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謀婚 帝国編  作者: 樫本 紗樹
一章 皇太子妃アナスタシア
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逆襲の筋書

 アナスタシアは死産だったと思う事にした。ルイは自分が産んだ息子ではない、あれは皇帝が用意した偽者。そう思う事で心の均衡を保とうとしたのだ。それを彼女の近くに仕える者は察し、二度と彼女の前でルイの話をする者はいなかった。

 シャルルとジャンヌは相変わらず仲良くしている。ジャンヌは二児の母だ。アナスタシアが嫁いだ時には一人目を妊娠しており、彼女がルイを出産した後に二人目を出産しているがどちらも女児。それを見て彼女は自分も女児が欲しいと願うようになった。シェッド帝国では女性には皇位継承権が認められていないので、絶対に皇帝に奪われないと思えたのだ。

 皇帝はルイを手元に置けたせいなのか、周囲に当たり散らす事が少なくなった。それ故に皇宮で暮らす者は密かにアナスタシアに感謝をしていた。シャルルもその一人である。皇宮内でジャンヌと歩いていても、父親から文句を言われなくなったのだ。



「ナーシャはルイの事をどう思っているのか」

 公務が終わったベッドの上でシャルルはアナスタシアに問いかけた。彼はあまり人の気持ちに敏感な方ではない。故に彼女が自分の息子ではないと思い込もうとしている事に気付いていなかった。

「ルイ殿下は陛下の孫であり、私とは無縁です」

 アナスタシアの答えにシャルルは笑う。

「それなら私はどうか」

「シャルル殿下は陛下の息子であり、私の宗教上の夫です」

「宗教上とは上手い事を言うな。それならナーシャにも宗教とは無縁の夫がいるのか」

 シャルルの口調は軽かった。そのせいかアナスタシアの脳裏にイーゴリの笑顔が蘇る。そして今自分は何をしているのかと我に返った。何故シャルルに抱かれているのか。しかも結婚当初とは違い、今は義務感が薄れていた。

「どうした?」

 すぐに返事をしないアナスタシアを不審に思ってシャルルが問う。彼女は慌ててイーゴリを脳裏から排除した。

「私はルジョン教が全てです。夫は複数必要ありません」

「それもそうか。これは私の公務だからな。隣のレヴィ王国は一夫多妻が普通らしい。そちらに生まれていれば楽だったかもしれない」

「私はルジョン教のない国になど暮らせません」

「よくこの皇宮で暮らしていてマリー様を崇め続けられるな。そこは尊敬する。だからこそマリー様も最悪の事態は避けてくれたのだろう」

「最悪?」

 アナスタシアは何を言っているのかわからず首を傾げた。シャルルはにやりと笑うと彼女の耳元で囁く。

「本当はナーシャを自分の嫁にして子供を産ませるつもりだったらしい。だが父は男性としては機能しなくなっていて、息子の俺に押し付けた。ジャンヌの事も嫌っていたからな」

 アナスタシアは鳥肌が立った。シャルルの母の話を聞いたからこそ、その酷さが結婚当初の公務か、それ以上だとわかる。その様子を見て彼は笑った。

「マリー様も捨てた者ではないよな」

「マリー様は女神なのですから、そのような発言は控えるべきです」

 アナスタシアは起き上がると寝衣を羽織った。

「何だ、もう行くのか」

「公務は終わりました。シャルル殿下もジャンヌ様の横の方が眠れるでしょうから失礼致します」

 アナスタシアは一礼をすると隣室へ続く扉を開けた。寝室の隣にある控えの間を抜け、自室へと向かう。そして自室に入ると扉に鍵をかけ、ベッドへと潜り込んだ。

 以前言ったようにシャルルは優しく抱くようになっていた。アナスタシアも苦痛に感じる事はなく、夜伽に呼ばれる事を嫌だと思わなくなっている。彼女は毛布にくるまりながら、自分が変わってしまった事に涙した。領地でイーゴリと穏やかに暮らした幸せな時間はあくまでも思い出で、二度と戻ってはこない。今の彼女にはイーゴリに合わせる顔などなかった。



 アナスタシアは自室の窓から空を眺めていた。シェッド帝国は気候に恵まれた土地は少ない。帝都も一年の半分は雪に覆われ、雪のない季節も曇りや雨の日が多い。彼女は鈍色の空を眺めながら、お腹を無意識に撫でていた。

 アナスタシアは幼い頃よりルジョン教を信仰してきた。新しい命を紡ぐ事は大切で幸せな事。だが彼女はいざ二人目を妊娠して、果たしてこれが幸せなのかわからなくなっていた。

 一人目の時はルジョン教の教皇になるように育てようとの強い使命感があった。しかし今身籠っている子供に、どのような教育をするのが正しいのかがわからない。あの皇帝が育てているのだから、ルイは多分同じような皇帝になる。誰の意見も聞かず、ルジョン教の教えも守らない、そのような皇帝が続いてはシェッド帝国に未来はないだろう。間にシャルルが入るとしても、彼には信仰心がない。母親がいないのだから聖職者を周りに置けばいいのにと思ったのだが、残念ながら帝都にいる聖職者は碌な者がいなかった。

 聖職者なのに妾を囲っている者、清貧の教えを無視して煌びやかにしている者、皇帝のご機嫌取りをしている者。アナスタシアは心底うんざりしていた。城内にある修道院の修道女だけは教えを忠実に守っていたが、男性でまともな人間には出会った事がない。信仰心のある聖職者は出世出来ない、そういう腐敗した状況なのだろうと彼女は冷静に分析していた。


 アナスタシアが悩んでいても月日は流れる。納得する答えが出せぬまま、彼女は黒髪の女児を出産した。周囲の者達は気を遣い、彼女が子供を抱いて母乳を与えるまでは、出産した事を皇帝には知らせないようにした。彼女は娘が腕の中にいる事が嬉しくて、笑顔を浮かべた。その様子を見ていた女官達は、彼女の心からの笑顔に感動し、皇帝へ知らせたのは出産から半日が過ぎてからだった。

 だがシャルルの言った通り、皇帝は女児に興味を持たず、挨拶は不要、次は男児を産め、そう伝えられた。アナスタシアは産む道具扱いしかされない事が苛立たしく、どうにか反抗出来ないものかと考え始めた。

 アナスタシアは娘にナタリーと名付けた。この娘には正しくルジョン教を教え、二人でいつかこの皇宮を出て、実家へと帰ろうと決心をした。皇帝が健在の今は難しくとも、シャルルが帝位に就けば許してくれるかもしれない。その淡い期待を胸に抱き、彼女は自ら娘を育てる事にした。



「それは本気で言っているのか?」

 アナスタシアは産後初めて夜伽に呼ばれた寝室で、自分の考えた皇帝に対する逆襲の筋書をシャルルに打ち明けた。彼女はもう出産する気がないので、ジャンヌが妊娠した時に彼女も妊娠したふりをして、ジャンヌの子供を自分の子供と偽るというものである。

 その話を聞いて流石にシャルルは眉を顰めた。彼は決して信仰心は高くないが、父親を欺く程の胆力も持ち合わせていない。一方アナスタシアは皇帝に反抗出来るのはこれしかないと強く信じている眼差しを彼に向けて頷いた。

「シャルル殿下の血を継げば宜しいのです。シャルル殿下の次がルイでは、シェッド帝国も終わりだとは思いませんか」

「それはそうかもしれないが、信仰心はどうした。マリー様ならそのような事はお見通しで、罰を受けるのはナーシャの方になると思うのだが」

 シャルルの真っ当な答えにアナスタシアは笑みを浮かべた。自分よりよほど信仰心のない男が、罰という言葉を使ったのがおかしかったのだ。

「本当にお見通しならば既に罰は陛下に下っているはずです。家族は愛し合い、支え合わなければならないのに、陛下がそのような態度をされているとは思えません。また守るべき信者である国民に対しても慈愛の精神を向けられているようには感じられません」

 シェッド帝国の皇帝は教皇も兼ねている。ルジョン教の教皇ならば、女神マリーの教えに従って国民が幸せになるように祈り、困っている者に手を差し伸べなければならない。しかし皇帝がしている事と言えば圧政であり、国民を苦しめているとしかアナスタシアには思えなかった。

「それにこれはナタリーを守る為なのです。どうか協力をして頂けませんか」

 シェッド皇帝にはシェッド家の血が流れる男子が皇位を継ぐ。過去には皇弟や皇女の降嫁などでその血は国内に散らばったのだが、現皇帝は適当に理由を付けてその血縁を根絶やしにした。よってシェッド国内にいる女神マリーの血を継ぐ者は皇帝とシャルル、そして彼の子供四人だけなのである。

「もし露見したらナーシャだけでなく、どれだけの首が飛ぶかわかっていて言っているのか」

 シャルルはアナスタシアの本心を探るような眼差しを向ける。彼女は視線をそらさずにまっすぐ捉えた。

「私はマリー様の加護を信じています。マリー様が本当に罰を下すのかどうか、見てみたいとは思いませんか」

 アナスタシアは口元に笑みを浮かべた。シャルルは目の前にいる女性が、自分の知らない恐ろしい何かにしか思えない。彼は彼女に圧倒されて、その意見を受け入れるしかなかった。

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