第1話③ 微笑ましさと絶望と
「えっと……『ハナさん』、ですか? 『ユキさん』じゃなくて?」
俺は自らの心に新たに記録されそうな黒歴史を回避せんがため、もう一度だけ尋ねる。
「え、ええ。そうです。本名の最後の一字を訓読みして『ハナ』、です…」
「…………」
丁寧にニックネームの理由まで説明してくれた。つまりの彼女の名前は『花』がつくということか。あるいは『華』か。その外見に似合う本名に違いない。
いや、今はそんなことはどうでもよくて。
俺は思わず天を仰ぐ。
(ま、まいった……恥ずかしすぎるぞ)
完璧なまでにやらかしてしまった。また一つ、人生のトラウマが俺の胸に刻まれた。
……恥の多い人生を送ってきました(ただし女にはほとんど縁なし)。
「わ、私も一応確認するんですけど、あなたも『リュウさん』ではないですよね……?」
「は、はい。お……ぼ、僕のニックネームは、『アオ』……です」
正直に答える。婚活ネームまで言う必要はないとも一瞬考えたが、彼女がきちんと明かしてくれた以上、自分も言うのが筋だ。
「そ、そうですよね! お写真とかなり雰囲気が違うから、『あれ?』とは思ったんですけど……。でも、明らかにここで誰かと待ち合わせしてる感じだったから一瞬そうなのかなって……」
「あ、なるほど。そういう事だったんですね」
女性のおっしゃる『かなり雰囲気が違う』→『写真と違って全然イケメンじゃなかった』、ということですよね? もちろん口には出さないけど。こんな綺麗な人なら、相手もさぞかしイケメンなことだろう。ルックスのいい男の中からでも選び放題だろうし。
「でも、こんな事ってあるんですね。ちょっと笑っちゃいました」
ハナさんはくすくすと笑みを漏らす。しかし、そこにはやらかした俺に対する揶揄や嘲笑の意図は読み取れない。本当に思わず吹き出してしまったという感じだ。
「はは……確かに。今時こんな風に出会うのも当たり前になってきてる、ってことなのかもしれませんね」
そのおかげで、赤っ恥で嵐が吹き荒れていた俺の心の内も幾分か凪いだ。
「……いきなり声をかけてしまってすみません。大変失礼しました。頑張ってください」
俺は小さく頭を下げる。彼女にも待ち合わせ相手がいる以上、あまり立ち話するのもよくないだろう。
「いえいえ! この場合仕方ないですよ。お互い、良い出会いがあるといいですね」
ハナさんはふんわりとした笑みを浮かべる。いい人だな、この人。
普通であれば、俺みたいな微妙な男が声をかけたら、間違いが判明した時点で、『シッシッ』と追い払われたり、ゴミを見るみたいな目つきで蔑まれてもおかしくない。それをしない時点でホントいい人。
アプリでの出会いなんて、第一印象がすべてだ。
そして、彼女は相手がどんな男でも好感を持つだろう。ルックスだけじゃない。その優しい微笑みや人当たりが良く柔らかい雰囲気を含めて。
良かったな、そのイケメンさん。こんな美人で性格のいい人とマッチングできて。
正直に言おう。くっそう、めちゃめちゃ羨ましい……。
というか、イケメンならアプリでも本当にこんな人と出会えるんだな……。マジでアプリの広告に使われてもおかしくないような人だし。誇大広告じゃなかったのか。
もっと言えば、こんな人ならアプリなんかに出会いを求めてなくても、いくらでも男が寄ってきそうな気がするが。女性しかいない職場とか?
なんて考えていても仕方ない。彼女の相手は俺ではない。
「……ありがとうございます。そちらこそ」
俺は会釈だけして彼女の元から立ち去った。
×××
なんて、ここでクールに去れたら今日一日清々しい気分で終われたのだが。
「…………」
当然ではあるが、俺もここで相手と待ち合わせをしているわけで、ここを離れるわけにはいかない。
「…………」
つまり、またしても気まずい時間を過ごすことになる。10メートル程度彼女とは離れたとはいえ。ハナさんもどんな気分なのかはわからないが、ずっとスマホを見ている。俺も腕時計に目を落とした。
(もう15時10分か……。まだ来ない……。こりゃまたドタキャンだな)
俺はスマホを取り出すと、件の婚活アプリ、『パートナーズ』からメッセージが届いていた。通知を知らせるランプが点滅している。
(ほら来た)
一瞬、スワイプしようとする手が止まる。
見たくない。そんな意識が俺を硬直させた。
ほんの少しだけ、『すみませんー! 少し遅れますー!』なんて内容じゃないか、と期待してしまっていた。そんな可能性に縋る自分がいた。
……そんなわけがないのに。
『すみませんー、急に風邪ひいちゃって行けなくなりましたー笑』
……ほら。
これが現実だろ? おい、目を逸らすなよ、高槻碧。
一応、正社員の職にはついていて、年収も同年代平均よりは多少だが上。非リアで暗い学生時代を生きてきたが、社会人になってどうにか巻き返せたと思っていた。
正直に言えば、これだけでイケると考えていた。ルックスがイマイチでも、コミュ力がもう一つでも、何とかなると甘く見ていた。昔の俺とは違う。どうにか最低限のレベルは上回れたと。
でも、それだけじゃ誰も相手になどしてくれない。そんな現実を思い知るだけの半年間。
ものすごく非常識なことをされたのに、ユキさんに対する怒りは不思議と湧いてこない。ただ悲しいだけ。空しいだけ。みじめなだけ。それはきっと、俺が自分自身で自分のことを、『会うほどの価値もない奴』とどこかで思っているからだろう。
……何度、こんなピエロを演じればいいんかな。
俺は長い長い深呼吸をした。心に押し寄せる、暗くて濁っていて淀んだ感情を少しでも吐き出してくて。
(帰ろう。早く帰って、美味いコンビニスイーツでも買って食べよう)
……そして、決意する。
もう、婚活なんて辞めよう。