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謀婚 帝国編  作者: 樫本 紗樹
二章 シルヴィと護衛騎士

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護衛騎士の別の顔

 朝、シルヴィは眩しさを感じて目を開けた。そして視界に入った藁に驚き起き上がる。何度か瞬きした後、今自分が皇宮のベッドではなく寝袋の中にいるのだと把握した。

「シルヴィ様、おはようございます。歩く気にはなりましたか?」

 シルヴィが起きた事に気付き、ジェロームが桶を持って近付いてきた。彼女は熟睡してしまった自分の神経の図太さに呆れて小さなため息を吐く。

「おはよう。歩かないという選択肢もあるの?」

「餓死をするか熊や狼に襲われるという選択肢なら、ない事もありません」

「何それ。歩く方がましじゃない」

「いくらシルヴィ様が逞しくても、このような所で一人生き抜く事は難しいと思います。また、毒を持たぬシルヴィ様が痛みなく死ぬ事も難しいでしょう」

 ジェロームは桶を机の上に置いた。

「死ぬより歩く方が楽だと言いたいの?」

「現状ではそうなります。シルヴィ様は昨夜簡単に毒と仰いましたが、簡単に死ねる毒は高いのですよ。安い毒は苦しみが長く続きます。それを選べず、庶民達は苦しくても生きるしか選択肢がありません」

 シルヴィは眉を顰めた。自分が死ぬ話から何故庶民の話になったのか、関連性がわからない。そんな彼女にジェロームは笑顔を浮かべると、桶にかけていた濡らした布を手に取る。

「足の裏を綺麗にしますから寝袋から出て下さい」

「気安く私に触ろうとしないで」

「シルヴィ様は身の回りの事は侍女に任せていて何も出来ないと仰っていたではありませんか」

「あんたに触られるくらいなら、不慣れでも自分でやった方がましよ」

 シルヴィはジェロームを睨んだ。彼女には常に世話をする人間が側にいて、身の回りの事は人任せであった。それでも昨夜は身体も拭いたし着替えもしたので、やれば出来ると思っている。実際は服を脱ぎ散らかしたままで、それを今朝彼が片付けていた事に気付いていない。

「それでは出来なかったら呼んで下さい。今朝は燕麦の粥にしましたから、冷めないうちにお願いします」

 ジェロームは布をシルヴィに差し出した。彼女がそれを受け取ると彼は台所の方へ消えていく。彼女は寝袋から身体を出すと、足に巻いていた布を取った。疲れを感じていた足の裏がすっきりしている事に気付き、彼女は複雑な表情を浮かべながら昨夜塗られた物を布で拭う。次に桶に入っている水で顔を洗うが、顔を拭くタオルがない事に洗ってから気付いた。

「ちょっと! 顔を拭くタオルがないわよ」

「庶民はタオルなんて持っていません。服で拭いておいて下さい」

 シルヴィは服を見つめる。ごわついている粗末な服で顔を拭く気には到底ならない。代わりのものを探すが、彼女の視界に入ったのは先程足を拭いた布だけである。

「何で足を拭く布があって顔を拭くタオルがないのよ。おかしいでしょ?」

 文句を言い続けるシルヴィに、ジェロームは呆れ顔のまま台所から戻ってきた。

「タオルは輸入品なので軍人の給料で何枚も買える代物ではありません」

「タオルなんて高級でもないでしょう? レヴィ王宮では誰でも使っていたわよ」

「タオルはレヴィ王国からの輸入品なのでシェッド帝国では高級品です」

 そう言ってジェロームは布をシルヴィに差し出した。彼女はそれを受け取ると顔を拭いた。

「それならタオルも鞄に詰めておいてくれたらよかったのに」

「身体を拭く為に一枚入れました。それは今乾かしている最中なので使えません。昨夜シルヴィ様が片付けていてくれたら既に乾いていましたけれども」

 ジェロームのどこか非難めいた声色に、シルヴィは昨夜何も片付けずに眠った事に気付いた。しかし彼女は今まで片付けをした事がない。それは使用人の仕事だと思って生きてきたからだ。彼女には今使用人がいないのだから自分でやるしかないのだが、そこまでして生き延びたいかと問われるとその気力はない。餓死がどれ程辛いかわからないが、死ぬ方が楽な気がした。

「それなら荷物である私を置いていけばいいわ」

 投げやりな言葉を発するシルヴィにジェロームは怒りをあらわにした。

「シルヴィ様を荷物だと思っているのならば最初から連れ出しません。私がシルヴィ様の命運を握っていると最初にお伝えしたはずです。シルヴィ様には自死という選択肢はなく、首輪をはめてでも歩いて頂きますから覚悟をして下さい」

「何で私があんたにそこまでされないといけないのよ」

「折角私好みの体形にしたのに、それを堪能する前に命を絶たれるのは業腹でしかありません」

 微笑を浮かべつつ劣情を灯した淡褐色の瞳がシルヴィを捉える。彼女は背筋に冷や汗が流れるのを感じた。

「馬鹿じゃないの? そんなの他の女にしなさいよ」

「シルヴィ様でなければ意味がありません。それに昨夜も申しましたが、シルヴィ様にその気がない間は手を出しませんからご安心下さい。さ、朝食にしましょう」

 ジェロームの視線はシルヴィに有無を言わせない威圧的なものに変わっていた。目の前の男から逃げ出したいのに、それをさせないという怖さを彼女が感じ取った時に腹が鳴った。その音を聞いて彼は笑って台所へと戻る。彼女はつくづく自分の神経が繊細でない事を恨みながら、やはり餓死は無理かもしれないと立ち上がって彼の後ろを追った。



 朝食を終え二人は再び歩き始めた。森を抜けた後も二人は黙々と歩き、昼過ぎに小さな集落が見えた。シルヴィはその粗末な木造の小屋が立ち並ぶ光景に驚いた。余程今まで二泊した小屋がましだったと思える有様である。ジェロームは彼女に暫く黙っているように言うと、その集落にいる人に話しかけた。

「すみませんが、芋を分けてもらう事は出来ますか?」

 ジェロームの帝国語に対し、声を掛けられた男性は不機嫌そうに睨む。しかし彼はそれを気にせず、鞄の中から袋を取り出して続ける。

「こちらの秋蒔き用ライ麦の種と交換をしてほしいのです」

「秋蒔き?」

 男性は不審そうな目でジェロームの手元を見る。シェッド帝国では雪が解けた後にしかライ麦の種を蒔かない。秋など聞いた事もなかったのだ。

「年々収穫量が減っている事に心を痛めていた皇妃殿下が少しでも収穫量が向上するようにと、研究をしていたものです」

「皇妃様が?」

 男性の表情が明るくなる。皇妃アナスタシアが各地の修道院で農作業をしている話は、中央に暮らす人々の耳に届いていた。この集落を超えた先にも修道院があり、この道をアナスタシアは通っていたのである。

「何故皇妃様の種をあんたが持っているんじゃ? 皇妃様に何かあったのか?」

「皇妃殿下は現在皇宮内で公務にあたられております。身動きが取れない為、代理で私が歩いています」

 ジェロームと男性の話し声を聞いて人が集まってきた。そして集まった人達はこそこそと相談を始めた。ジェロームは顔立ちこそ整っているが、格好がその辺の農民と変わらない粗末な服を着ている。しかも女連れ。皇宮から来たのか判断が難しいのだ。

「それが皇妃様からの物だという証拠はあるのか?」

「大変失礼致しました。皇妃殿下よりお言葉を承っております。ニコラ殿はいらっしゃいますか?」

「ニコラは儂だが」

 ジェロームが最初に声を掛けた男性がそう答える。ジェロームは笑顔を浮かべた。

「昨年は修道院への道中、水をわけて下さりありがとうございました。その時渡した種芋が無事育っている事を願います。また秋蒔き用のライ麦の種を是非植えてみて下さい。育った頃にまたお伺い致します、との事です」

 ジェロームが伝えたアナスタシアの言葉に集落の人々は納得したようだった。余所から来た者ならば、アナスタシアがこの道を通った事も、水をわけた事も、その時に種芋を貰った事も知るはずがないのだ。

「あんたの言葉は信用しよう。だが、何故そのような襤褸(ぼろ)を着ているのか」

「皇妃殿下と女官以外は帝国の民にとって憎悪の対象になりかねません。軍服や祭服を着ていたら警戒されると思い、あえて着ていません」

「なるほど。だがその話し方なら帝都から来たと丸わかりだ。もう少し砕いた方がいい」

「皇妃殿下に仕える者とわかるようにと思ったのですが、砕いていても伝わりますか?」

 ジェロームの問いに人々は顔を合わせ、そして笑った。

「確かに皇妃様は儂等に対しても丁寧な話し方をされる。横柄な感じでは伝わらぬかもしれぬ」

「えぇ。皇妃殿下は常に国民の皆様の生活が安定するように祈られております。私はそのような皇妃殿下に感銘を受け、こうして手伝いを願い出たのです」

「この先の修道院にも種を?」

「はい。これから各地を回ります」

「そうか。つまりその荷物は種ばかりで食糧が少ないのだな。昨年貰った種芋の育った成果と、種の礼を用意しよう」

「ありがとうございます」

 シルヴィは大人しくやり取りを眺めていた。彼女はジェロームがアナスタシアの手伝いをしている事を知らなかった。彼は皇帝配下の軍人であって、皇妃と繋がっているなどとは思っていなかったのである。

 ジェロームはニコラから袋を貰うと鞄に詰める。そして礼を言って集落を後にした。シルヴィは彼に問い質したかったが、話しながら歩くと余計な体力を使う。それに彼は誰かに聞かれても困らないような他愛もない話しか外ではしない。彼女は色々な疑問を考えながら、黙々と彼の後ろを歩き続けた。

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