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謀婚 帝国編  作者: 樫本 紗樹
一章 皇太子妃アナスタシア
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皇帝からの書状

 この作品だけでも読めるように書く予定ですけれども、【謀婚】及び【謀婚 番外編】を読了後にお読み頂ければ、世界観がわかりやすいと思います。

 シェッド帝国の北方領主の娘であるアナスタシアは、国教であるルジョン教の教えをとても大切にしている。聖書を読み込み、女神マリーのようにライ麦を領民と共に育てる事が何よりも重要だと思っていた。近年ダイヤモンド鉱山が見つかり、採掘に男性が駆り出されるようになってからも、彼女は領民と一緒になって農作業をするのが日課である。

「アナスタシア様。お迎えに上がりました」

「あら、もう時間なの?」

 アナスタシアは声をかけた男性を振り返る。その男性は笑顔で彼女に近づくと、失礼しますと断りを入れてから彼女の頬についていた泥を拭う。彼女は笑顔を浮かべた。

「ありがとう、イーゴリ」

 二人のやり取りを領民達は温かい目で見守っている。イーゴリは領主の右腕であるジール子爵の嫡男であり、誰もが二人は結婚するだろうと思っていた。

「ミハイル様がお呼びです」

「父が?」

 アナスタシアは用件を考えるように首を傾げる。そしてひとつの事に思い当たり微笑む。彼女は十六歳になったばかり。やっとイーゴリとの結婚を父が認めてくれたのだろうと思ったのだ。

「わかったわ。すぐに戻る。皆も今日はお疲れ様。また明日」

 アナスタシアは領民達に挨拶をする。領民達もまた挨拶を返す。そして彼女はイーゴリと共に馬車に乗り込み、自宅であるコロリョフ伯爵の屋敷へと戻っていった。



「私が、ですか?」

 アナスタシアの表情から色が消えた。一緒に戻ってきたイーゴリに下がるように言った時点で嫌な予感はしていたのだが、流石に想定外だった。彼女の前に座っているミハイルも渋い顔をしている。

「この親書に目を通すといい」

 ミハイルは机の上に置いていた書状をアナスタシアの前に差し出した。彼女は気持ちが落ち着かぬまま、それに目を通す。文章の最後には皇帝の署名がなされていた。シェッド帝国で暮らす者にとって、女神マリーの末裔である皇帝の命は絶対である。

 アナスタシアはどのように受け止めていいのかわからなかった。我が息子シャルルの妻として正式に迎えたい。そう言われているのだから喜ばなければいけないのはわかっている。だが彼女はイーゴリに嫁ぐと疑わずに過ごしてきた。婚約こそしていなかったが、暗黙の了解のような雰囲気はあり、二人が仲良くしている事を咎める者は誰一人としていなかったのだ。

「私には心を寄せている人がいます。彼以外に嫁ぐ事は考えられません」

「私もお前をイーゴリに嫁がせるつもりであった。だが断れぬ」

 ミハイルは悔しそうに奥歯を噛み締めた。彼は一領主としてシェッド帝国に忠誠を誓っている。だが、ダイヤモンド鉱山が生み出す利益を中央政府が虎視眈々と狙っている事は知っていた。また鉱山に出入りする男性を鍛えていた事も、あだになったかもしれないと思っていた。彼はあくまでも鉱山採掘の効率化を考えて鍛えたのであり、軍隊として鍛えたわけではない。だが結果的につるはしを斧に持ち替えれば戦力としては十分であり、実際に国境警備に就いている者達の中には採掘経験者も混ざっている。

「私に心を殺せと仰せなのですか」

「相手はマリー様の末裔。滅多な事を言うでない」

 ミハイルに強い口調で窘められアナスタシアは一瞬怯む。しかし彼女は譲れなかった。いくら信心深い彼女でも、皇太子妃になりたいとは一度も思った事がない。

「私は皇帝陛下の行いは腑に落ちません。何故、民と共に農作業をされないのですか。信仰は自由なのに、何故武力で多民族を制圧されようとされるのですか」

「アナスタシア!」

 アナスタシアは今まで聞いた事のないミハイルの大声に驚き、言葉を失った。彼も大声を出しすぎたと反省をしたのか、申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「それは各地の者も思い始めている。ローレンツ公国の方が余程聖書に忠実だとも聞こえてくる。だが中央では誰もが諫言出来ないという。現皇帝陛下にはそのような威圧的な雰囲気があるらしい」

 ローレンツ公国は約七十年前、シェッド帝国から独立した国である。皇帝の在り方について兄と揉めた皇弟が帝国南西地方の領主を頼り、あろう事か独立を宣言したのである。最初は公国が帝国にルジョン教に関する寄付金を収める事で折り合いをつけていたのだが、現在の皇帝になってから独立は無効だと言い、争いが始まっている。

「アナスタシア。これはいい機会でもある。シャルル皇太子が正しいルジョン教の教えを認めれば、昔のように皆が幸せに暮らせる。それが難しくともアナスタシアが皇子を産み、正しく教育をすればいずれ良くなる。シェッド帝国の行く末を救う為にも、この領地の民を守る為にも、この婚姻を受け入れてほしい。頼む」

 ミハイルは頭を下げた。アナスタシアは目を瞑り俯く。領地の民を守る為と言われては断われない。実際、断れば軍隊を差し向けられる可能性もある。自分の運命は何と厳しいのだろうと、彼女は心の中で嘆いた。

「ひとつ伝手がある。急ぎ使者を出した。何年かかるかわからないが辛抱してほしい」

「伝手とは、どういうものでしょうか」

「ガレス王国の公爵だ。彼はレヴィ王国との戦争を終わらせようと水面下で動いている。この戦争にはシェッドが介入していると噂がある」

 レヴィ王国及びガレス王国はシェッド帝国の隣国であり、二国間は戦争中である。だが二国ともシェッド帝国とは山脈を国境としており、またルジョン教も信仰していない。山脈が邪魔をして攻め難い為、皇帝もこの二国には軍事行動は起こしておらず、交易をしている友好国である。

「何故他国の戦争へ介入する必要があるのですか」

「皇帝陛下の狙いは食糧だ。レヴィもガレスも農業大国。また公国も小麦の産地。安定した農地が欲しいのだよ」

「それは交易で仕入れれば宜しいではないですか」

「自分の食糧を売る者がいると思うか? 余った分しか売らない。自分の食糧を余ってもいないのに売るとしたら、それ以上に金が必要な時だけだ」

 アナスタシアは目を見開いた。食糧を強引に手に入れる為、戦争で金を使わせ、金を欲しがらせる。そのような事はルジョン教の教皇を兼ねる皇帝がしていい所業ではない。

「このような事をしていては、いずれどこの国もシェッドに食糧を売らなくなるだろう。だがこの国には農地に出来る土地がそもそも少ない。私達も交易なしでは生活が出来ない」

 アナスタシアは頷いた。シェッド帝国は中央をシェッド家が治めていて、その下に各地方の領主が連なっている。帝国内の領主達との間の交易、他国との交易は自由だ。皇帝は国土を広げよと命令をしてくるが、国境に領地がある者からすれば、隣国との交易は生命線でもあり、簡単に攻め込むことは出来ない。ここ北方でも中央からの指示に対しては、ルジョン教を布教して取り込んでいる最中であると逃げており、国境に警備兵を配置しているものの軍事行動は起こしていない。

「とにかく皇帝陛下の命令は絶対だ。アナスタシアとこちらの縁が切れないように配慮はする。最悪、独立を宣言する事も考えている」

 ミハイルの言葉にアナスタシアは驚きを隠せなかった。

「独立、ですか」

「簡単にはいくまい。だが、ローレンツ公国という前例がある。アナスタシアが男児を産み、連れて戻ってくれば条件は近い。だがアナスタシアが皇太子殿下を愛して幸せに暮らせるというのなら、それに越した事はない。万が一の為に準備は怠らない、そういう意味で心に留めておいてほしい」

 アナスタシアは力なく頷いた。彼女の心の中にはイーゴリがいる。まだ会った事はないが、非情と噂される皇帝の息子を愛せるとは彼女には思えなかった。

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