その後の皇妃と皇女
今冬のシェッド帝国は珍しく暖かかった。積雪も少なく、アナスタシアはシルヴィを連れて各地の修道院や簡易宿を見回った。聖堂の司教達も信仰心の高い者に一新されており、そちらも巡った。アナスタシアは独身の聖職者達をシルヴィに紹介し、もう少し話してみたいという人に出会ったら遠慮なく言うように伝えていた。しかし、シルヴィは何十人と紹介されたにもかかわらず、この人だと思う人に巡り合えていなかった。
積雪が少なかった為、例年より早く雪が解けた。昨秋に各地へ依頼したライ麦が芽吹き始めているという報告を聞いて、アナスタシアはシルヴィを連れてとある村へと向かう事にした。そこはジェロームが最初に秋蒔き用の種を渡した村である。
「皇妃様!」
アナスタシアの姿を確認し、村民達は農作業の手を休めて彼女の周りに集まる。彼女は優しい微笑みを浮かべた。
「ニコラさん、お元気でしたか」
「減税と皇妃様に貰った芋などのおかげで冬を無事に乗り越えられました。そして貰った種も芽吹いています」
ニコラは嬉しそうに畑を指し示し、アナスタシアはそちらに視線を向ける。雪の下で力を蓄えたライ麦はすくすくと成長しており、あと少しで収穫出来そうに見えた。
「あちらには芋、向こうは燕麦を植えています。このまま気候が落ち着いていれば次の冬も問題なく越せそうです」
「それは何よりです。何か困った事があれば遠慮なく教えて下さい」
「今は十分すぎるくらいです。秋にはマリー聖堂に巡礼しに行こうという話も出ています」
「それはいい考えですね。マリー様もお喜びになられます」
この村は帝都からあまり離れていないので巡礼の旅は難しくない。それでも今までその余裕がなかった。これが全国に広がればいいとアナスタシアは微笑む。
「マリー聖堂の後は是非、城内の修道院にもいらして下さい。私達がささやかながら、おもてなしをさせてもらいます」
微笑むアナスタシアの横に控えていたシルヴィは、気持ちを表に出さないように微笑む。シルヴィはジェロームにレヴィ王国内を案内されたからわかる。この農村の暮らしが決して十分ではない事が。それなのに満足そうな彼等に水を差すような言葉を口にする気はない。そもそも国の成り立ちも歴史も違うのだから、同じように発展させられるものではない。ルジョン教徒にとって暮らしやすい国を目指すのが正しいのだとシルヴィはわかっていた。だからシルヴィはアナスタシアと同じく清貧の暮らしをしている。修道服で出歩く事も、質素な食事にも不満はない。今はただ皇女として認められる為に必死に毎日を生きている。
「先程簡易宿にも寄りました。綺麗にして頂きありがとうございます。管理は大変でしょうが、今後も宜しくお願いします」
アナスタシアは簡易宿の管理を近隣住民にお願いしていた。全国から巡礼出来るように、ルジョン教徒が力を合わせて維持しようという試みである。中央が管理するのはあくまでも建物のみ。建物内の清掃などは周囲の者達が協力して担当している。
「儂等は皇妃様のおかげで餓死せずに済みました。皇妃様のご依頼なら喜んで協力します」
「皆さんが冬を越せたのは、皆さんの努力をマリー様が見守って下さったからですよ。これからも収穫量を増やせるように頑張っていきましょうね」
アナスタシアが笑顔でそう言うと、集まっていた村民達は其々頷いた。アナスタシアは常に女神マリーのおかげといい、自分は何もしていないと言う。シルヴィはアナスタシアに一生敵わないだろうと思っていた。女神マリーの教えに沿って生きる事がアナスタシアの中では当たり前でも、シルヴィは未だその領域まで達していない。皇宮襲撃前と比べればかなり考え方は変わったが、シルヴィは女神マリーの存在を完全には信じられないのである。凶作続きだったシェッド帝国でこうして作物が収穫出来るようになったのは、シェッド中央が正しい道を歩き出した事による女神マリーの恩恵と言えるかもしれない。だが、シルヴィにはアナスタシアの長年の努力が実っただけとしか思えなかった。
「ナーシャ様」
帰りの馬車の中でシルヴィはアナスタシアに声を掛けた。アナスタシアは優しく微笑みながら、続きを促す。
「ナーシャ様の親族でいい人がいたら紹介してほしいのだけど」
シルヴィは結局この人だと思える男性をシェッド中央で見つけられなかった。アナスタシアには兄がいるのだから、その息子なら立派な人かもしれないと思ったのだ。
「二世代続けて北方出身となると他の地域から苦情が出るでしょう。中央で難しいのなら北方以外に目を向けてみて下さい」
皇妃としてアナスタシアは誰からも支持されているとシルヴィは思っている。だが、アナスタシアの親族も敬虔なルジョン教である保証はない。実際息子であるルイはルジョン教徒とさえ言えるかわからない。また、北方が中央を乗っ取ろうとしているとあらぬ噂が立つ可能性もある。シルヴィは自分の短慮を反省した。
「でも私はルイと違って帝国語しかわからないから、他地域は難しい気がする」
「北方もそうですよ。私も嫁ぐと決まってから勉強をしました」
「そうなの?」
シルヴィは驚いた。アナスタシアの話す帝国語に違和感などない。てっきり北方は帝国語と北方語の二ヶ国語が当たり前の地域だとシルヴィは思っていたのだ。
「そうなのですよ。ですから言葉の問題は後回しでも大丈夫だと思います」
ジェロームの帝国語も違和感がない。だが、彼は元々レヴィ語と帝国語の二ヶ国語が使えるように教育されていた。それは母親であるアデルが教えていたからだ。アデルは国境の町で生まれ育ち、その町は二ヶ国語が話せる者が多いのである。
「ジェロームの出自が気になっているのなら、気にしなくてもいいのですよ」
「出自は気にしていないわ」
帝国から連邦制に移行するにあたって、皇宮内にいた軍人達は解雇された。本来なら戦いを好まないシェッド帝国に常備軍がある事自体がおかしいのである。その後はそのまま警備担当になるか修道士になるか実家に戻るか、本人の自由とされた。ジェロームもシルヴィの護衛騎士は解雇となり、現在はアナスタシアの下で働く修道士となっている。勿論、彼は武器を持たずとも十分護衛としての腕があり、今も御者席で周囲を警戒している。
「ジェロームならシルヴィをとても大切にしてくれると思いますよ」
アナスタシアに優しく言われ、シルヴィは曖昧に微笑んだ。護衛騎士の任を解かれたジェロームは、以前のようにシルヴィの側には侍っていない。手を触れる事も、愛を語る事も、妙な視線を向ける事もなくなった。それ故にシルヴィは皇妃配下の修道士と皇女という一線を引いた付き合いをしている。
「ナーシャ様は父上に大切にされていると感じる?」
「必要とされているとは感じます。私にはそれだけで十分です」
シルヴィは必要と呟く。ジェロームは必要とされたいと言っていた。彼にとって自分は必要なのだろうか。アナスタシアに必要とされているのはわかる。わからない事は丁寧に教えてくれるし、無理をせずゆっくりでいいと常に気を遣ってくれていた。だが、距離が開いてしまったのでジェロームが今何を考えているのかはわからない。エドワードが自分に子供を産ませたがっている以上、その任務を遂行しようとしているだけかもしれない。そしてこれから生きていく上で彼が必要なのか、自分の事なのに彼女はわからなかった。
「選択肢がある事がこれほど難しいとは思わなかった」
「それでも私はシルヴィに選んでほしいと思っています。強制は辛いものですから」
「父上との結婚は嫌だったの?」
「私達はお互いに望んだ結婚ではありませんでした。色々と辛い事もありましたけれど、今は幸せです」
アナスタシアは穏やかに微笑んだ。その笑みは本当に幸せそうで、シルヴィもつられて微笑む。
「自分が幸せでないと他人に優しくするのはとても難しいのですよ。そういう意味でもシルヴィには幸せになってほしいと思っています」
アナスタシアの言葉にシルヴィは頷いた。ここまで苦労してきたであろうアナスタシアの期待に応えたいとシルヴィは思っている。そろそろ結婚相手を誰にするのか答えを出そうと決めた。




