3.お嬢様はのんびりと1日を過ごす(3)
昼食後。エイレンはベッドに横たわって軽く目を瞑っていた。具合が悪いのでも、眠いのでもない。
せっかく旅に出たからには、ゆっくりのんびりダラダラ過ごそうと決意しているのである。
羽根布団の軽く柔らかな肌触り。ステンドグラスのはまった窓からは、少し傾きかけた日差しが差し込み色とりどりの影を落とす。
居間の方では、ベスちゃんがお祖母ちゃんに遊んでもらっているらしい。たまに小さく聞こえる笑い声が、室内のしんとした静けさを引き立てる。
実に穏やかな午後である。
こうした雰囲気を五感で味わうことこそが精霊魔術の力の勘所となるのよ、とエイレンは己に言い聞かせた。
そう、せめてあと……15分。いえ、初心者には10分程度でじゅうぶんよ……いえやっぱり5分ね。
「いきなり無理をするのはストレスの元ね」
呟いてゴソゴソと起き上がる。きっと3分は頑張ったはずだ。最後の方、うっかり数を数えることばかりに集中してしまっていたけれど。
(わたくし今、人生で2番目にダラダラしたわ)
1番は初仕事の折である。あの時は張り込みという目的と暇つぶしの提供があったから、安心してダラダラできたのだが……それもクセになりそう、と思った途端になんだか恐くなってやめてしまった。
今思えばもったいないことをしたものだ。
(あの時にクセになっておけば、今頃ダラダラするくらい簡単にできていたのではないかしら)
いや、やはりだめだ。そう考えただけで恐い。
今日は3分できたことにして、明日から10秒ずつ伸ばしていけばどうかしら……いえ5秒ずつ。
「いえ」
人間いつ死ぬか分からないというのに、1分1秒無駄にできるものではない。有意義にダラダラできない時にまでダラダラしようとするのは無意味ではないだろうか。
(有意義にできる時だけ、ダラダラ過ごすことにしよう)
そう考えると気が楽になった。
ベッドから降り衣服の乱れを整える。若奥様が結婚前に着ていたというブラウスやスカートが己に似合うとはあまり思えなかったが、そこでどうしてもイヤ、というほど着る物に関心はない。
エプロンをしてキッチンを覗くと、ちょうど若奥様とアリスちゃんが和やかにお喋りしながら料理中であった。今夜は親戚も呼んで客人の歓迎パーティーを開く、と張り切っているのだ。
「やはりわたくしも手伝うわ」
「いいのよ」
お客様にそんなこと、と若奥様。
「少しは役に立てるつもりよ」
「ダメですよ。びっくりさせたいんだから、ねえ?」
アリスちゃんと若奥様が顔を見合わせてクスクス笑った。仲の良い姉妹みたいだ。
もうじき親戚の娘も手伝いに来るから心配ない、と追い出され、エイレンは村を見て回ることにした。最も気になる場所は学校だ。
聖王国には学校がなかった。学びたい者はそれぞれに教師を雇ったり学者の元に弟子入りするのが普通であり、庶民の中では読み書きができる者の方が少なかった。
学ぶ意欲がある者もそれほどいない。川原で娼婦たちと暮らしていた時にもエイレンは彼女らに読み書きを教えようとしたが、それを受け入れたのはエルとクーの姉妹だけだった。
広場まできてエイレンは周囲を見回した。学校とは人の集まる場所にあるのだろうと漠然と思っていたが、辺りにそれらしい建物はない。
「この辺りに学校はあるかしら」
井戸に水を汲みに来た少年に尋ねると、彼は首をかしげた。
「学校?」
「人が集まって学ぶ場所よ」
ああ手習い所、と少年。
「それなら僕の家よりもっと向こうだよ」
案内するよ、と歩き出した彼の隣にエイレンは並んだ。
「あなたも手習い所に行っているの」
「うん。家の手伝いをしなくていい時とかね。あと雨の日」
どうやら手習い所とは手が空いた時に気軽に寄れる類いの場所であるらしい。想像していた学校と少し違うが、それは村の事情というものだろうか。
エイレンは彼に、かつて娼婦たちから散々聞かれた質問を投げてみる。
「どうして勉強しているの?」
彼女らに対しエイレンは、知っていると便利よ、としか答えられなかった。この少年なら何と言うのだろう―――皆がやっているから?
「僕は船乗りになるんだよ」
少し胸を張り、エイレンを見上げるその瞳はイキイキと意志に満ちている。
「どうして?」
「商人よりそっちの方が楽しそうだから!」
彼の予定では、13歳になったら村を離れて皇都の海軍学校に入学するのだという。
「授業料がタダだし、見習い兵になったら手当も出るんだ。皆より早く稼げるよ」
なかなかちゃっかりした子だ。しかしエイレンはそれよりも、少年が自身の将来を語ることに驚いていた。
これが自由というものだろうか?
家の前までくると少年は足を止め、あっち、とやや遠方に見える建物を指した。
「ありがとう」
礼を言うエイレンに少年は手を振り、家の中へと軽やかな足取りで入っていった。




