6.お嬢様は容疑者になる(3)
熱した鉄板の上に、水で溶いた小麦粉を職人が専用のヘラで丸く薄く延ばす。そうして作った皮で好きな具材を巻き込んで食べるのが、南都名物のクレープだ。
「なかなか面白いわね」
とエイレンは感想を漏らした。
職人が次々と皮を焼いていく様もそうだが、いかにも『だから手に入らないものなんて無いんだってここでは!』と主張しているかのような具材の揃え方も興味深い。
皇都の南にあるから安易に南都と名付けられたこの街だが、位置的には実はかなり北の方である。そのせいか、わざとらしいほどに南からの物が多いのだ。
キュウリやトマト、オクラなどの珍しい野菜がベーコンや卵と一緒に当たり前のように並んでいる。
そして極め付けは皮のほんのりとした甘さ。癖がなく舌に馴染みやすいのは、ハチミツではなく砂糖が使ってあるからだ。
「まぁもちろん美味いんだけどさぁ、味覚云々を超越して南都きたらこれ!みたいなのがあるんだよな」
久々に堪能した、と満足そうなキルケの前には、スリ・まだらピンク氏が意識を失ったまま無理やり椅子に座らされている。まだらピンクは焦げた跡にエイレンが丁寧に治癒のまじないをかけてやった成果だ。
「起きたらご馳走して差し上げようかと思ったのに、残念ね」
「あんたもまぁ、よく食べたよな」
「このトッピングの豊富さでついね」
そんな話を和やかにしていると黒い警棒が肩を抑えてきた。やっとお出ましね、とエイレンは呟く。
「貴様らだな」
守備隊の制服は、存在そのもので威嚇をするかのような黒。胸に描かれた仰々しい双頭の鷲は、皇帝の紋章だ。店内という配慮もあってか、人数は4人と少ない。代わりに皆なかなかに屈強な感じのする男たちだ。荷物持ちまでいるなんてまぁなんて親切なのかしら。
「怪しげな術を使ってそこの一般市民を黒焦げにしたのは!」
黒焦げじゃなくてピンクよ、今は。
これには理由が、と言いかけたキルケを制し、守備隊の皆さんにエイレンは実に優雅に微笑んでみせた。
「あら、ちょうど食べ終わった頃にお出迎えなんて、気が利いているわね」
「……貴様ら立場が分かっていないようだな」
「貴様ら、ですって。無礼も2度は許さないわよ?それともこれが、皇帝陛下の流儀なのかしら」
いきなり皇帝を持ち出されて戸惑う黒服メンバーズに、エイレンは解説してやる。
「皇帝の客人として遠路はるばると旅をして参りましたらいきなりスリに遭い、やっと来たと思った迎えの者たちにはいきなり罪人扱いされているのだけれど」
「皇帝の客人だと?!」
「ああコレコレ」
キルケは懐を探り、小さな札を取り出した。黄金に守備隊の制服と同じ紋章が彫り込まれたそれは、直々に密命を賜った者のみに授けられる証である。聖王国では所持がバレたらむしろ危険な代物だったが、帝国内での効果は抜群だ。
じゅうぶんに驚いてくれたらしい黒服メンバーズに、エイレンが畳み掛ける。
「わたくしは聖王国の神魔法士部隊でも一の使い手。皇帝より内々にこちらの国にご招待いただいたのでわざわざ出向いて差し上げまたのよ。なのに、礼儀知らずのならず者国家だったなんて」
ジロリと黒服メンバーズを見回すと、その冷徹な眼差しに彼らは一様に固まった。これぞ性悪女の貫禄である。
「どうやら合図が気に入っていただけなかったご様子ね。もっと盛大な烽火を焚いた方が良さそう」
「……よく分かった。盛大な合図など必要ない」
黒服の1人が凍り付いた心臓を吐く息で溶かしながら言う。他のメンバーはまだ固まったままだ。
「では恭順の証に名と所属を述べなさい」
「図に乗るな、女」
黒服がエイレンを睨み付ける。
「我々が従うは皇帝陛下のみだ」
こういう忠誠心の塊見るとつい苛めたくなってしまうわ、とエイレンは思った。あなたのような推定・守備隊の副長補佐官レベルの人間など皇帝陛下から見ればただのゴミクズよ残念だったわね(高笑)とか。
「ならばあなたの尊敬する皇帝陛下に直にお目に掛かった折にでも、わたくしたちがどの街でどのような歓迎を受けたか詳細にお伝えすることにしましょう」
きっと皇帝陛下はあなたの忠誠心にいたく感動なさるわね。もしかしたら二階級特進も夢ではないわよ、と久々の聖女スマイルを作りながら告げる。
「……もちろん陛下の客人に相応しい対応はさせていただく」
黒服・副長補佐官(推定)の口の中からギリギリと歯ぎしりが漏れた。なかなかいい音色だ。
「だが、失礼ながらあなた方が本当に陛下の客人であるという確証はまだ無い。しかもどうやら相手はスリとはいえ、このような傷害沙汰はやはり法に反する行いだ」
あら意外と冷静だわ。やはりもっと苛めた方が良かったかしら。
「従って、我々はこれからあなた方を皇都まで護送することとする」
つまり問題があり過ぎて手に負えないから本部に回してしまえ、ということだ。
「ちょっと待って下さいよ」
キルケが口を挟んだ。
「私たちはつい先程、ここに着いたばかりなんだ。まさか観光ひとつさせずにいきなり追い出したりしないよな」
黒服・副長補佐官(推定)がしばらく考え、いいだろう、と頷き口調を若干柔らかくした。
「手続きには時間がかかる。その間は観光なり買い物なり好きにして下さい。護衛も付けさせていただきます」
護衛とは言わずもがなの監視役であるが、2人の自称皇帝陛下の客人は晴れ晴れと感謝の意を示したのであった。
※※※※※
同じ頃、聖王国の精霊魔術師の館では―――
「あっ」
アリーファが感動の声を上げた。手の中で、透輝石が青白い光を放っている。
炉をはさんだ向かい側にいた師匠が手仕事から顔を上げ、おめでとうございます、と言った。
「点きましたね」
「はいっ」
嬉しさが胸からこみ上げ、アリーファは満面の笑みで勢い良く頷いた。思えばこれまで失敗すること……何回だったっけ。
「えと、その。今まで、もしかしたら百回くらいは割っちゃって済みませんでした!」
最初はぴくともしなかった透輝石は、練習回数を増すごとに割れてしまうことが多くなった。師匠はそれを「できるようになってきているということですよー」と取りなしては、ちゃっちゃと修復のまじないをかける。
最近はその繰り返しだったのだ。
師匠は決して怒らない。今も、にこにことこんな風に言ってくれる。
「それだけ熱心に練習したということですよ。よく頑張りましたね」
「はっ、はい!……ところで師匠」
アリーファは怪訝な顔をした。
「それ、いくつ作るつもりなんですか?」
師匠の膝元には木製の皿が7、8枚積まれている。どうやらそれに精霊魔術で何やら文字を刻むのが本日の仕事らしいのだが。
「え?ああ……要るのは1つだけなんですが、これから人気が出そうだからまとめて作っておこうと思って」
「何なんですか、それ」
「ネコってご存知ですか」
師匠は最近、金持ちの間でペットとして流行し始めた動物の名を上げた。帝国でも最南部からやってきたというその動物は例えようもなく優雅で、宝石のような美しい瞳を持ち、甘い声で鳴く上になぜかネズミも捕ってくれるらしい。
「その動物はしばしばフッと姿を消してしまうので、心配した飼い主がどこへ行っていてもきちんと帰ってくるようなまじないを、と依頼してきたんですよ」
ふーん、とアリーファ。
「師匠、それ私も1枚もらっていい?」
「どうぞ。上に好物を置いて戸口の側に置いておくんですよ」
アリーファは表へ出ると、皿を扉の側に置いてクェルガ(クルミとドライフルーツの固い菓子)を載せた。
祈りを込めてしばらく眺めていると、背後から神様の声がした。この神様はなぜかしょっちゅう遊びに来るのだ。
「よっ!何してるんだい嬢ちゃん?」
「師匠の気持ちをそこはかとなく代弁してみました」
ああ、とハンスさんはしゃがみ込んで皿を見る。
「心配しなくても、オニのように元気でやってるさ」
「そんなの当然でしょ」
「哀れな誰かさんをぶっとばしたり……」
「足蹴にしたり、オモチャにしたりしてね」
2人は目を見合わせてニヤリとする。
「……手紙、書いてくれてるかなぁ」
アリーファがポツリと言い、ハンスさんはまた笑って鳶色の柔らかい髪の毛をくしゃっと撫でた。
「約束したんだろ?なら絶対書いてるさ」
そうだね、とアリーファは元気良く立ち上がる。さて、ハンスさんの今日の手土産は何だろう。




