アナスタシアの望み
その場にいた全員の視線がルイに集まった。皇帝の言葉が絶対である理由は、嘘を吐いてはいけないというルジョン教の教えに皇帝が反するはずがないという根底条件があるからだ。だが、前皇帝と現皇帝の言った事が相反する場合、どちらを信じるべきなのか判断が出来ない。それ故にその場にいた者はルイの言葉を待った。
「父上、一体何を根拠にそのような事を仰せになられるのでしょうか」
「ルイの所へナタリーが行く事が不可能だからだ。当時は私やアナスタシアでさえルイには近付けなかった」
ルイは眉間に皺を寄せた。シャルルの言っている意味が理解出来ないのだろう。祖父が両親との関係を遮断させていた事をルイは知らないのだ。
「何故神聖なる森へ行ったのだ。あの場所へ足を踏み入れてはならない事は幼いナタリーでも知っていた。ナタリーが嫌がるのを強引に連れて行った理由は何だ」
「ですから私は無理矢理――」
「三歳下の妹の我儘を止められなかったという設定に無理があるとは思わないのか。拒否をしたルイを動かせる力がナタリーにあるとは思えない。だが逆なら可能だ。ナタリーを黙らせて連れて行く事は容易いだろう」
シャルルは弁解しようとするルイの言葉に被せる。その場にいる者達もシャルルの言葉に納得していた。ナタリーが神聖なる森へ無断で足を踏み入れたという禁忌を犯した話は、皇帝がそう言ったから受け入れただけで、よくよく考えれば幼い皇女を誰も止められなかったというのもおかしい。しかし前皇帝が大切に育てていたルイならば誰も止められなかったとしても不思議ではない。前皇帝の言葉は絶対であり、それ故にルイの言葉も絶対になり得る。
「それと、少し前にも私の許可なく勝手に神聖なる森へ入っただろう」
「何故私が神聖なる森へ入らなければならないのですか」
「教徒達が皇宮を襲った当時、神聖なる森へ入っていったとルイの護衛騎士から報告を受けている」
ルイの顔には裏切られたという感情が浮かんでいる。だが護衛騎士は職務放棄したわけではなく、共に行動出来なかった理由をシャルルに弁明しただけに過ぎない。また、その森へ足を踏み入れる事が出来る唯一の存在に助けを求めたのだ。そしてシャルルはそれを聞いておきながら森へは向かわず、狩猟担当者に見張りを任せた。
「ルイにはこの国の未来を託す事は出来ない。皇太子を剥奪する」
「私以外に皇太子になれる者などいないではないですか」
「そうだな。だから私の代で終わらせようと思う」
父子の会話が突然帝国終焉の話になり、その場にいた男達は困惑した表情を浮かべる。アナスタシアだけが無表情で佇んでいた。
「勝手に終わらせるなど出来るとお思いなのでしょうか」
ルイがシャルルに不満そうな声色で問いかける。それに対しシャルルは余裕のある微笑を浮かべた。
「元々シェッド帝国はルジョン教を信仰する者の集合体だ。帝国制ではなく違う方法でも問題はないだろう。そうだな、ゲールマン」
急に話を振られてゲールマンは困惑した。確かに彼はアナスタシアに帝国解体の話を伝えていたが、まさかシャルルにその話が通っているなどとは思っていなかったのだ。しかも調整はまだ完璧ではなく、それ故に西方の民衆が暴動を起こしている。だが、彼は生半可な気持ちで帝国解体の筋書を父ミハイルから受け継いだわけではない。彼は力強い眼差しをシャルルへ向ける。
「恐れながら申し上げます。私は連邦制が適切ではないかと思っています。シェッド中央は教皇領として連邦の中心であり続けて頂きたいと思っています」
「あぁ。私が皇帝の座を辞し教皇の肩書だけになったら、今アナスタシアが進めているマリー聖堂への巡礼の環境を整える事に力を注ぎたいと思っている」
シャルルの言葉にゲールマンは一瞬不満そうな表情を浮かべた。それをアナスタシアは見逃さず、シャルルに発言の許可を求める。シャルルは頷いてそれを認めた。
「皆様が心の中で感じている事はわかります。ですがそれは前皇帝陛下の命令によって、どうにもならなかった事なのです。それにジャンヌ様は私にとっても必要な女性でした。その件に関して陛下を責められる事だけはご容赦願います」
妾を認める妻など普通はいない。だがアナスタシアは嘘を吐いているわけでも強がっているわけでもない。その雰囲気を感じ取り、ゲールマンも何も言えなかった。
「更に申し上げれば、連邦制に移行するとしても教皇は女神マリーの血を引く者が受け継ぐべきだと思っております。私は陛下の娘であるシルヴィ様の子供が相応しいのではないかと考えております」
「そんな馬鹿な話があるか!」
ゲールマンは興奮して声を荒げた。そして瞬時にシャルルに対して頭を下げる。シャルルは気にしなくていいというように小さく頷いた。
「ゲールマンの気持ちはわかる。だがこれは私の意志ではない。アナスタシアの強い希望なのだ」
ゲールマンは説明を求める視線をアナスタシアに送った。彼は妹が望まぬ結婚を強いられたと思っている。それなのに自分の息子ではなく妾の娘の血を継がせようとする妹の思惑が全く理解出来なかった。
「私が嫁いだのは前皇帝陛下に命じられたからでした。それ以前より陛下はジャンヌ様と恋仲にあり結婚の約束をされていました。本来ならお二人が結婚するのが筋の所を、前皇帝陛下が権力で捻じ曲げられたのです」
皆が大人しくアナスタシアの言葉を聞いている。アナスタシアが選ばれた経緯は誰もが想像出来る事だった。当時ローレンツ公国を攻めようとしていた皇帝が背後に当たる北方を気にしていた事、北方領地内にはダイヤモンド鉱山があり資金が豊富な事。北方は食糧事情に厳しい部分があるものの領主と領民の関係は良好で、また男性達も屈強な者が多い故にいつ独立してもおかしくなかった。アナスタシアはそれを阻止する為の人質だと誰もが思っていた。
「私が嫁いだ時、ジャンヌ様はシルヴィ様を身籠られておられました。私が命令に背く勇気を持っていればお二人は正式に夫婦となり、シルヴィ様は皇女になられた事でしょう」
「その意見は受け入れかねます。皇妃殿下がルジョン教に則り行動されている事は存じ上げております。だからこそ、陛下及び皇妃殿下の血を継ぐ者が後継になるべきなのではないのでしょうか」
アナスタシアの言葉に南西の司祭が異議を申し立てた。南西はローレンツ公国と国境を接しており、こちらも敬虔なルジョン教徒が多い地域である。
「マリー様の血を繋ぐ事は譲れませんが、私の血は関係ありません。それにルイよりもシルヴィ様の方がルジョン教をよく理解しています」
アナスタシアの言葉に全員が困惑の表情を浮かべた。シャルルの妾であるジャンヌとその娘二人に関して、いい噂など聞いた事もない。むしろ派手に暮らしていると聞いていた。ルイも決して清貧な暮らしはしていないが、皇太子と妾の娘ならどちらを選ぶかは通常迷わない。
「先程の陛下とルイのやり取りを皆様は聞いておられましたか。このルイに将来の教皇が務まるとお思いでしょうか。シルヴィ様を認めて頂けるのであれば、私が責任をもって次の教皇の教育を担当致します」
「勝手に話を進めないで頂けますか。そもそもシルヴィはどこにいるのですか」
ルイが我慢ならず口を開く。アナスタシアは冷めた視線を息子に向ける。
「シルヴィ様にはこの騒動で皇宮から動けなくなった私に代わり、秋蒔き用のライ麦の種を各地に配る役目をお願いしました。そして今はナタリーの所におります」
「ナタリーの所? あの二人は親しくないはずですが」
「あの二人は手紙のやり取りをする程仲が良いのですよ。ナタリーと親しくないのはルイの方ではありませんか」
ナタリーとシルヴィの関係を知る者はここにはいない。シルヴィがどのようにレヴィ王国へ向かったかを知る者もいない。そして今までの振舞いからアナスタシアが嘘など吐くはずがないと誰もが思っている。厳密に言えば種を配る役目はジェロームに託している。だが一緒に行動している以上、そういう事になるだろうというのがアナスタシアの解釈だ。
「ナタリーも私の考えに賛同してくれています。禁忌を犯していないならばナタリーの子供を教皇にと望む方もいらっしゃるかもしれませんが、それはナタリーが望んでいないのでお断りさせて頂きます」
アナスタシアは頭を下げた。誰もが急な話の展開についていけていない。その雰囲気を感じてシャルルが口を開く。
「一旦ここまでとしよう。また明日ここに集まってもらい、皆の意見を聞きたい。考える時間が短くて申し訳ないが、雪が降る前に骨子だけは固めたいと思っている」
季節は秋である。南方はまだ時間に余裕があるが、北方は帝国のどこよりも早く雪が降る。雪が積もれば馬車が通れなくなるので、ゲールマン達は長居が出来ない。集まった者達は複雑な表情をしながら、それぞれ部屋から退室していった。




