娘婿との内談
皇帝即位祝賀会の前日、レヴィ王国からの馬車が到着したがナタリーの姿はない。悪阻による馬車移動の遅れと聞いて、アナスタシアはどう受け止めるべきか迷った。勿論懐妊は喜ばしい事ではあるが、レヴィ王国乗っ取り計画が進むのはナタリーの為にならない気がしたのだ。
四日後、ナタリーとエドワードを乗せた馬車が皇宮に到着した。祝賀会は終わり、各国の要人は既に帰路についている。アナスタシアは二人を出迎えようと思ったが、シャルルの側近より後から会いに行くようにとの言付けを聞いた。何故謁見の間で彼と一緒に会えないのか彼女にはわかりかねた。だが娘と二人きりの時間を設けてくれるのかもしれないと前向きに捉え、ナタリーが客間に戻ったと聞いてから彼女は娘に会いに行った。
アナスタシアはナタリーから受け取った土産を大切そうにテーブルの上に置いた。これから暖かい季節になるのにひざ掛けを持ってきたのは、余程昔寒かった印象が強いのだろう思うと彼女は泣きそうになった。暖色の毛糸で編まれているひざ掛けが、とても手が込んでいるものである事はわかる。高級そうなひざ掛けを入手出来る暮らしをしているのなら、シェッドに残しておくよりはよかったと思えた。
「アナスタシア様、エドワード殿下をお連れ致しました」
女官が扉の外から声を掛けた。アナスタシアが返事をすると、扉が開き男性が入ってくる。彼女は初めて見る端正な顔立ちをした娘婿を立ち上がって出迎えた。
「このような場所までお呼び立てしてしまい申し訳ありません。ナタリーの母、アナスタシアと申します」
「エドワード・ローランズと申します。お会い出来て光栄です」
アナスタシアは笑顔を浮かべているエドワードに椅子を勧め、二人は腰掛けた。彼女は女官に視線を送ると、女官は一礼をして部屋を出ていった。
「先程娘に会いました。レヴィで幸せに暮らしているようで安心致しました。娘はレヴィ王太子妃として振舞えていますでしょうか」
「最初は不慣れな部分もありましたけれど、今は王太子妃として公務にも携わっています。その空いた時間でレヴィ王都にある大聖堂で礼拝も続けています」
定期的に王都にある大聖堂に通っている話をアナスタシアはナタリーから手紙で聞いていた。祈りを捧げた後で孤児院の子供達と触れ合うのが楽しいとも書かれており、ルジョン教徒らしく振る舞えている事を彼女は嬉しく感じていた。
「レヴィ王家は宗教を信仰していないと伺っておりますけれども、娘の信仰を認めて頂き感謝致します」
「当家としましては特定の宗教に肩入れは出来ませんが、信仰の自由は保障致します。王妃ツェツィーリアも信仰はそのままですから」
レヴィ王国の王妃ツェツィーリアはローレンツ公国の出身である。元々は側室としてレヴィ王家へ嫁いだが、正妻が公務を投げ出した為に立場が入れ替わったのである。ツェツィーリアは宗派こそ違うがルジョン教徒。ただレヴィ王家の者は宗教を信仰していない。妻がルジョン教徒でも、国王ウィリアムも王太子エドワードも宗教には一切興味を持っていなかった。
「また、娘が悪阻で辛い所を支えて頂きありがとうございます」
「当然の事をしたまでです。今はただ、無事に子供が生まれてくる事を願うのみです」
「男女どちらが宜しいですか?」
「どちらでも構いませんが、男児だと彼女の負担になりそうだとは思います」
エドワードは笑顔を崩さない。アナスタシアは娘婿の本心が一切見えなかった。ナタリーをレヴィ王家に嫁がせた理由を知っていると匂わせながら、それを気にしていなさそうな雰囲気。彼女は娘の嫁ぎ先として正しかったのかわからなくなった。
「その負担は一緒に背負って頂けますか」
「残念ながら彼女はそれを望まないでしょう。三年半で彼女が私に望んだものはここにある、このひざ掛けの購入だけです」
エドワードは少し寂しそうな顔をした。アナスタシアも心苦しくなる。彼女がナタリーに清貧を教えた。地下室に入れられてからは修道女以下ではないかと思うような暮らし。人に甘える事が出来ない娘にしてしまった事に心を痛めた。
「申し訳ありません。あの子は境遇が特殊ですのでご理解頂けると幸いです」
「それは理解しているつもりです。彼女がレヴィ王宮の自室へ案内された際の第一声を聞いた者は、返答に困ったと申しておりました」
「何か失礼な事を申しましたでしょうか」
「私のような者にこのような素敵な部屋を御用意して頂けるのですか、と。その部屋は特別な部屋ではありません。強いて言うなら庭がよく見えるだけなのですが」
アナスタシアは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。庭が見えるのならば、きっと日当たりのいい部屋なのだろう。地下室で身を隠すような暮らしを強いられていたナタリーにとって、それは天と地ほどの差があったに違いない。本来なら普通の事でもナタリーにとっては信じられない待遇に感じたのだろう。皇女として生まれながら、そのような価値観を持たせてしまった娘に、どう償えばいいのか彼女にはわからなかった。
「私は母としてナタリーに何もしてやれませんでした。手紙にもいつも私を心配させないような内容ばかり書かれていて、本心を吐露させる環境を作ってやれず母親失格です」
「そのような事はありません。娘の事を思い、こうして私との席を設けています。愛情深い方なのでしょう。私の母とは比べようもありません」
エドワードは真剣な表情をアナスタシアに向けた。彼女はレヴィ王国の内情を一切知らないが、彼の母親が公務を投げ出した事は聞いている。彼もまた複雑な環境で育ったのだろうと察した。女好きという話がひっかかってはいるが、ナタリーは夫の子供を身籠れて嬉しそうであった。ここは彼を頼るべきかもしれないと彼女は判断をした。
「いいえ、私も酷い母親です。あの子を政治の駒にしたのですから」
「彼女を守る唯一の手段だったのでしょう。私も彼女を守り、共にこれからの人生を歩んでいきたいと思っています」
エドワードは微笑んだ。娘婿にはこちらの手の内が筒抜けなのだとアナスタシアは悟った。それでいてナタリーには教えず、彼だけでどうにかしようとしていると思えた。
「諸事が片付いた後も、娘と共に歩んで下さるのでしょうか」
「彼女の望みを聞く所存です。シェッド皇女やレヴィ王太子妃という肩書に縛られず、彼女が自由に歩けるよう全面的に協力する事をお約束致します」
「ありがとうございます。娘の事をこれからも宜しくお願い致します」
アナスタシアは頭を下げた。ナタリーの希望を優先してくれると言うエドワードの言葉が嬉しかった。苦肉の策ではあったけれど、これが最善だったのだと思えた。
それから月日は流れ、雪が深く降り積もった頃にナタリーから手紙が届いた。無事に女児を出産した事、エドワードがアリスと名付けてくれた事が書かれてあった。
アナスタシアは女児であった事に安心した。彼女はナタリーに政略結婚の意図は伏せておくつもりだったのだが、シャルルが話してしまったのだ。これが謁見の間で会えなかった理由なのかと彼女は非常に心配をしていた。そもそも男児が生まれたとしてもレヴィ王国を乗っ取れるとは思っていない。それはエドワードと話して確信に変わっていた。
シェッド帝国はルジョン教でまとまっている。皇帝がシャルルに変わった事により、現在はいつ解けるかわからない集合体だ。それに対し、レヴィ王国は王家の威厳で国を維持している。一夫多妻制と言いながら、国王も王太子も現在妻は一人。それに対し、一夫一妻制にもかかわらず、シャルルには愛妾ジャンヌがいる。前皇帝はジャンヌの存在を厭い外に漏らしていなかったが、シャルルはその存在を隠そうともしない。そのせいで今の皇帝には愛妾がいるという事実が国内中に広まってしまった。
アナスタシアは恐れていた。皇帝は教皇でもあるのだから表向きだけでもルジョン教を信仰していなければならない。前皇帝は妻に対して褒められた態度ではなかったものの、愛妾はいなかった。そもそも女性は子供を産ませる道具としか思っていなかったので人として最低だが、その考えは外に漏れていない。民衆に学がなくても簡単な事ならわかる。妻を迎える前から妾がいて、それが二十年以上続いている事を不快に思うはずだ。しかもジャンヌは浪費もする。彼女は皇妃になってからも清貧を貫いているが、ジャンヌは違う。それが民衆に伝わり、怒りの矛先がシャルルとジャンヌに向かう事を何よりも恐れた。
また、兄から届いた手紙もアナスタシアを憂鬱にさせていた。とうとう花を咲かせる前に枯らしてしまったとあったのだ。ガレス公爵家の娘とルイの対面は、シャルルの皇帝即位祝賀会で行われた。しかしガレス側の意向など知らないルイが、その娘を一目で気に入り勝手に行動を起こした。それがその娘には大層不快だったようだ。だが、この件に関しては彼女も仕方がないと思えた。自分もあの娘の立場なら拒否をする。好意を抱いた相手に対して威圧的に接するルイが彼女には理解出来なかった。
アナスタシアはシャルルに故郷へ帰りたいとは言わなかった。前皇帝が抑え込んでいたものがいつ溢れてもおかしくない。ナタリーの子供が女児だった為、レヴィ王国乗っ取りは現状不可能である。それ故に前皇帝の頃に持ち上がったローレンツ公国を攻める話が再浮上している。戦争は浪費する事を彼女は知っている。それ故に故郷では中央からの意見をかわしていた。食べるのが精一杯の状況で、戦費もなければ働き手を失うのも嫌だからだ。
もしローレンツ公国へと侵攻をするならば臨時税が課せられるであろう。皇宮内で暮らしていると、まるで問題がない国に見えるが実際は違う。それを理解している人間がこの皇宮内にはほぼいない。アナスタシアは理解している数少ない一人であるが、彼女には発言権がない。女性の地位などないに等しいシェッド帝国では皇妃の肩書でさえ何の意味もない。それでも彼女はシェッド帝国を見捨てる事は出来ず、皇妃として出来る範囲の事をやろうと行動を始めていた。帝国の解体を最悪の状況から回避する為に。