10.お嬢様は招待を受ける(3)
「本当に度し難いタヌキ坊やだわ」
憤然としたエイレンの声が夜の静寂に響き、キルケはそっとあくびをした。ここ数日の寝物語はずっと少年皇帝に対するグチである……はい、ニセとはいえ一応婚約者なので同衾させていただいています。
なぜこんなことになったかというと、皇帝陛下直々に「夜遊び厳禁」とお叱りを受けた上にお嬢様が潤んだ瞳で「あなたがいないと寂しいの」と仰るからです。こいつら陰でどんな協定を結んだのだか。
でも何ら怪しいことはしておりません。毎晩皇帝の寝所に呼ばれている性格が極悪な婦人に手を出すなんて恐ろしくてとてもとても。せいぜいストレス解消に使っていただく程度が関の山です。
「あの坊やのせいで、魔の数時間への招待状が山ほど届くようになったというのに全く反省していないのよ」
「良かったじゃないか。せっせと出席して後ろ盾をたくさん作っておくんだな」
「夜会へ出席した程度でできる後ろ盾なんて軽すぎて役に立たないわ」
ふん、と鼻を鳴らし、その上にね、と声を潜めるエイレン。
「できるだけ貴族の招待には応えてヤツらに無駄金使わせてやれ、と言われたわ。仲が悪いのね」
彼女にとっては新しい発見かもしれないが、それは帝国では明白な話であった。
「貴族が力を持ちすぎると皇帝陛下は困るのさ。でもあんたはどっちみち従う気はないんだろ?」
「従う従わないではなくて、これは取引きなのよ」
夜会が余程イヤなのか、その声は悲痛だった。
「出席すれば視察先が増えるの。受けて立つしかないでしょう」
どうやら皇帝陛下は彼女を釣るエサを見つけたようだ。でも半分は親切心じゃないだろうか、と思うキルケであった。
「で、まさか夜会は軍服じゃないだろうな」
「そうしようと思って、念のためにイミテーションを縫い付けておこうとしたのだけれど」
エイレンが深く深く溜息を吐いた。
「ダナエとフラーミニウスさんに叱られたわ」
百歩譲らなくても、ダナエは分かる。しかしなぜ。
「あいつが?」
「筆頭で呼んで下さっているのがフラーミニウス宰相だからよ。あの堅物、ドレスまで用意して下さるらしいわ」
「ひえっ」
思わず悲鳴が漏れた。
なんとなれば、帝国の上流階級には不思議な恋愛ルールが存在するからだ……これと思ったご婦人にはまずはドレスを贈る、という。
ご婦人がそれを身に纏って夜会に出れば、庭園の東屋あたりでこっそり押し倒しても構わない。
いやいやいや、まさかあの堅物に限って。というか、堅物一家が開く夜会で恋愛遊戯を楽しむとか自殺行為としか思えんし。
「父に恥をかかせるワケにはいかないからで他意はないから誤解するなと何度も言われたけど、あの人相手に何を誤解するというのかしらね」
「さぁなぁ……」
余計なことは言わぬが花だ。わざと眠そうに返事をすると、エイレンもまた小さくあくびをしてお休みなさい、と言った。
追及されなくて、本当に良かった。
※※※※※
その日、聖王国の国王・ディードは不機嫌だった。地方の視察が無事に終わり、約1ヶ月ぶりの王宮で彼が告げられたのは、2つのニュースだった。
良いのと悪いのどっちからにしますか?と問われて良いの、と答えればそれは帝国の姫との婚姻の日取りが来年の春の大祭に決まったというどうでも良いものであり(13歳相手に何をしろというのだ)、悪い方はといえば、秘密裏に行わせていた狩りが失敗に終わったという、実にイライラする知らせだった。
狙っていた獲物は帝国に逃げたらしいとイチは告げた。しばらく彼女を滞在させていたという館の主のとぼけた口調を真似しながら。
「帝国まで探しに行きますか?」
「打ち切りで良い」
バカな君主になるまいと思うなら、引き際は大切だ……しかし腹が立つ。
遣る方ない憤懣を抱えたその足は自然と側室の部屋へと向かう。
最初は見てくれが美しいだけのつまらない人形だと思っていた娘は、やがて開花した。艶やかに、この上なく優しく、そして時たま気まぐれな妖精のように。それがただ自分への愛のためだったと思うだけで、彼女がいとしい。
来年には正妃を娶る。時には美しい女に心奪われることもあるかもしれない。しかし、1番はいつもファーレンだという確信がある。
不意に背後から目を塞がれた。
「わたくしは誰でしょう?」
「もちろん私のいとしい妻だ」
弾むような笑みを含んだ問い掛けに応え、振り返ってほっそりとした身体を抱きしめる。
「会いたかったぞ」
「うそ」
くすくす笑って告げられた言葉に、思わずギクッとしてしまった。狩りのことがバレたのだろうか。
しかしファーレンは柔らかく彼の首に腕を回し、耳に口を寄せて囁く。
「すごく、こわいお顔でいらっしゃったもの」
「その通りだ。だからお前に慰めてもらおうと思った」
「あらこれからお父様になられる方が、甘えん坊ですこと」
「何だと」
驚いて妻を見ると、彼女は恥ずかしそうに俯いた。
「あの、本当はまだ申し上げてはいけないと言われていましたの。なのにわたくしったら嬉しくて、つい」
「当然だ。私も嬉しいぞ」
「あの、ですから、まだ」
慈しむように腹に手を当てる仕草を、今までで最も美しいとディードは思った。
「まだここに、留まってくれるかは分からぬそうなのです。話半分と思って下さいませ」
「それは無理だな」
実感はさほど湧かないが、身体は浮き立つようにふわふわする。なにかせずにはいられない。
「神官長に祈祷を上げさせよう」
ワクワクと口にすると、ファーレンは少し困ったような顔をした。
「この時期は祈祷すら届かぬ、完全なる神の世界のことだから、と言われました。期待しすぎぬよう、静かに見守るのが良いそうですわ」
「そうか」
ガッカリしたが、従うよりほかは無さそうだ。
「では、一緒に風呂は構わないか?邪魔にならぬよう、静かに祈るから」
もう一度背後から抱き寄せて首筋に口づけながら尋ねると、ファーレンは真っ赤になって、小さく頷いたのだった。
ディードはこういうヤツなんです。許してやって下さい……(涙)




