8.お嬢様は皇帝陛下に振り回される(3)
皇帝の賓客として供された部屋は3間続きのなかなか豪華なものだった。
手前の部屋には小ぶりの丸テーブルと椅子が3脚、それに壁際には長椅子が置かれている。中の部屋は書斎といった様子だ。窓際には揺り椅子が置かれ、開け放たれた広い窓からは庭園を望むバルコニーへと続いている。奥は寝室。
全体にバランス良く配置された調度品は、前の主の趣味なのか彫刻の施されていないものが多い。シンプルだが植物をイメージしたようなフォルムが優美である。
「前皇后様のお部屋ですわ」
さり気ない侍女の説明に、エイレンは少しだけ眉を寄せた。
「それは色々と問題があるのではないかしら」
「いえ。今朝方、離宮の皇太后様には許可は取ったと聞いております」
下級貴族出身だという侍女はのほほんとそう言ったが、帝国にはないのだろうか。その部屋を与えることで将来の地位を暗に宣言しているのだ、というような考え方は。
もし聖王国の王宮でそんなことになったら、本人の希望如何によらず政治系貴族たちは喧々諤々の議論を開始することだろう。「たまたま部屋が空いていたからさ」などというのは言い訳とも思われず単純スルーされるに違いない。
はてさて帝国ではどうだろうか、と考えた時にまず浮かぶのは、少年皇帝の無邪気を装った翡翠の瞳である。きっと問題があろうと無かろうと、彼はしれっとこう言うに違いないのだ。
「何かいけなかっただろうか?」
……ということは。
この件に関してゴチャゴチャ言うまい、とエイレンは考えた。騒げば騒ぐほど、皇帝陛下の思うツボであるに違いない。
たかだか15歳のガキのオモチャになってたまるか。
(このわたくしを振り回そうとしたこと、いずれたっぷり後悔するがいいわ!)
今度はスルーできないほど引っ叩いてやる、と決意を新たにしていると、フラーミニウス(次男)氏が苛立った声を上げた。
「おい、聞いてますか?」
「いいえ全く。外出はもちろん自由にして良いのでしたわね」
「あほか。2度も説明させないで下さい」
わざとらしく気に入らなかった部分を聞き返せば、フラーミニウス(次男)氏は溜息を吐いてもう1度同じ台詞を繰り返す。すなわち。
「外出は前々日までに守備隊に許可を取って下さい。実際には私に言って下されば結構です」
「なぜわたくしが監視されなければならないのかしら」
「貴女が死体で発見されることのないようにですよ」
「あら暗殺者が、の間違いではないの」
「あまり自信を持たない方が良い。優秀な専門家はたくさんいますから」
「ではあなたごときの護衛では無理ね」
「全くその通りです。ご自身でも十分お気を付け下さい。食事は全て私が毒味しますので悪しからず」
「まぁフラーミニウスさんのようなご立派な家柄の方に毒味させるなんて」
「陛下はそれ自体が抑止力になるだろうと」
陛下命は筋金入りだった。皇帝直々の命令とあれば私情ですら引っ込められるのか、どの方面からつついてもフラーミニウス(次男)氏の真顔に変化は見られず歯ぎしりの音も聞こえない。
つまらなくて死にそうだ。これも皇帝の嫌がらせの一環だろうか。エイレンは更に別方向からの一撃を投げ込んでみる。
「では……安全のために夜も同室して下さるのかしら」
崩れろ、と念じて潤ませた瞳をその真顔に向けると、その表情は心底分からない、といった感じのきょとんとしたものに変わっていた。
「は?それはキルケ殿の仕事でしょう。陛下も確かにそのように仰せに」
「……なぜそこで吟遊詩人が出てくるの」
「え?だって婚約しておられるのでしょう?護送中も確かそう呼ばれていたではないか」
確かにふざけて、婚約者様、と何度か呼んだが、まさか歯ぎしりしつつきっちり聞かれているとは思わなかった。
フラーミニウス(次男)氏は実に真面目に続きを説明してくれた。
「勝手ながらご報告させていただいたところ、皇帝陛下は大変にご機嫌麗しく、これで昼夜とも警備は心配ないなと仰せられたので」
エイレンは額に手を当て、心の中で昨晩から何度目かの呻き声を上げる。頭の片隅で、実際には聞いたことのない少年皇帝の高笑いが響いた気がした―――




