10.お嬢様は招待を受ける(2)
この反抗期め。
フラーミニウス宰相は胸の内で、本日何度目かの台詞を呟いた。そう、幼い頃より誠心込めて教え導いてきたはずの少年皇帝は、只今大人への道程を健やかに辿っている最中である。
別にそれが悪いとは思っていない。15歳にもなってなんでもハイハイと宰相の言いなりになるだけの皇帝では、己の死後の帝国はお先真っ暗ではないか。
ただ、厄介で面倒だ。
今回の件の始まりは、4ヶ月程も前になるだろうか。聖王国からの打診だった。
あんたの国のスパイを捕らえたけれど、別に大した情報握ってるワケでも無さそうだから身代金出せば返すよ?金100枚程度でどう?勿論出すよね。
まぁ砕いて言えばそんなノリだったと記憶している。多少がめつく多少喰えないところがあったとしても対外的には大変に穏やかな辺境の小国に誰がわざわざスパイなど放つだろうか、とその時は思った。
聖王国は手を出しさえしなければ噛みついてこないガラガラ蛇なのだから。
それを行ったのが皇帝だと分かった時には、かなり本気で遠回しな嫌味混じりの説教をしたものだ。これに懲りて今後はしないよう、聖王国との平和な関係を保つために身寄りのない青年など見捨てるべきだと敢えて強く進言もした。
聖王国は再三同じ打診をしてきたが、その度に知らぬ存ぜぬと押し通してついには青年を処刑に追いやったのだった。フラーミニウスが忠実なのは民に対してではない。皇帝による治世に対してなのだ。
これで事は終わったと信じていたのが、あっさりと覆されたのはつい先日のことだ。
災厄の種は、聖王国に送られていたもう1人のスパイに伴われて現れた。それだけならともかく、マズいことに不肖の次男が、本人曰く世話係 兼 監視役 兼 護衛として任命されてしまった。
もちろん女に多少なりとも頭があるなら、不用意に皇帝の野心に火を点けるような発言はするまい。それなりの対応をするのは、彼女の出方を見てからでも遅くはない……しかし、不安だ。
スパイに籠絡されてフラフラと故国を棄てるような女に、どんな配慮を期待できるというのだろうか?
もっとも波風立てず事を収めるには、女をなるべく早めに始末せねばならないだろう。この際、出来の悪い次男の評価が下がるかもしれぬことなど二の次にしなければ、フラーミニウス家が皇帝を焚きつけ戦争を引き起こした張本人だとされかねないのだ。
もちろん、代々の『忠実な』家としては皇帝の客人に直接手を下すワケにはいかなかった。しかし方法が無いわけではない。
己と同じく先代皇帝の時代から重臣であった者たちに情報を与えれば良いのだ。ごく軽く他愛のないグチをこぼす、という形で。
彼らのうちの1人は早速動いてくれたようだが詰めが甘過ぎた。刺客は女に傷1つ負わせることなく逃走するしかなかったらしい。
聖王国の神殿関係者は有事には軍人も勤めると聞いたことがあったが、それも情報として与えるべきだった、と思っても後の祭りである。
警戒はより厳しくなり、皇帝陛下はこの謁見で彼女を公に紹介することにしてしまった。再度の襲撃は骨が折れることだろう。
せめても、と再度くどくどと説教すれば、皇帝陛下は白々しくもこう宣ってくれたのだ。
「そもそもそなた、余が本気で聖王国を侵攻するなどと思っておるのか?余の髪は聖王国の姫であった祖母譲りだというのに?来年には大事な妹が嫁ぐ国であるというのに?」
この反抗期め。隣国のよしみで惰性のように続く姻戚関係を持ち出して、うまく誤魔化したとでも思っているのだろうか。
顔を見たこともない祖母の祖国や、後ろ盾を全く持たぬ縁薄い腹違いの妹姫の嫁ぎ先など陛下にとっては全く重要ではないだろうに。
「宰相よ。こちらも諾で良いと思うのだが、そなたどう考える?」
皇帝陛下の声にはっと顔を上げると、いかにも信頼しきった、といった瞳にぶつかった。政治の面では未だにこの宰相を尊重してくれる少年が、なぜ聖王国についてはこれほど頑固なのだろうか。
「小麦の輸出に関しては再考を。理由はお分かりですかな」
ふむ、と皇帝は頷き言葉を変えて役人に伝える。
「一昨年の飢饉で、小麦の備蓄はまだじゅうぶんとは言えぬな。まずは倉を満たすことを考えよ」
フラーミニウス宰相は満足して頷いたが、次に皇帝の口から出た台詞に再び渋面を作った。
「さて、急ではあるが、皆に紹介したい客人がいる。余の古い友人なのだが、政変に巻き込まれ我が帝国に亡命してきたのだ」
全く考えの浅い反抗期だ。
うまく本来の目的を隠し『古い友人』に仕立て上げたつもりだろうが、『政変』だの『亡命』だのとわざわざ言うところが、後々に介入する意図がありまくりだということを示唆しているではないか。
そっと周囲を伺えば、近衛隊長と公安局長も同じく複雑な表情をしている。刺客を送ってくれたのはやはり彼らのうちどちらかだろうか。大穴で侍従長……は、どう考えても無さそうだった。
「前へ出るが良い」
皇帝の呼びかけに応じ、不肖の次男が神秘的に輝く金の髪に蜜色の瞳の女を伴って広間の中央を進む。
驚いたようなどよめきが上がるのは、彼女の服装のせいだろう。貴婦人には有り得ぬ軍服姿は、多くの者に覚えてもらおうと奇をてらったのか、それともこちらに対する宣戦布告か。
聖王国からの客人は皇帝の前で歩を止め、両手を胸に当て膝をつく最敬礼をとる。その仕草は美しく、まるで神話の一場面のようであった。厳かな雰囲気さえ漂う中、皇帝は気軽に椅子を降り彼女に近付くとごく親しげに手を貸して立ち上がらせる。
そういえばここ数日というもの、毎晩寝所に呼んでいるとかいう噂もちらっと耳にしたが……まさか真実ではないだろうな。
「聖王国の貴族の姫、エイレン・デ・イガシーム殿だ」
嬉しそうに少年は告げ、更に余分な台詞を付け加えた。
「本人の希望により公式に歓迎の宴は行わないが、そなたたちが歓迎の意を表し十分に姫をもてなしてくれるなら、それは余に対する忠誠の証と受け取ろう」
……この反抗期め。
フラーミニウス宰相はもう一度、胸の中でそう呟いたのだった。




