11.お嬢様は酔っ払う(2)
繊細な彫刻が施された装飾的なシャンデリアに何千本という蝋燭がゆらめき、広間を真昼のように照らしている。
蝋燭代だけで金2~3枚はいくかしら、とエイレンは思った。
もちろん照明だけでなく、何もかもが贅沢である。大テーブルに並べられているのは縁に蔦模様と家紋の彫り込まれた銀の器、これでもかと並べられている珍しい料理に菓子、南方の果物。
広間の中央では先程までキルケが歌を披露していたが、今は踊り子の一団が客の目を楽しませている。蠱惑的なドレスを纏った高級娼婦の姿も見え、最後には芝居までかかるようだ。人件費を考えただけでアホらしすぎて目眩がしそうてまある。
フラーミニウス家の夜会もすごかったが、金持ちだし筆頭貴族だしこのようなものか、と思っていた。しかし他のお貴族様も皆負けず劣らず宴席は豪華だ。みすぼらしい、と思われてはプライドが廃るらしい。
皇帝に言われた時には、たかだか夜会の1つや2つで領地持ちの財産にそこまで影響するわけないでしょう、と考えていたものだが、なるほど、年に2、3回も開かせれば内乱を起こす資金はかなり不足するかもしれない。
歴史を少し紐解けば、ラールス朝の歴代皇帝は貴族の反乱に少なからず頭を悩まされていたことが分かる。貴族の反乱は政権を直に脅かし、また広範囲で容赦なく民を巻き込むため、単なる暴動より数倍厄介だった。
完全能力主義制を採用し、貴族から実権を取り上げて皇帝に集中させる一方で、見栄を張り贅を尽くすことを当然のように思い込ませて弱体化させる。これがラールス朝のとってきた対貴族策なのである。
「ちなみに宴の残り物は貧民街で配るのが習慣だぞ。そなたがあちこちで歓迎されるほど、貧民も潤うというわけだ」
ドヤ顔で皇帝陛下は宣ったが、嫌いなものは嫌いだわ、とエイレンは少しばかり眉をひそめた。贅沢さは聖王国で開かれていたそれの比ではないとはいえ、他国に来てまで何が悲しくてわざわざこんなものに出席せねばならないのか。
人脈?後ろ盾?重臣が暗殺未遂の黒幕であるらしいこの国でそれ何の意味があるのかしら?
しかしここをクリアすれば、次は貧民街でのパン配布に同行できるよう手配してもらえる。それだけを思い、彼女は壁際でなるべく息を潜め、人間ウォッチングなどで時間潰しをしているのである。
フラーミニウス(次男)氏が見繕ってくれたドレスも、その目的には最適だった。壁に溶け込むライトベージュの生地に首元の詰まったデザインは、悪目立ちしない程度に地味で無難で上品だ。
「これなら確かに軍服より目立たないわね」
よくやった、と誉めると、彼は相変わらずの若干ブスッとした表情でボソボソと言った。
「父と兄にはセンスの無いヤツと叱られました。主賓なのだからもっと考えろ、と」
「いえこれでじゅうぶんですよ!」
と言うのはダナエである。
「姫様はすでに皇帝陛下のお気に入りですから、この程度の方が虫除けに最適です」
そう、いくら次男でもフラーミニウス家。そのドレスには、目に止まりにくいだけでなく、贈り主を聞くだけで好奇心で近寄ってくる虫たちがあっさりと退散していくという効果もあった……ごく一部を除いて。
「今宵もお美しい」
例えばそこそこ豊かな領地を支配している某子爵家のA青年。爽やかな好青年で貴婦人方の評価も高いが、彼の挨拶はいつも判で押したように同じである。
「あら残念ね。そう言われたら女性は嬉しがるものだと信じておられる頭を冷やして差し上げる物が今手元にないわ」
何より残念なのは、つい送ってしまう冷徹な視線に彼がうっとりとしていることだ。エイレンの好物は怯えた表情なのに。
そして某伯爵家のB中年。爵位は兄が継いでおり、彼は領地経営を手伝いつつ苦み走った美貌を酷使しつつ割とお気楽な生活を楽しむ独身主義者である。
「今宵こそは私が贈ったドレスを、と思っていましたが、どうやらまたお気に召していただけなかったようですね」
「その辺りは侍女に任せているので見てもいないわごめんなさいね」
いやダナエから報告は受けていた。なんでも高貴な豹の毛皮をスレンダーラインで仕立て上げ、際どい位置までスリットを入れた異国風のドレスであるそうな。
「悪趣味ね」と思わず呟けば「まぁ……着せてみたかったんでしょうねぇ」と微妙な反応のダナエ。もしかして彼女も着せてみたかったクチかもしれない。
そしてダメ押しとばかりに添えられていたのは背を高く見せる厚底の靴。こちらも豹の毛皮にダイヤがあしらってある、何とも言えない趣味のものであった。
「わたくしの身長では必要ないわよね」と不思議がれば「まぁ……踏んで欲しかったんでしょうねぇ」とダナエ。
土足で踏みにじるのは人の心の方だけであって、生身の人間を踏むときにはさすがに靴は脱ぐことにしているのだが。それ以前に喜ぶ人間は踏みたくない。
「スペック高めのイケメン揃いで良かったじゃないですか」とダナエは当たり障りなくまとめたが、要は。
「高級店の菓子に食傷気味の方たちが、場末のパン屋の片隅に置かれた得体の知れない菓子を腹壊さぬ程度につまみ食いしてみようか、ということよね」
「そのご自身にさえ容赦されない毒舌、素敵です!」
―――そんなダナエとのやりとりをなんとなく思い出しつつ、適当な対応をしていると、ついに出た。
「今晩は。そこそこ楽しんでおられるようで何よりです」
わざとらしくフランクな挨拶をするのは、某侯爵家の長男のC青年である。母親譲りの美貌を誇る彼は、有能で人望の厚い、貴婦人方の人気不動のNo.1だ。
そんな男がなぜ、田舎からぽっと出てきた地味な娘を追いかけまわすようになったのか……事の起こりは幾日も前のフラーミニウス家の夜会であった。
出会った時は何事も無かった。次男氏より、父と兄です、と紹介され挨拶やら招待へのお礼やら腹の探り合いやらを普通にして別れた。その後、壁の花に徹しつつ人間ウォッチングをしている時にたまたま目についたのが長男氏である。
柔らかな物腰でソツのない笑顔を振りまくのを、まぁ昔のわたくしを見ているようだわご苦労様なこと、と3秒ほど眺めていると不意に目が合った。とりあえず同様にソツなく微笑んで軽く会釈しておいた……それだけなのに、なぜ。
「あらご丁寧にどうも。あなたの方は今宵もお忙しそうね。ほらあちらで皆様お待ちかねですわ」
あなたが絡むとややこしいのよ。わざわざ来ていただくだけでご婦人方の目が厳しくなるのだからとっととあちらに行ってちょうだい。
そんなこちらの意図が分からぬワケではないだろうに、わざわざ飲み物まで手渡してくる長男氏の本性はオニに違いない。
断われば角が立ち、断らなければ嫉妬の対象だ。
「どうぞ」
「わたくしごときにそのようなお気遣い不要ですのに。でもありがとうございます」
受け取って、少し夜風にあたって参りますわと呟き、飲まずに立ち去る。以上、ミッション終了。
バルコニーに出て見上げると、聖王国と同じ星が瞬いている。エイレンはふと姉を思い出した。
姉もよく、窓辺で夜空を眺めていた。そしてそこに群がる青年貴族たちに、熱心に星読みの技を解説していた。相手の意図も周囲の意図も全く気にしない姉はある意味最強だったと思う。
嫉妬しようにも話の内容はお星さま。口説こうにもすぐにお星さま。
わたくしもその手で行こうかしら。話の内容は常に貧民対策……無理がある。貧民は夜会の場にはそうやすやすと転がっていない。
「星を見ておられたんですか」
出たな人気No.1。背後から声を掛けられ、エイレンは内心で舌打ちしつつゆっくりと振り返った。
「いえ貧民対策について考えておりましたの」
無理があるかは、やってみなければ分からないではないか。




