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謀婚 帝国編  作者: 樫本 紗樹
一章 皇太子妃アナスタシア
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皇太子妃としての決意

 出立から約三週間。アナスタシアを乗せた馬車は、シェッド帝国の帝都にある城内の皇宮に到着した。帝都の都民達は好意的に彼女を受け入れている様子が馬車の中から伺えて、彼女は少しだけ緊張を緩める事が出来た。

 騎士に案内され、アナスタシアは控えの間へと向かう。そこでウェディングドレスに着替え、すぐに婚配式を執り行うと説明を受けた。実家から侍女の帯同は許されず、彼女は会ったばかりの女官達の手を借りながら着替え、化粧を直し、髪を整える。その間、女官達は必要最低限の言葉しか発しなかった。彼女は今後共に生活をする女官達と仲良くなりたかったのだが、婚配式の時間に遅れるような事があってはいけないので、話しかけるのは遠慮した。

 準備が整い、案内役である女官長と思われる女性の後ろをアナスタシアは無言で歩いていく。案内されたのは城の敷地内にある大聖堂である。コロリョフ伯領にあったものは聖堂だけで、大聖堂と呼ばれる立派な建物はなかった。

 重々しい扉が開き、重厚なパイプオルガンの音色が響き渡る。アナスタシアは大聖堂に足を踏み入れると少し緊張をした。式の流れは兄の婚配式と同じだろうが、参列者の人数が全く違う。

 入り口付近には司祭と正装をした黒髪の男性が立っていた。その男性がシャルル皇太子なのだろうが、顔をじろじろと見るのも失礼だろうとアナスタシアは視線を伏せた。司祭は淡々と聘定式を進めていく。

 指輪の交換が終わると、司祭に伴われて二人は大聖堂の中央へと移動をした。聖歌が斉唱され、司祭が二人に他の異性との約束がないかと尋ねる。それに対し、シャルルは少し黙った後ないと答える。アナスタシアはその間が気になったものの、司祭が構わず自分にも問うのでないと答えた。彼女とイーゴリの間に約束はなかったので嘘ではない。女神マリーの前で嘘を吐く事はルジョン教徒には許されない。それでも、彼女は横に居る男性と結婚生活が成り立つのか不安しかなかった。

 しかしアナスタシアの不安など気にせず戴冠礼儀は粛々と進んでいく。司祭が長い祈祷文を読み上げた後、二人に冠が被せられる。これにより皇太子シャルルとアナスタシアの婚姻は、女神マリーの下で正式に認められた。



 婚配式が終わり、盛大な披露宴が催された。アナスタシアは目の前に用意された食事に驚きを隠せなかった。彼女の領地では食べる事の出来ない小麦のパンをはじめ、肉料理やスープなどがテーブルを埋め尽くしていたのである。

 アナスタシアは伯爵家の娘であったが、満腹まで食べた事はない。常に領民と共に限りある食材を分けてきたからである。しかし目の前の食事は一人で到底食べきれる量ではない。残した場合は捨てられてしまうのかが気になって仕方がなかったのだが、周囲を見回しても料理の量を気にしている人はいない。

 今日は披露宴だから特別なのだろうと、アナスタシアは判断して料理を口に運んだ。味はあまり美味しくない。食材はこちらの方が豪勢なはずだが、温かみがないせいかもしれない。ただ、ライ麦のパンと違って小麦のパンは外がカリカリで中は柔らかく、これだけは美味しいと思えた。彼女は何とか領地でも小麦が育たないだろうかと考えながら食事を続けた。



 披露宴の後、女官達に浴室まで案内される。この帝都は一年の半分が雪に覆われる環境というのもあって、毎日入浴はしない。アナスタシアの領地でもそれは同じで、そういう特別感は要らないと彼女は内心思いながらも、素直に身体を洗う事にした。マリーの末裔である夫に、清らかな身体を捧げる事でやっと一日が終わるのだ。

 入浴後、彼女は純白の寝衣に身を包むと、女官達に再び案内されて皇宮内を歩く。そしてとある部屋の前で足を止めると、女官は扉を二回叩いた。

「失礼致します。アナスタシア皇太子妃殿下をご案内致しました」

 アナスタシアは聞き慣れない皇太子妃殿下という言葉のせいで、まるで他人事のような気分になった。部屋の奥から入れという声が聞こえ、女官はゆっくりと扉を開ける。彼女が部屋に足を踏み入れると、扉は静かに閉まった。

 ベッドに腰掛けているのは当然シャルルである。彼は明らかに不機嫌そうだ。いくら女神マリーの末裔といえども、愛せる気がしないとアナスタシアは思った。

「そのような所で立っていてどうする」

 シャルルの声に苛立ちが感じられる。彼にとっても不満な結婚なのかもしれないが、アナスタシアも決して望んだものではない。それなのにまるで自分が悪者のように思われている事が、彼女には我慢ならなかった。

「改めまして、アナスタシアと申します。以後末永く宜しくお願い致します」

 それでもアナスタシアは不快な気持ちを押し殺して一礼をした。末永く一緒にいたいとは思えないが、結婚は成り立ってしまった以上このように言うしかない。

「私には愛している女性がいる。この時間は男児を出産する為の公務と考えろ」

 堂々と愛妾がいると宣言をされて、アナスタシアはもう気持ちを押し殺す事が出来なかった。

「それならばその女性を妻に迎えればよかったのではありませんか」

「そのつもりであったが父が勝手に其方との話を進めた。文句があれば父に言え。直接父に会う事が叶えば、の話だが」

 シャルルの表情には諦めが滲んでいる。アナスタシアは内心落胆をした。息子である彼でさえも、皇帝の決めた事は覆せないのだろう。

「無駄話はもういい。さっさと済ますぞ」

 シャルルはベッドから立ち上がるとアナスタシアの腕を強引に引っ張り、彼女をベッドへと押し倒した。彼女も彼と愛を語り合えるかもしれない、とは流石に思ってはいない。それでもこのような扱いを受けるとは想定していなかった。

 アナスタシアの上にシャルルは跨ると、彼は彼女に顔を近付けてきた。彼女は咄嗟に自分の口に手の甲を当てて口付けを拒む。彼は明らかに不機嫌そうだったが、彼女も強気に彼を睨んだ。ルジョン教徒にとって口付けは愛する者同士が交わす、とても神聖なものなのである。

「公務ならば口付けは必要ないではありませんか。私はルジョン教徒です。貴方の子を産む事を義務とは考えられますけれど、夫婦関係を築く気のない方と口付けはしたくありません」

「口の利き方がなっていないな。私を誰だと思っている!」

 シャルルが苛立っているのがアナスタシアにもわかる。それでも彼女は強気に睨み続けた。いくら相手が皇太子とはいえ、自分を娼婦のように扱われるのは嫌だったのだ。

「そのような文句は陛下へお願い致します。私は陛下の命に逆らえずに嫁いで来たまで。好きで来たわけではありません」

「いいだろう。私とてお前など本当は抱きたくはない。さっさと終わらせるから、終わったら私の前からすぐに失せろ」



 アナスタシアは枕に顔を伏せ、声を殺して自室で泣いていた。このような生活を一体どれだけ繰り返さなければならないのだろう。ルジョン教では自死を認めていない。また、マリーの前で結婚を誓った以上、夫婦としてお互い支え合わなければならない。だが、シャルルには全くその意志を感じられなかった。

 落ち着きを取り戻したアナスタシアは仰向けになり手の甲に触れる。あの日のイーゴリはとても愛情に溢れていた。それに比べて今夜のシャルルは酷かった。まるで自分本位の行為。痛いと叫んでも一切止めてくれなかった。しかも終わったらすぐに人を呼び、邪魔だから運び出せと言い放つ神経が信じられない。本当にあの慈悲深い女神マリーの末裔なのか疑わしい態度だった。

 それでもアナスタシアはシャルルと結婚をした以上、子供を産む義務がある。彼女は涙を拭った。皇帝も皇太子も心を入れ替えるのは難しいだろう。自分で息子を産み、その子を教皇として相応しく育てる事こそが自分に与えられし役目だと信じ、どのように酷く扱われようと必ず息子を産んでみせる、彼女はそう決意をした。

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