7.お嬢様は皇帝陛下に会う(2)
眠られぬ、とユリウス・ラールスは無駄に広々としたベッドの上で寝返りを打った。こんなにも目が冴えるのは2年前の彼が13歳になって間もないある日、父であった前皇帝の訃報を聞いて以来である。
その原因はちょうど夕食時にもたらされた早馬による知らせだった。南都に現れたその男女2人組は怪しげな術を使い、聖王国から来た皇帝陛下の客人とそのガイドだと主張したそうである。
「心当たりがおありで無ければ、不敬罪として処罰する予定とのことですが」
彼らが罪に問われるのは当然、と信じ切った使者の滑らかな口調をユリウスは遮った。
「心当たりなら大いにあるぞ。詳しいことは言えぬがな」
普段は滅多に見せることのない、笑みが口許からこぼれる。初めて宰相の意見を容れずに自らが決め、命じたことの結果が帰ってこようとしているのだ。
2ヶ月ほど前だったろうか、任務を命じた2人のスパイのうち1人は聖王国で捕まったことでもうこの件は諦めるしかないかと思っていた。しかしその1人を見捨てることを帝国として選択してもなお、この計画自体は運命の女神から見捨てられてはいなかったのだ。
それでこそ宰相に大目玉喰らった甲斐があるものだ。ユリウスは半ばワクワクしながら、侍従長に伝えた。
「そやつらが誠に余の客人であるかは、余が直々に検分してやろう。着いたらすぐに知らせよ。夜中の何時でも構わぬ」
しかし、遅い。
ユリウスは何度目かの寝返りを打った。
アルディア系の軍人だった始祖アウグストゥスの皇位簒奪から始まるラールス朝の歴史は80余年といったところだが、代で言うならユリウスで5代目。よく考えたら2代目、同じ名だったユリウス帝が63歳で病没した以外は皆50歳に手が届かず亡くなっているのである。
皇帝だが亡くなる年齢は割と世間の平均に近い。そんな平均並みの短い寿命と引き換えかのように、与えられた2つ名は華々しいものが多かった。
『勇敢な』『賢明な』『戦神』。それらと比べるとやや凡庸な感じのする父の『善良な』だって、今自分が呼ばれている『年若き』よりはマシだと思う。
「2つ名は功績によって与えられるもの。焦る必要はありません」
能力主義で振り落としても意地(?)で宰相の地位を獲得している、代々『忠実な』フラーミニウス侯爵は苦虫をかみつぶしたような顔でユリウスにそう忠告する。
それはそうだが、もし明後日死んでみろ。自分は末代まで『年若き』としか呼ばれないではないか。いやもしかしたら『傀儡の』かもしれない。何しろ政治の方は老練なフラーミニウス宰相の言うままになるしかないのだから。例え宰相が忠実に自分を育ててくれようとしているのであっても、だ。
だからこそ考えたのが聖王国への侵攻だった。この大陸で帝国領でない唯一の国である。
神に護られているといわれる(最北端にありながら)温暖な気候と肥沃な畑、天然の良港、そして宝の持ち腐れな手付かずのミスリル鉱山。
ミスリルは高価すぎて買い手がつかず、採算が取れないからというふざけた理由で100年来採掘を中止しているくせに、こちらから再三採掘を申し込んでも首を縦に振らない。
聖王国の外務大臣は穏やかで丁寧な態度で、帝国が提示した条件を悉く蹴ってくれたのだ。
「我が国のかの鉱山の価値とは、はてさてそのようなものでしたかな。もう一度計算して出直して参りますので今しばしお待ちいただけると有難い。まぁ、強大な大帝国様がこのような事柄にいつまでも拘泥されることは無いと信じておりますがな」
業を煮やしてユリウス自身も臨んだ会見ではのらりくらりとこう言われた。
辺境の未開の小国からこのような度し難い態度を取られるのも、歴代皇帝がこの国に対してだけは及び腰だったせいだ。正しくは聖王国の持つ神魔法の力に、だが。
約100年前、アシニウス朝はその力の前にコケた。侵攻を目論む軍が国境を越えたちょうどその時に山が突如として火を噴き、燃え盛る溶岩は軍を壊滅させた。溶岩は麓の村にも流れ込み1つの村をまるまる消し、またその近隣の村にしつこく降り注いだ灰はそこを作物の実らぬ土地に変えたのだ。山は現在でもその溶岩を熱く滾らせ『神のかまど』と呼ばれている。
この失敗はアシニウス政権にケチをつけ、ほどなくしてユリウスの祖先に滅ぼされる原因となった。
だからこそラールス朝の皇帝には代々言い伝えられてきたのだ。
聖王国に手を出すな。
しかしもし、とユリウスは考える。神魔法さえなんとかなれば聖王国の軍事力など赤子のようなものだ。そのためにまずは膝を折ってみせ教えを乞うことを考えた。それでもダメなら脅しても良い。
だがフラーミニウス宰相始め、腹心たちは誰も賛成しなかった。
「もう少しよく考えてみられるのがよろしいかと」
皇太子だった時に散々言われた「そのような浅いお考えで帝国を統べられるとお思いですかな」と、そっくりの声の調子で宰相はそう言ったのだ。
彼らが言いたいことも分かる。しかし、恐れているだけでは何も為し得ないではないか。
「陛下、お休みであられますか」
寝室の外から侍従長の声がした。
「着いたか」
返事を待たずに跳び起きて寝室を出ると、侍従長が苦笑した。
「畏れながら申し上げますが、陛下」
「皇帝らしい振る舞いは昼間ジジイどもの前で散々やっているぞ」
「お分かりなら結構です」
この侍従長といい宰相といい、父の代からその役職につき、皇太子時代には教育係も務めたお歴々の態度というのは皇帝になったからといってそう大きく変わるものではないのだ。
それは有難くもあるが同時にウザくもあった。
いつか変えてみせる、とユリウスは思う。真の皇帝として全てを手にするのだ。
聖王国はその皮切りに、運命の女神が与えてくれた獲物に違いない。その証拠に、一度は諦めた攻略の鍵はこうして再び与えられようとしているではないか。
このチャンスは必ずものにしてみせる。
ユリウスは逸る気持ちそのまに、駆けるように客人の許へと向かったのだった。
作中ラテン語を参考にした言葉を多用していますが、あくまで参考なのでウソもあります。悪しからずご了承下さいませm(_ _)m




