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3.お嬢様はのんびりと1日を過ごす(2)

『青き花咲く野の乙女よ……』


輝くような空に歌が吸い込まれていく。キルケは村の広場で声の調整をしていた。子供たちが歓声をあげて走り回り、水汲みに来た村人が足を止めて少しの間、歌声に耳を傾けてはまた帰っていく。


この歌をイケメン君(カロス)に教えたのは、聖王国へ向かう船の中だった。彼は毎日のようにそれを歌えとせがみ、最後には一緒に歌うようになった。


当時のキルケにとって、それはちょっとばかり気に障ることだった。人に対して劣等感など抱いたことのなさそうな爽やかさで、無邪気に領域(テリトリー)に踏み入ってくるのにイラついたのだ。


素人の喉自慢のくせに拍手もらってんじゃねーよ。


けっこう良い声だったのが尚更、気に障る要因だったのだが、今ではその苛立ちも含めて懐かしい。


あいつ、今でもその辺で一緒に歌っていそうだな。ついでにエイレン(惚れた女)のメチャクチャな本性を見て、魂が四散するほどショック受けてたりしてな。


そう思うとついニヤッとしてしまう。


「ホントノートー様」


黒褐色の髪をお下げにした、まだ幼さの残る顔立ちの少女がやってきて、キルケに声を掛けた。村長の家のメイド、アリスちゃん13歳だ。


「昼食はこちらにお持ちしましょうか?それとも館で?」


「館でいただくよ、ありがとう」


「いいえ」


少女の顔がぱっと明るくなった。


「ホントノートー様がいらっしゃると、皆が喜びます」


「そう言ってもらえると嬉しいな」


キルケは笑顔で重要な部分を続けた。


「ついでに、昨日と同じにキルケさんと呼んでもらえるともっと嬉しい」


「そ、そんな……」


アリスちゃんの頬がほんのり赤くなる。いやスマンが君を口説くとしたら少なくとももう5、6年後だよ。


「貴族ご出身の方を気安く呼んだりできません」


「そうか」


残念だ。


そう、キルケは今朝からお貴族様ご出身にされていた。妖女エイレンの思い付きによって。


……いやきっと彼女は、冬山並みに凍り付く朝の食卓を救おうとしただけなんだろう。


何しろ空気を読まない幼女ベスちゃんの言動は破壊的だったのだ。


「ほんとのおとぉたま、あい」


と物凄く可愛らしくパンを渡してくれたり。


「ほんとのおとぉたま、だっこ」


と膝にちょこんと座ってきたり。


「ほんとのおとぉたま、あとであちょぼおねえ」


とお誘い下さったり。


「ベスちゃん、どうして急に本当のお父様なんて言うようになったんだい?」


村長がやっと大人たちの沈黙を破ってくれたのだが。


「だって、おうたのおにいたまは、ほんとのおとぉたまなの」


「そうか。ベスちゃんはお歌のお兄さんが大好きなんだね」


「うん!ほんとのおとぉたまだいちゅき」


再び沈黙に支配される大人達。


「あの」


エイレンが口を開いたのはそんな時だった。


「本当のお父様、ではなくホントノートー様ですわ」


「なんと!貴族様でいらっしゃったか」


帝国でも聖王国でも、もともと姓があるのは貴族と決まっていた。ちなみに帝国では庶民でも姓をつけられる。金を出して買えば、であるが。


「ええ。この方は実はホントノートー家の三男様なのですわ。ちょっと色々な経緯がございまして、今ではこうして吟遊詩人をしておりますの」


私がそうお呼びしたのをたまたまベスちゃんが……平然と嘘をつく口角がキュッと釣り上がっている。きっとこの女、腹の中では大爆笑しているに違いないぜ。


「そ、それではあなたは……よほどこの方を愛しておられるのね。あなたも貴族のご出身なんでしょう」


一緒に旅をなさるなんて妻の(かがみ)だわ、と村長の奥様。


「そんな妻だなんて」


エイレンはわざとらしい程に恥ずかし気な表情を作る。


「わたくしはただの追っかけ……もと使用人ですわ」


「まぁぁ」


「わたくしの方はいつでも、と覚悟しておりますのに、ホントノートー様は冷たくて」


「まぁぁ。気を落とさないでね。貴女はじゅうぶん魅力的よ」


今はまだ気付いてもらえなくてもそのうちきっと分かって下さるわ、と若奥様。


「ですから、もし寝袋などありましたら今晩は貸していただけると有難いのですけれど」


「あら。そんなもったいない。いい機会じゃないの!強気でいけばきっと押せるわよ」


何をけしかけてるんだ若奥様。


「いえ、そんな」


エイレンはほっそりとした両手を頰に添えてうつむいた。


「は、恥ずかしいっ」


「そんなこと言ってたらダメよ、女はファイトよ!案外ね、男はそういうのを待ってるものなのよ」


うぉっほん。村長が咳払いをし、息子が苦笑いする。


「そういう話はまた後でしようか」


「では、そうね。寝袋はないけれど、後でもう1組布団を入れておきましょう」


奥様がふんわりとまとめて話は終わった。


キルケは考える。


多分、今晩床で寝ることになるのは私の方なんだろうな―――


「アリスちゃん、ホントノートー様。奥様がそろそろお昼にしましょうと」


呼びにきたエイレンは、若奥様の手によって帝国北部のお嬢さん風に変身させされていた。


刺繍の入った絹のブラウスに短いチョッキ、ふんわり広がるくるぶしまでの長さのスカート、その上からブラウスと同じく刺繍のあるエプロン。


きっと村長宅の面々にとって、エイレンはこういうファッションの似合う気立ての良い娘に見えているのだろう。


あの性格の悪さを知っているのはこの中でキルケただ1人だ。


そのことに妙な満足感を覚えながら、彼は楽しそうにお喋りしながら歩き始めた娘たちの後を追った。

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