5.お嬢様はおねだりをする(3)
コバルトブルーの空がどこまでも広がる大地を、馬車がゆっくりと走っていく。村を出てしばらくは青々とした麦畑が広がっていたが、それも途切れて今はなだらかな丘に差し掛かっていた。
「次の街は帝国で1番だぞ」
キルケは膝に抱えたリュートを調弦しながら言った。馬車が半端なく揺れるので調弦は先程から全く上手くいかないが、それでも彼は上機嫌である。
当初の予定よりかなり遅れて村での滞在は5日延びたものの、その分懐も温かくなった。エイレンに半分取られても、まだ満足がいくほどに。
腰痛も治り言うことなし、である。
「皇都が1番ではないの?」
「あそこは皇帝がいるだけだ」
守りを重視し三方を山で囲まれた皇都は、交通の便が悪い。全国からの物資はまず皇都の南にある街に集められ、そこで取引されて一部は皇都へ、残りはまた他の地方へと運ばれるのだ。
「買い物するなら絶対に南都だな!」
同じ物でも皇都で買えば3割以上高くなる。
「ドレスも2着は買っておけよ」
キルケの忠告にエイレンは眉をわずかに潜める。
「とりあえず欲しい物は書物だけだわ」
服なんて着られさえすればじゅうぶんでしょ、今あるもので大丈夫よ。
女性には珍しいセリフを吐くエイレンの手持ちは、染めのない麻のワンピースが2枚に裾の長い革のチョッキ、ほかは村長宅の若奥様から贈られた帝国北部のお嬢さん風ツーピースだけだ。
それらは皺が寄るのも無視してキュッと小さくまとめられ、キルケが持たされている。
「それにあなた、それ以上荷物が増えたら大変ではないの」
書物もあるのに、その上まだドレスだなんて、とエイレン。買い物も当然の如くエセ婚約者に持たせる気らしい。
「送れるからいいんだよ」
キルケはドヤ顔で帝国の物流システムを自慢した。荷物は次の滞在地近くの集荷所を指定しておけば、そこまで届けてくれる仕様なのだ。
「大体あんた、その服で皇帝陛下の前に立つつもりか?」
「何かいけない?」
そもそも皇帝陛下とはそんなにホイホイ会ってくれるものだったかしら、と首をかしげるエイレン。
「それが会えるんだよな」
何しろ今回の件では、事の発端は皇帝陛下の密命である。皇帝陛下は当初、正式な国交を経て神魔法についての教えを聖王国に乞う(か脅し聞く)予定だったが、臣下の反対を受けうまく進まなかった。
それで、ある日畏れ多くもじきじきに命を受けたのがキルケとイケメン君だったのだ。
(まぁ忘れられているかもしれんが)
その時はその時だ。
「いいか、あんたの帝国内での立場は微妙だ」
客人として扱われるか虜囚になるかはあんた次第だ、とキルケはエイレンを諭す。
「それなりに良いものを着て、無礼な振る舞いは決してするな」
「それは難しいわね」
普段は感情が荒れるほどに無表情になっていくエイレンだが、この時は額に青筋を立てていた。
馬車の揺れが気持ち悪すぎて表情を落ち着ける余裕が無いのだ。
「わたくしあの方には最初っから腹を立てているし」
初対面で殴りそうな勢いで。
「気持ちは分からんでもないが、初対面とその次くらいは抑えてくれよ」
「その間にあなたが知らん顔で旅に出るんだと思うと尚更腹が立つというものだわ」
「バレてたか」
この女の本性があきらかになり連れてきた彼の責任が問われそうになる前に、褒賞だけいただいてバックれよう。これが、ここ数日間考えた末にキルケの出した結論なのだ。
「あなたってヒドい人ね」
「あんたに言われたくないな」
「他国に来たばかりで右も左も分からない婚約者を置いて、どこかへ行ってしまおうなどとよくも考えられたものだわ」
「あんたなら大丈夫だよ」
キルケがニヤッとして片目をつぶる。
右も左も分からなければ、正面の壁を叩き壊して進もうとするだろう?
「あら素敵な評価」
エイレンがやっと微笑んだ。花のよう……うるさい、とキルケは急に聞こえてきたイケメン君の声を向こうに押しやる。
「では薄情な婚約者さんにお願い」
エイレンの両手がキルケの膝の上に伸びた。潤んだ瞳に間近に捉えられ、キルケは思わず目を逸らす。
「ドレス、買って下さいな」
どこから出てるんだ、と疑ってしまうような甘い声がエイレンの唇から漏れる。
その心は、わたくし興味の無いものには銅貨1枚たりとも出したくないのよ、であった―――




