5.レモン味
「ということがこの前ありまして…」
「そうか…。御手洗先生は間違いなく前世持ちだろうな」
「なんでこう、前世持ちがポンポン出てくるの…?」
「まあ、先生が前世持ちのおかげで俺達は助かったけど…」
頭を抱える私に九条が正論を言ってきた。
確かに先生がいなかったら今頃私達はここにいなかったかもしれない。それに関しては本当に感謝している。自分達で何とかできるだろうという甘い考えが命を危険にさらしてしまった。体調が治った後に改めて先生にお礼を言いに行った際、にっこり爽やか笑顔でお説教を受けたのは記憶に新しい。
九条もあの事があった後何だか思い詰めていたようだったけど、今は大丈夫そう、なのかな?
さりげなく九条の横顔を伺うと視線に気がついた彼がこちらをみた。
「ん、宮永も泳ぎたくなったのか?」
「ううん、そうじゃないよ」
私は視線を前に戻すとパシャリと水面を足で蹴った。まだまだ暑いこの時期、水の冷たさがとても心地いい。同じくプールサイドに隣同士で九条が座っており、足を水につけて涼んでいるようであった。
ちなみに誤解のないように言っておくが断じてこれはデートとかではない。
私達の他にも私の妹である陽菜子、九条の妹である紗良ちゃんもここ、近所の市民プールに来ているのである。どうやら陽菜子が紗良ちゃんをプールに誘ったところ心配性な九条が付き添うという話になり、それなら九条の友達であるお姉ちゃんも来てよと言われて何故か私も同行するはめになったのだ。
こんなところを知り合いに見られたらなんと言われるか…。
ちなみに親友の小桜千代も誘ったのだがばっさりと断られた。
まあ、市民プールより二駅隣の色んなタイプのプールがあるレジャー施設のほうに行く人は多いだろうけれど。
「九条は泳がなくていいの?」
隣同士で仲良く座っている姿を誰かに見られる心配もあるが、それ以上に私に付き合って一緒にいるのであれば申し訳ない。一応水着に着替えてはいるが泳ぐつもりはなかったため私はパーカーを来たままであった。
九条は楽しそうに遊ぶ陽菜子と紗良ちゃんをチラリと見た後同じく着ていたパーカーを脱ぎ始めた。
「…じゃあ少し泳いでくる。何かあったら言って」
そう言うと彼は陽菜子達がいるところとは仕切られた、主にひたすら泳ぎたい人用のレーンで泳ぎ始めた。
「遊ぶというより、あれはトレーニング…」
水しぶきをあまりたてずにすいすいと泳ぎ続けている。九条から預かったパーカーを濡れないように抱え直すと私はそっと目を閉じた。
先程よりも話し声や水しぶきの音が鮮明に聞こえてくる。ゆっくりと深呼吸をして意識を集中させると誰にも聴かれないくらいの小さな声で聖歌をうたう。
思い出すのは夏祭りの河川敷での事だ。川の水を聖水に変えるという今考えれば無謀な事をしたが、それは今の私の場合であればである。おそらく前世であればできたはずなのだ。散々前世のことは遠ざけたがっている私だがこんな力がある以上は守るための力はつけておきたい。
水につかっている足もとからゆっくりと広がっていくように少しずつ聖水へと変えていく。どれくらい時間が経ったのか。プールの水を全部聖水に変え終わったと感じてから閉じていた目を開く。するとすぐ隣に人の気配がしたのでそちらを見上げると怖い顔をした女の子が立っていた。
「やっとこっちを向いたわね!私が話しかけてるのに無視するなんていい性格してるじゃない!!」
高い声で叫ぶから思った以上に響いてしまっている。近くで叫ばれた私はあまりの煩さに顔をしかめてしまった。
「お怒りのところ悪いけどもう少し声のボリュームを下げてくれませんかね…えーと…」
「隣のクラスの黒川恵美よ!」
「あー、その、黒川さんは私に何か用事が?」
「ほんっと腹立つわ!」
「えー…」
話しかけられてたのを結果的に無視してしまったのは悪いけど話を聞いてくれないのはいただけない。というかこの子とは同じクラスになったことないし顔だけは知っているレベルなのだけれども。
正直めんどくさいなと思っていると彼女の後ろから見覚えのある子達が歩み寄ってきた。おそらく一緒に来たお友達なのだろう。
男女混合グループか、青春だねぇ。
…ん?何だかよく見知った顔が1人いるではないか。
私は九条のパーカーを持ち直すとそっと立ち上がった。
「黒川さん、声かけてもらってたのに無視してしまってごめんね。ちょっと私トイレに行きたいから、また後でいいかな」
「ちょっとどこに逃げるともりなのよ」
だからトイレだよ。
話を聞いてくれない彼女にこちらもげんなりとしてくる。
「大体その水着はなに?ただのスクール水着じゃない」
おっしゃる通りただのスクール水着ですが?
妹達は可愛い水着を着ているが別に私は着たいとも思えなかったし水着を買うぐらいなら新しい洗剤類を買いたい。
だがそんなことを言っても彼女は分かってはくれないだろうな。フリルのついた可愛い水着を見せびらかすように胸をはってくる。
「おい、黒川変に絡むのはやめろよ」
「中村君…違うのよ、私は宮永さんにアドバイスしてあげてただけなの。断じて絡むなんてそんなことしてないわ」
黒川さんから逃げ出せずにいると彼女のお友達グループの中からよく見知った人物、中村がやってきた。
「大体俺だってスクール水着だけど」
「中村君はいいのよ!」
私と話してた時よりワントーン高めの声で話す黒川さんを見てピーンときた。おそらく彼女は中村のことが好きなのかもしれない。そういえば千代ちゃんが中村の事を顔だけはイケメンと言っていたな。確かによく見たら整っているのかもしれないが中村の普段の言動が悪くてイケメンに見えない。黒川さんは面食いなのかな。
まあ、そういうことなら2人っきりにしてやろうとさりげなく逃げ出そうとすると黒川さんがバッとこちらを振り向いた。
「ちょっとどこに行くのよ」
「うわっ…ちょ…っ」
すでに背中を向けていた私のパーカーを黒川さんが急に掴むからバランスを崩してしまった。
プールサイドで変にこけて膝を擦りむくよりはプールの方に飛び込んだほうがましかなと思ってしまった私はとっさに持っていた九条のパーカーを手放した。
中村が助けようと手を伸ばしてくれていたが間に合わない。
私はバシャンと大きな水しぶきをあげてプールへと飛び込んだ。体を慣らさずに入ったせいか水がものすごく冷たく感じる。すぐに起き上がろうと思ったのだが、先程私が聖水に変えたためか水の中はひどく居心地がよくて少しだけ身を委ねていると誰かに腕を引っ張られた。
「ぷはっ……」
「大丈夫か!?」
水面から顔を出すと、そこには心配そうな顔でこちらを見つめる九条がいた。
「ご、ごめん驚かせちゃったね。ちょっと足を滑らせちゃっただけだから大丈夫だよ。あ、でも九条のパーカー濡れちゃったかもしれない!」
パーカーが無事かどうか確かめようとすると九条がぎゅっと抱きしめてきた。
「ちょっと九条?どうしたの、離して?」
さすがに抱きしめられている姿を見られるのは恥ずかしい。離してもらおうと九条の背中をバシバシと軽く叩くと彼は小さな声で呟いた。
「また、失うかと思った…」
「九条……」
彼はそう言うとまるで私の存在を確認するかのようにさらに抱きしめる腕に力をこめた。もしかしたらこの前の河川敷で溺れかけた私を思い出してしまったのかもしれない。
九条の中では意外とトラウマになっていたのかなあ…。そりゃあ目の前で人が死にかけたら忘れられないよね。申し訳ないことしたなぁ。
今度は安心させるように背中をポンポンとしていると妹の陽菜子が突っ込んできたため九条の腕がはずれた。
「お姉ちゃん大丈夫!?」
「大丈夫だからひなはとりあえず落ち着きなさい」
「だってお姉ちゃんこの前溺れたんだよ?とりあえずほら、上がった上がった」
妹に背中を押されてプールサイドに上がる。水を含んだパーカーは重くなってしまったため脱ぐと、九条が自身のパーカーを私にかけた。
「嫌じゃなきゃ羽織ってて」
「あ、ありがと…」
九条は紗良ちゃん以外にも過保護だなあと思いながらも、ちょっぴり照れくさく感じている自分がいて思わずパーカーを握り締めてしまった。
「宮永大丈夫か?怪我は?」
「大丈夫大丈夫。何ともないから」
中村も心配して駆け寄ってきたが本当に何ともないのでお願いだからこれ以上大袈裟にしないでほしい。水の中に飛び込んだだけなのにそこまで皆に心配されると恥ずかしくなってくる。中村の後ろに黒川さんも立っていておずおずと前に出てくると勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい」
「あ、いや、私が足を滑らせちゃっただけだから」
「さっきのは私が悪かったもの。本当にごめんなさい」
「わ、分かったから、もう頭をあげて?」
そう言うとやっと彼女は頭を上げてくれた。話を中々聞いてくれない人だったから正直謝罪してきたことに驚いた。
ちょっと暴走しちゃっただけで普段はいい子なのかな。
「宮永さん」
「はい?」
「私、あなたには負けないから」
「え?」
謝罪の時とは打って変わって彼女は私を睨み付けると踵を返した。
「おい黒川…っ。…ごめん宮永」
中村は去っていく黒川を呼び止めようと声をあげたが歩みを止める気配がないと分かると私の方を向いて謝罪してきた。
「何の謝罪?中村何もしてないよ」
「俺が黒川を止められてたらプールに落ちる事にはならなかっただろ…」
「尚更中村は関係ないでしょ。そんな辛気くさい顔されるとこっちも調子が狂うんだけど?」
「…やっぱりお前は可愛くねぇ」
「ああん?」
喧嘩売られてるのかな、私。
可愛くなくてもわざわざそれを口に出す必要性が感じられないんですけど。
頭の中で中村をしめる想像をしていると心配してくれていた紗良ちゃんが間に入ってきた。
「お姉ちゃんは可愛いもん!」
「そうだそうだ!潔癖症でお洒落よりも新作の掃除グッズばかりに目を輝かせてる時のお姉ちゃんなんてめちゃくちゃ可愛いんだぞー!」
紗良ちゃんに続いて妹の陽菜子も謎の主張し始めたため、とりあえず私は陽奈子の口をふさいでおいた。もごもごと何か抗議しているようだが、何てことを言ってくれたんだこいつは。中村が残念な目でこちらを見ているではないか。九条にいたっては何故か納得するかのように頷いている。
「とりあえず中村は友達のところに行きなよ。呼んでるみたいだよ」
しっしっと追い払うかのように手を振ると中村は顔をしかめながらも友人達の方へと戻っていく。陽菜子達にもプールに戻るように促すが疲れたというので私達はそのまま帰ることとなった。
着替え終わった後、小腹が空いたと陽菜子が言うため私達は帰り道の途中にあった駄菓子屋に立ち寄った。ソースがかかったたこ焼きをせんべいで挟んだたこせんにかじりつく陽菜子と紗良ちゃんを横目に私はどのアイスを食べるかで悩んでいると九条が近寄ってきた。
「決まらないのか?」
「このソーダ味のを食べようと思ったんだけど…ほらこれ。新作でレモン味のやつが出てるの」
この前御手洗先生と半分子にしたアイスのレモン味が出ていたので気になったのだ。悩んだ末にソーダ味の方を選ぶと九条はレモン味のアイスを手に取った。
ああ、やっぱりレモンにすれば良かったかなとアイスを口に含んでいると九条が半分子にしたレモン味のアイスを私に渡してきた。
「え、私そんなに物欲しそうな顔してた!?ごめん!」
「そうじゃないけど、さっき迷ってたから。俺も気になったし」
「うぅ…ありがと…」
食い意地はってる自分が恥ずかしい。九条から受け取るかわりに私もアイスを差し出した。
「こっちも食べてみる?」
「……あぁ」
九条は一拍置いてから私が差し出したアイスを一口食べた。シャリッと氷が砕ける音がする。
「ん、うまい」
「レモン味もさっぱりして美味しいね」
2人でアイスを食べているとたこせんを食べ終わった陽菜子も食べたくなったのか紗良ちゃんと仲良くアイスを半分子にしていた。
たまに通り抜ける風が店前に吊るされている風鈴を鳴らしてゆく。
アイスが溶けて落ちそうだと騒ぐ陽菜子を皆で笑いながら、私も溶けないうちに最後のひとかけらを口に含んだのだった。