5.お嬢様はおねだりをする(1)
宴の楽しげなざわめきが、灯りを落とした客間にまで伝わっている。キルケはそれをベッドにうつ伏せになって聞いた。柔らかな羽根布団が彼の傷付いた心をわずかに慰めてくれる。
吟遊詩人という職業は、後腐れのない恋の相手としてそこそこモテる。おかげでキルケは女性に不自由したこともさほど苦労したこともなく、標準以上の青春を謳歌してきたのだ。
それが、たかだか18やそこらの小娘に負けるとは。
婚約パーティでエイレンから贈られた指輪の返礼は、ハタ目には赤面するほど熱烈なキスとしか映らなかっただろうがその実は、格闘技以外の何物でもなかった。
するりと入り込んできた彼女のやや長めな舌は彼の舌を絡め取り翻弄しただけでなく、口内を余すところなく攻めてきた……それも感じるところを特に執拗に。
「ほほほほほ(高笑)満座の中、失神して赤っ恥かくがいいわ」
暖炉の火を受けて金色に煌めく彼女の瞳はそう告げており、心の底からムカッときた彼は反撃を試みた。が、歯で巧みにブロックされ一矢も報いることができなかったのだ。
なんとか腰砕け寸前で攻撃を逃れたものの、彼の男としてのプライドはズタボロである。
(普通は少しは人目を気にするとか恥じらうとかあるだろうが!)
そういえばまだ駆け出しだった頃、その気がありそうだと思った女にキスしようとしてビンタを喰らったことがあった。その時も傷付いたものだが、今よりはマシだった。
ビンタの方が、まだ気持ちが籠もっている分だけ。
その気が全く無いのにあんなことをするなんてヒドすぎる、と思うと涙が出てきそうだ。
「大丈夫?」
客間の入口からエイレンの声が聞こえ、キルケはふて腐れて背を向けた。
「……もしかして本当に失神してしまったのかしら」
「んなワケあるかいっ」
エイレンは彼の側にスッと腰を下ろし、そうよね、と親しげな笑みを浮かべた。
「せっかく手加減して差し上げたのだものね」
別にキルケのためではなく、寸前でストッパーがかかったせいではあったが。
(よくもあんな石など選んでくれたものだわ)
吟遊詩人は普段の陽気さからは想像もつかないような暗い眼差しをエイレンに向けた。
「あんた何しに来たんだ」
「あら聞かなくても分かっているでしょうに」
情けない男の姿を鑑賞しに来たのだ。
「その意気消沈したご様子をしっかり記憶に焼き付けておきたくて」
ガバッと起き上がる吟遊詩人。
「何言ってるんだ。私は元気だぞ?!何のことだかサッパリ分からんなぁっ」
「あらそう」
では戻りましょうか、とエイレンは手を差し伸べた。キルケが恐い物でも見たような顔をする。
「なんだその手は」
「あら。エスコートして下さるんでしょう?」
「そ、そうだなっもちろん当然だっ」
いかにも仲が良いカップルのように寄り添い、宴の席に戻る2人。
賑やかで笑顔にあふれた温かい集いは、尽きることを知らないかのようだ。そんな中でエイレンの呟いたひと言は、キルケを再び密かな恐怖に陥れたのだった。
「第2ラウンドはやはりお開きで、かしらね」
※※※※※
一方同じ頃、聖王国の精霊魔術師の館では―――
「ねえ、あなたなんで今日も来てるの?」
アリーファが神様に白い目を向けていた。
「それはだな、今日は良い鶏が手に入ったからだ」
神殿の祭壇から、である。ハンスさんは嬉しそうにホレホレ、と羽根をむしられ首を落とされたご遺体を見せびらかした。アリーファが悲鳴を上げる。
「ん?どうした美味そうだろ?狼ママさんも喜んでくれたんだぞ」
どうやら先に一羽、先日出産を済ませたばかりの狼に持っていったらしい。つくづく小まめな神様である。
「今夜のメニューは丸鶏のスープな」
ほくほくと準備にとりかかるハンスさん。
中に野菜を詰めた鶏をドボンと水に沈め、続いて塩、ワイン、ローリエ……と手際よく鍋に放り込む。アリーファが声を上げた。
「あっそのワインとローリエは!」
患者が出た時の薬として師匠がとっていた分。神殿印の1級品ワインはもちろんそうそう手に入るものではないし、ローリエだってこの辺では育たないのだ。
神様はきょとんとして精霊魔術師の弟子を見た。
「怒られるのか?」
「まさか」
師匠が怒ったところなど、見たことも聞いたこともない。
「なら無問題!」
白い歯を光らせて片目をつぶってみせるハンスさん。
「でもそうだなー1回くらい怒らせてみたいな」
普段穏やかなヤツって怒ると恐そうだもんな。どんな怪物が顔を出すのかな。
ワクワクと想像を巡らしている神様に、アリーファは思った。
さすがはエイレンの『お兄ちゃま』だ、と。




