3.お嬢様はのんびりと1日を過ごす(1)
胸にのっかる重みと、スウスウという安らかな寝息にまず思ったのは、寝相悪いなコイツ、ということだった。
(ちょい待て)
誰が寝相悪いんだって?
昨夜の続きだとすればそれは……偶然、枕にしてしまったエイレンの胸の柔らかさを不意に思い出し、キルケは慌てて目を開けた。
本当は起き上がりたかったが、全身が石のように重く硬直して動けない……妖女め金縛りまで使うのか。
このまま襲われたらどうしよう、と心配になる。
「あらあら。イイコトしといてタダで逃げようってそうはいかないわよ」と高笑いでもしつつ一生コキ使われそうだ。
たった1度の過ちで、とかうっかり言ったらおしまいだ。ごめんなさいもうしません、と泣いて謝るまで踏みつけられた挙げ句に「泣き顔がカワイイからもっといじめちゃおうかしら」と極上の笑顔で……やめとこう。
つい止まらなくなりかけた妄想を頭を振って消し、現実問題を考えることにする。とりあえず、上から退いてもらわないことには―――
ううん、と彼女が寝言を言った。意外にも幼い声だ。
「おとぉたまぁ……」
……へ?
自分の勘違いに気付き、頬が熱くなる。彼女は村長の孫娘のベスちゃんだ……2歳半の幼児は意外と重かった。
「あなたいくら来る者拒まずでもそれはマズいんでなくて」
エイレンがタイミング悪く客間を覗いた。
「幼女相手に赤面だなんて」
「いや、違うから助けてくれ。動けないんだ」
「寝返りが打てなくて血の巡りが悪くなったのね」
羽根布団は柔らか過ぎるから。
まずは手をグーパーして、それができたら肘を曲げ伸ばし、脚も同様に足先から少しずつ……
ベスちゃんを抱っこしつつエイレンは丁寧に指導する。
やっと起き上がれたキルケは、ありがとよ、と礼を言った。
「あんた思ったより親切なんだな」
妖女とか誤解して悪かったぜ。
「気にしなくていいのよ」
エイレンは微笑んだ。
「だってベスちゃんをそこに突っ込んだのわたくしだもの」
「なんでまた」
それはこういうワケであった―――
日の出前に起き出し、自主訓練や洗濯など普段通りのメニューをこなそうとしたエイレンと、たまたま目を覚ましてうろついていたベスちゃんは当然のことながら鉢合わせた。
まだ暗いからもう少し寝てなさい、と言ったのだがベスちゃんは「おねえたまといっちょ」と可愛らしくダダをこね、面倒くさ、ではなく困り果てたエイレンは、こう提案した。
「ではあなたの本当のお父様とネンネしましょう」
「ほんとの?」
「あなたの本当のお父様はね、実は歌のお兄さんなのよ」
「おうたのおにいたま?」
「そう。あの人があなたの本当のお父様よ」
「やったぁ」
覚えたばかりのジャンプを繰り返してバンザイするベスちゃん。
「おうたのおにいたま、かっこいいねえ!」
「本当のお父様で良かったわね」
「うんよかった!」
「では、本当のお父様と一緒にネンネしましょうか」
「あーい」
―――そして極めて平和的に、上機嫌なベスちゃんはキルケの胸を枕にご就寝と相成ったのである。
「な、なんて誤解をいたいけな幼児に植え付けるんだあんた」
キルケは顔を両手で覆って呻いた。
彼の髪は帝国人に多い茶色であった。瞳もまた、帝国では一般的な淡い青。
そしてベスちゃんもまた同じく。
このまま笑顔で「おとぉたま」とでも呼ばれた日には家庭内争議を招きかねないではないか。
「私の日頃の努力を簡単に踏みにじるなよ」
「あら何の努力」
「どんな魅力的なのに言い寄られても既婚女性には手を出さないことに決めてるんだ」
「婚約者持ちは」
「気遣いの対象外だ」
同情の余地なしね、とエイレン。
ぅうん、とベスちゃんが目を覚ました。小さな両手で目をこすりながら尋ねる。
「おとぉたまは?」
「起きて居間にいらっしゃると思うわ」
「ちょっか」
まともなやりとりにキルケがほっとしたのも束の間。
「ほんとのおとぉたま、あちょぼ」
するりとエイレンの腕から抜けたベスちゃんは、満面の笑みでたたたっと彼の元に駆け寄り、その脚にひしと抱き付いたのだった。




