2.お嬢様は村にお泊まりをする(2)
村に着いたのは、月が昇ってしばらく経った頃だった。野との境は木の塀で閉ざされ、入り口のかがり火に当たりながら2人の若者が談笑している。
「さっきの雷には驚いたな」
「おぅ、俺本気で恐かったわ。こっちに落ちたらどうしようかと」
「野の方には落ちたんだぜ。飛び火しなくて良かったよなぁ」
すまんそれはこちらのお姫様の仕業だ、と心の中でキルケは詫びた。
「旅の人ですか?」
若者がキルケとエイレンに気付き、礼儀正しく挨拶をした。背負ったリュートに気付いた1人が笑顔を見せる。
「吟遊詩人さんとは嬉しいな。ぜひ2~3泊して下さいよ」
そう請われると弱い。しかしその数日でエイレンが何かしでかさないとも限らない、と思い直す。
「悪いが」
先を急ぐんだ、と言いかけたキルケをエイレンは涼しい顔で遮った。
「数日なら構わないわ。わたくしここに来たのは初めてで、知りたいことがたくさんあるの。宿はあるのかしら?」
「ありませんが、村長宅なら客人は大歓迎のはずですよ。そこの坂をちょっと登った所ですから」
「分かったわ、ありがとう」
礼儀正しい若者に合わせるかのようにエイレンもまた、完璧な微笑みをその白い顔にのせる。「花のよう」と、熱に浮かされたカロスの言葉がキルケの脳裏にふと蘇った。
「お、俺も質問ならいつでも大歓迎です。お聞きになりたいことは、なんでもどうぞ!」
もう1人の若者がほんのりと頰を染めつつ自己アピール……よくやるぜ。
この女の本性を知らないからだ、と今日1日で散々な目に遭わされた彼は、心の中でそう呟いた。
対するエイレンは、さして関わりのない者にはあくまで愛想が良いらしい。
「まぁご親切にどうも」
若者たちを一瞬で騙くらかした微笑みを続行したまま、軽く手を振ってさっさと村に入っていく。
後に続いたキルケは、村の佇まいに思わず息を詰まらせた。皇都周辺の村はどこも、そして夜目にはなおさら、似ているのだ。
黒々と静まり返った畑、点々と散らばる赤レンガの家と家畜小屋。
家々の閉ざされた扉からはわずかに灯が漏れ、家畜小屋からは時折、寝ぼけたらしい牛や鶏の鳴き声がぼんやりと聞こえる。
懐かしさが胸からあふれ、キルケの目を潤ませた。
帝国を出る前、彼はこうした村々を巡り、夕に広間で歌って畑仕事から戻る人々の足を引き留め、夜には暖炉の側で子供たちにねだられるままに英雄の武勲歌を語り聞かせていたのだ。
そうした彼の感傷に気付かぬ振りをしてエイレンは月に照らされた村を眺める。
聖王国の家は木造か石造りが主だったため、レンガの家はそれだけで目を引くものだった。家畜小屋がそれぞれの家の側にあるのも珍しい。
「村なのに、道がずいぶん広いのね」
「荷車がすれ違えるようにだな」
聖王国の村では、荷車はあって数台。家畜同様に共有財産なのだ。比べて帝国の方がやはり豊かだということだろう。
村のほぼ中央に井戸のある広場があった。ちょっとした空き地、といった大きさだ。そこから道は二手に分かれ、右が緩やかな上り坂になっている。
若者たちに教えられた通りに坂を上ると、頂上に大きめの建物が見えた。
「どうして権力者って上の方に住みたがるのかしらね」
「その理由はあんたもよく知ってるだろ」
おお、扉が鉄枠だ。さすが村長宅、と口笛を吹くと、キルケはそのドアを叩いて声を上げた。
「夜分にすみません、私たちは旅の者です」
しばらくしてドアが細めに開く。
「私たちは皇都へ向かって旅の途中なのですが、今夜は日も暮れてしまいました。一夜の宿を貸していただけないでしょうか」
慣れた様子で交渉に入るキルケ。
「主人に聞いて参ります」
まだやや幼さの残る少女の高い声がそれに応え、ドアが閉まった。
「この村の人は言葉遣いが良いわね」
「学校のおかげだな」
「学校」
エイレンの瞳がギラリと光る。
「こんな村にまであるの」
「公的機関としての学校は大きな街だけだが、その影響かな。村では有識者がボランティアで教えることが多いんだ」
ドアが再び大きく開く。
「どうぞ。主人も奥様も歓迎しております」
「どーじょ」
少女のスカートの陰から2、3歳の女の子が顔を出して案内を真似し、場は一気に和やかな雰囲気に包まれた。
少女と女の子の後について家に入りながらキルケはエイレンにそっと尋ねる。
「あんた子供好きなタイプか?」
「他人の子に社会の礼儀を教え込んではいけないことくらい、わきまえているわ」
やっぱりな。
奥の間では4人の男女が暖炉を囲んでいた。40歳代半ば頃の2人が村長夫妻、年若い方が息子夫妻といったところだろうか。
女の子が少女の陰から走り出て、母親らしき若い女性の膝によじ登った。
「お客たまよ」
大人達が立ち上がって挨拶しようとするのを、キルケは手で制した。そのまま大袈裟な身振りで挨拶をする。
「お集まりの皆様、今宵はこの素晴らしき館へのお招きを誠に有難う存じます。
拝見すればなんとまぁ、ご立派なご主人方に美しき奥様方。そして可愛らしいお嬢様方。皆々様との出会いへの感謝としまして、まずは1曲」
リュートを掻き鳴らし彼は歌い始めた。
『青き花咲く野の乙女よ、そなたは美しき風の精
その優しい口づけを、さあ私の頰におくれ
何処に在りても私の心がそなたと共にいられるように……』
村長の館では、その晩遅くまで吟遊詩人の歌声が響いていた。




