4.溶けたアイス
本格的に暑くなる前の午前中、蝉の声を聞きながら私は掃除道具と飲み物を持って近所の神社へと来ていた。
住宅街の中に突然ポツンとあるこの神社は周囲よりも小高い所にあり、周りは木で囲まれているせいか薄暗く、参拝にきている人をあまり見たことがなかった。
長い階段をのぼりきっても木が邪魔して景色をみることはできないし、こう言っては何だが、社もおんぼろで何を祀っているのかよく分からなかった。けれどもこの土地の管理人が手を入れているのか、壊れかけていた所はいつの間にか修繕されていたり、落ち葉が片付けられていたりするので誰かしらはここに訪れているようだった。
かくいう私も定期的にここを訪れていたりする。
薄暗いしおんぼろだから私みたいな子供は普通来ないだろうけど、聖女としての力を持つ私としてはこの神社はとても居心地が良い場所だったのだ。空気が澄みきっているというか、とにかくここには穢れがなくてとても安心できる場所なのだ。もちろん手を入れずに荒れてしまえばここも穢れがたまってしまうだろうから、私もここに来た際には軽く掃除をして帰るのだ。
「暑くなる前には帰らないとなあ…」
木々の間からのぞく空を見上げると先程よりも太陽が高い位置へと移動していた。
私は参拝をしたあと、社の裏にある小さな物置小屋に行って熊手を拝借した。目につく落ち葉を集めた後は持参した手袋をはめて雑草を取り除いていく。
心地よい空間でリラックスできていた私は誰もいないことを良いことに小さな声で歌い始めた。何も考えずにまともに歌えるのは前世で何度も繰り返した聖歌だった。
音痴だと馬鹿にされたため人前で歌うのは嫌いだったが、歌うこと自体は好きなのだ。歌うことで周りが澄んでいく感覚が好きで誰もいない時を選んではよく歌っていた。
初めは小さな声で歌っていた私だが気分がのってきたのか段々と声が大きくなっていく。そのせいか声をかけられるまで誰かが来ていることに気付くことができなかった。
「これは、良いものを聴かせてもらいました」
「!?」
バッと振りかえるとそこにはよく見知った人が立っていた。
「み、御手洗先生…?」
「すみません、驚かせてしまいましたね」
「えと、どうしてここに?」
「参拝ですよ」
そう言うと先生は社の方に行き参拝をして私の方へと戻ってきた。
「少し休憩でもしませんか?」
「え?あ、はい…」
戸惑いながらも先生に促されて一緒に階段に座る。
「ここ、座ってもいいんでしょうか?」
「うーん、本当は良くないけど人はほとんど来ないし、狭量でなければこれくらい神様も許してくれるでしょう」
「そ、そうですかね?」
何だか落ち着かない様子の私に先生は軍手を取るように言うと、手に持っていたビニール袋からアイスを取り出した。半分に分けることができるタイプのアイスで先生はその半分を私に渡してきた。
「ありがとうございます!」
私は汚れた手をウェットティッシュで拭き取ると先生にお礼を言いながら受け取った。パクリとアイスを口に含むと冷たさとソーダ味が口一杯に広がっていく。
夏はやっぱりアイスが美味しい!!
溶けないうちにと素早く食べていると隣からクスクスと笑う声が聞こえてきた。
「お口にあって何よりです」
「うっ…先生も早く食べないと溶けてしまいますよ…」
「そうですね」
アイスに夢中になっているところを笑われてしまった。
絶対子供っぽいと思われた!
いや、まだ子供なんだけど、恥ずかしい!!
きっと赤くなっているだろう顔を隠すために私はそっぽを向いた。
「宮永さんもよくここに来るんですか?」
「たまにです。ここは人がめったに来ないし雰囲気が落ち着くんです」
「分かります。私も疲れた時とかによく来るんですよ」
「え、じゃあもしかして私、お邪魔でした?あ、私もう帰るので先生はゆっくりしていって下さい!」
「あぁ、すみません。今のは私が悪かったですね。もう少し私に付き合ってくれませんか?」
「は、はい…」
私はあげかけていた腰をそっと下ろした。
何か話があるのかなと思って心の中で構えていたが先生は前を向いて黙ったままだった。時折木々の間から通り抜けてくる風が2人の髪の毛を優しく揺らしていく。お互い無言のまましばらく時間が過ぎた後、先生がやっと口を開いた。
「先程歌っていたのは何という歌でしょうか」
「え!?あー…、あれは何だったかなぁ。昔に聞いた歌なので忘れてしまいました。あははは~」
「そうですか…忘れてしまったなら仕方ないですね」
び、びっくりしたー!
さっきの私の音痴な歌声を聞かれていたのかと思うと恥ずかしくてたまらない。
それにしてもやはり先生は前世の記憶があるのだろうか。分からないけれど、いま歌について突っ込んでくるなんて裏がありそうだ。
「宮永さんは…」
「はい!?」
「そんなに身構えなくても大丈夫ですよ」
「すみません…」
また先生がクスクスと笑うから、早く話をすすめるために私はわざとらしく咳払いをした。
「それで、何ですか先生?」
少し拗ねたような言い方になってしまったが、先生は気にしていないようだった。笑うのを止めると穏やかな表情で先生がこちらをみた。
「宮永さんは前世というものを信じていますか?」
ハッと息を飲んだ。
「…前世、ですか?」
「今とは別の人生を歩んだ記憶があることです」
「テレビとかできいたことはあります。でも、どうなんですかね…」
「前世は信じないほうですか?」
「……そんなもの、ないほうがいいと思います」
膝に置いていた両手を握りしめる。
思い出すのは聖女として利用されるだけされて死んでいった前世の自分。そんな記憶やこの聖女の力がなければもっと普通に過ごせていたのではないか。考えても仕方ないことなのに前世を思い出す度に考えてしまう。
「私は前世があっても良いと思いますけどねぇ」
「…先生は前世とか信じるタイプなんですね」
「あったらいいなとは思いますよ。前世で出来なかったことを現世でやり直すことができたら素敵だと思いませんか?」
「そこまでして先生はやり直したいことがあるんですか…?」
「そうですね……やり直すというより、会いたい人ならいます」
そう言うと先生は視線を前へと向けた。懐かしむように、焦がれるように木々で隠れてしまって見えないその先を見つめている。
「…その人とは連絡を取れないんですか?」
「うん…どこにいるのか分からなくてね。諦めかけたこともあったけど…いつか、きっと会える。そう思えるようになったよ、宮永さんのおかげでね」
「ぇえ?なんで私ですか?」
急に自分のおかげと言われても意味が分からない。しかしどういう意味なのか聞いても先生はただ笑うだけで説明してはくれなかった。
「さあ、暑くなってきましたしそろそろ帰りましょうか」
「…はい」
ゴミを回収した先生は立ち上がると私にも帰るように促した。私も立ち上がり軽く洋服をはらってから鞄を持って階段を下り始める。先に階段を下っていく先生の背中を見つめているとふと、誰かの姿が重なって見えた気がした。
あれは……。
「宮永さん、どうかしましたか?」
いつの間にか足を止めていた私を先生が振り返り不思議そうに見つめていた。
「いえ、何でもありません」
私はそう返事をすると先生のところまで一、二段飛ばしながら駆け下りていった。
「今日も暑くなりそうですね、先生」
「ええ、そうですね」
木々からこぼれ落ちる日差しをあびながら、私達は階段をひとつひとつ下りていくのだった。