉が印税を気にしているというだけで可笑しくなった。オレは右へ左へ体を揺さぶり楽しさを表現する。愉快だ、愉快だ、笑うしかないだろう。あはは。




 喜怒哀楽をコンテンポラリーで表現するとすればこんな風だろう。全身を使って演じる。ダンスなようでダンスではなく演技の一部。


 そしてふと気づく、動きと一緒に感情が動いていたな、と。そうか、やっぱりひっつめ先輩のいう通りコツは感情なんだ。達観を得て一人頷く。感情をのせないままにお手本を模写しようとするからいけない。演技はすべて自分の身の内から溢れ出るものでないと。


 寝転んで演劇に向き合ったまま天井を見つめていた。床にはひっくり返った荷物、座卓には食べかけのカップ麺がぶちまけている。携帯が鳴っているがおそらく怒った母ちゃんからだろう。それらすべてを無視すると起き上がり銀色の姿鏡の前にあぐらを掻いた。


 自分は無我の境地の中にいて、静かに死を見つめている。ライフォールの鏡は人の死を映す鏡だ。無表情の顔に死相がだんだんと現れ始めて魂をぎりぎりと絞りとっていく。オレはのどに両手を当てた。苦しくなるまで絞める。先ほどまで笑っていた表情が嘘のように青白い。


 やがて電話が止んで振動が止まった。時刻は二十二時、カップ麺はふやけていた。オレは明日舞台の上で死ななくちゃならない。死ねるか、オレは舞台の上で死ねるか。


 静かな夜にただひたすらにオレは死を追い求めている。


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