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謀婚 帝国編  作者: 樫本 紗樹
一章 皇太子妃アナスタシア
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父との再会

 アナスタシアは実家に手紙を書いた。手紙のやり取りはとても気を遣う。何故なら必ず皇帝の側近に検閲されるからである。皇帝に不都合な事でも書いてあろうものなら、その手紙を理由に命を奪われてしまう。

 アナスタシアもルイを出産してシャルルに叩かれた後、実家宛に現状を訴える手紙を書こうとした。しかし検閲がある事を女官に教えられて書けなかったのだ。ルイが生まれた事は帝国内に告示されていて、実家からも祝いの手紙は届いたが、彼女は当り障りのない返事しか書けなかった。だが、父ならその表面的でしかない手紙の意味を理解してくれると彼女は信じていた。


 結婚前に世話をお願いしていた花は咲きましたか、という問いかけに対し、それがなかなか思い通りに咲いてくれず困っているという返事が来た。ガレスのとある公爵との交渉はまとまっていないのかと思うと、彼女はやるせない気持ちになった。嫁いでから既に七年が過ぎている。自分はこのままこの皇宮で、何もせず暮らすしかないとは思いたくなかった。


 アナスタシアは帝国語を話し始めたナタリーに再び北方語を教え始めた。いつ何が起こるかわからない。ルイと同様、ナタリーが生まれた事も帝国内に告示されている。ナタリーは皇位継承権を持っていないが、彼女が将来男児を出産すれば皇位継承権が与えられる。それ故に、シェッド国内ではナタリーを嫁に欲しいと思っている勢力が一部いる。勿論、皇帝の所業は皆が知る所なので、現状は誰も口にはしていない。

 ナタリーは順調に成長していった。何が皇帝の怒りに触れるのかわからないので、家庭教師の一人でさえもアナスタシアには手配が出来なかったが、ナタリーは母親の言う事をきちんと聞くいい子に育っている。シャルルはあまりナタリーと関わろうとはしない。もしかしたら清貧の教えを守り、地味に生活しているのが気に入らないのかもしれないと、彼女は彼の態度を特に咎めなかった。

 ジャンヌ及びシルヴィとデネブは派手に生活をしている。好きな服を着て、煌びやかな宝飾品を身に着け、食べたい物を食べる。一方、アナスタシアは皇太子妃であるにもかかわらず地味な服を着て、宝飾品は身に着けず、食事の質と量は控えめだった。それでもアナスタシアはこれだけ苦労を強いられているのだからと、少しだけ贅沢をしている。パンがライ麦ではなく、輸入品である小麦で作られているというだけだが、彼女にはこれで十分だった。



 ナタリーと共に過ごすうちに、アナスタシアの心は落ち着いていった。ルイを取り上げられた事を恨む気持ちは薄れ、死産だと思い込む事もなくなった。だがルイを自分の息子と認識するようになったからといって、彼女に出来る事はない。ルイの周囲には常に皇帝が選んだ者達が侍っており、彼女だけでなくシャルルでさえも近付けない。彼女が三人目を出産しないのでルイは過剰に大切にされ、またシャルルが皇太子らしく振舞わないので過剰に期待もされている。遠目で見るルイはとても危なっかしい子供に見えたが、彼女はそれに対して何もしなかった。万が一、火の粉がナタリーに降りかかるのが嫌だったのである。

 だが、アナスタシアが見て見ぬふりをしたが為に事件は起こる。



 アナスタシアがシャルルに嫁いでから十二年が過ぎていた。皇宮の中に閉じ込められている彼女には、帝国内の動きが全く見えない。ミハイルとの手紙のやり取りで、徐々に皇帝の圧政が強まっているような感じはするが、所詮ごまかしの手紙なので詳細がわからない。

 そんな時、母国から使節団が来る事になった。ミハイルは常々娘の様子を気にして、何とか会えないものかと色々と手を尽くし、やっと叶ったのだ。皇帝はローレンツ公国への軍事行動の準備を着々と進めており、背後に当たるコロリョフ家からアナスタシアを嫁がせたのも、人質としての意味合いが強い。それを理解したミハイルが、娘は殺されていて会わせられないのではないか、もしそうならこちらも考えがあると匂わせたのだ。帝国内の中でもとりわけ信仰心の強い北方は、毎年皇宮に納める寄付金の額が多い。この収入がなくなるのも困れば、第二の公国として独立をされれば帝国を維持出来なくなる可能性もある。それ故仕方なくアナスタシアに限って面会を許したのである。


 アナスタシアはナタリーも連れていこうと思ったのだが、皇帝から許可が出ているのは貴女だけですと皇帝の護衛に冷たく言われて諦めた。要らぬ揉め事でナタリーを危険に晒すのは嫌だったのである。彼女はナタリーと暮らす為に、諦めるという事を覚えていたのだ。

 ナタリーにはいい子にしているのよと言い置き、アナスタシアはミハイルの待つ来賓の間へと向かった。部屋の中にはミハイルと執事が待っていて、彼女は自然と笑みを浮かべる。それはイーゴリがいなくてほっとした部分もあった。もしイーゴリの中で自分の存在が消えている状況を目の当たりにしたら、彼女は動揺を隠せないかもしれないと不安だったのだ。彼女の心の奥には今でもイーゴリがいるのである。

 アナスタシアは一礼をするとミハイルの正面のソファーに腰掛けた。

「ご無沙汰しております」

「あぁ、久しぶりだ。息災であったか」

 親子の再会とはいえ、皇帝に忠誠を誓った護衛が見張りをしている中である。会話は北方語でも見張りが北方語を理解するかもしれないので、アナスタシアは核心に迫るような事を口には出来ない。

「えぇ。元気にしております。シャルル殿下が色々と気遣ってくれますから」

 アナスタシアは微笑んだ。実際この言葉に嘘はない。シャルルなりに彼女の事を気遣っていた。子供を産ませない事が何よりの気遣いだと彼女も思っている。

 ちなみにジャンヌの存在は皇宮内のみで完全に抑え込まれている。ミハイルもその事は知らない。見張りがいるのでアナスタシアも口にする事は出来ないが、父に言うつもりは最初からなかった。彼女にとってもジャンヌは必要な女性であるが、それを周囲が理解しない事はわかっている。

「子供達はどうなのか」

「二人とも元気ですよ。ルイは陛下から寵愛を賜っておりますし、ナタリーにはそろそろルジョン教について本格的に教えようと思っています」

「本格的に教えるのは構わないが、農作業はさせてはならない」

 ミハイルの言葉にアナスタシアは微笑む。

「流石に皇女と伯爵家の娘との違いは存じております。マリー様に祈りを捧げ、帝国内の国民達が皆幸せになれるように、そう考えられる心優しい娘であるようにと育てています」

「孫に会えないのは残念だが、身分が違うので弁えろと言われるとどうしようもなくて、な」

「私の子供ではありますが、マリー様の末裔でもありますから。ルイもナタリーも健康に育っていますので安心して下さい」

 アナスタシアはあえてルイという言葉だけ抑揚をなくした。実際ルイが健康かどうかなどわからない。体は丈夫そうであるが、内面が見えないのだ。

「そうか。そう言えば例の花だが、枯れてはいないのに上手く咲かない。植木鉢で一輪持ってきたから見てほしい」

 ミハイルは後ろで控えていた執事に視線をやると、執事は植木鉢を机の上に置いた。花はあくまでも例えであり、実際アナスタシアは嫁入り前に何も頼んでいない。しかし植木鉢には兎耳草が植えられている。これは葉の形が兎の耳に似ている草で、花が咲きにくい品種である。彼女はそれほどまでに難航しているのかと内心落胆したものの、それを何とか表情に出さないように取り繕った。

「少し成長しすぎている気がします。剪定をするといいかもしれません」

「成程。早速戻ったら試してみよう。もしよければこの鉢を渡したいのだが、いいだろうか。これは北方にしか咲かない珍しい物だから、ぜひ孫に見せてやってほしい」

 アナスタシアは返答に困り、見張りの護衛に帝国語で説明をする。護衛は嫌な顔をして、毒草の可能性があるので許可出来ないと突っぱねた。兎耳草には毒性などないが、北方にしか咲かない花である故に、証人を皇宮内で探すのは難しい。

「では私が今ここでこの草を食べて毒草でない事を証明しますから、それなら許可を貰えますでしょうか?」

 正直、生の草など食べたくはない。それでもミハイルがあえて持ってきたものだから、何か意味があるだろうと思い、アナスタシアはこの植木鉢を部屋へ持ち帰りたかったのだ。護衛はそこまで言うのなら食べてみろと言うので、彼女は葉の部分を小さく千切ると口の中に入れた。護衛は呆れた顔をしたが、部屋の中で育てればいいと面倒臭そうに許可をした。彼女は笑顔で護衛に礼を言う。

「父上、花が咲きましたら手紙を書きますね」

「あぁ、私も領地で花が咲けば手紙を書こう」

 アナスタシアとミハイルは笑い合った。部屋に戻ったら植木鉢の中身を確認しよう、彼女はそう思いながら久方ぶりの父との会話を楽しんだ。

兎耳草は空想上の植物です。

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