2.お嬢様は村にお泊まりをする(1)
夕陽があかあかと野を染めて落ちていき、空の境界にわずかな光を残す頃。遠くで聞こえる晩鐘にエイレンは耳を澄ませた。
「街が近いというのは本当のようね」
「ああ。だがこの鐘は村の方かな」
街に着く前に1つ、小さな村があるはずだった。
「近いぞ。あと2時間程だろう」
では明かりが必要ね、とエイレンは言って詠唱を始める。もう何も言うまい、と耳を塞いで準備するキルケ。
しばらくすると、数十歩先に雷が3発落ち、草に火がついた。火は巫女が呼んだらしい風にあおられて燃え広がる。
「枯草が多いとよく燃えるものね」
と、エイレンは満足そうだ。
「あんた他国だからって遠慮なく神魔法使っているんじゃないだろうな」
「他国だから、というより広いからよ」
聖王国では思い切り神魔法を使える場所や機会など、軍事サバイバル訓練の折にしかなかった。夏は海上で、冬は国境付近の高原で、訓練と称しつつその威力を示すためだけに使うのだ。それと比べれば。
「力が実用化できるって素晴らしいわ」
「えーとエイレンさんや」
「なにかしら」
「どうやってここを歩けと?」
「こうやって」
挫いていない方の足でぐりぐりと火を踏み消しながら、である。いやそれは常人には無理がある。熱いし。
「あんたの皮膚はどうなってるんだ」
「慣れれば大したことないわよ。靴は何のために履くものだと思っているの」
「少なくとも火の中を歩くためじゃないだろうよ」
ヤワね、とエイレンは呟き、もう1度詠唱を始める。大地がドクドクと音を立てはじめ、やがて。
「どきなさい!」
鋭い警告とともに、物凄い勢いで水が地面を吹き飛ばした。
「死ぬかと思った……」
「当たっていたら骨は砕けたでしょうね」
水は野のあちこちから噴き出し、いったん広がった炎を消す。後に残ったのは、静かにくすぶる熾火だけだ。
「ほら、ちょうど良くなったでしょう」
確かにその通りだ。だが何か突っ込みたい。いちいち大袈裟だなとか何とか……と考えていたキルケの前を、スタスタ歩いていたはずのエイレンの姿が急に見えなくなった。
「大丈夫か?足が痛むのか?」
足元から崩れるように倒れたのを助け起こす。
「なんでもないわ。ただ、少し神力を使いすぎたようね」
そういえば帝国に着いてから、エイレンは大技を使い続けているのだ。
「わたくしも大したことはないわね」
「いやじゅうぶんだろ」
いいえ、とキッパリした返事。
「この程度では1師団を壊滅させられない」
そういえば聖王国で『一の巫女』の実力をリサーチしていた時、そんなのも出てきたような記憶がある。過大広告だと思っていたのだが。
「あれは本気だったのか」
「もちろんよ」
キルケの手を借りずエイレンは立ち上がった。
「前言撤回。まだまだいけるわ」
一体何にそこまで闘志を燃やしているのか、どうやら限界を試さずにいられない性分らしい。
しかし無理を続けた足はすでに引きずるような歩みになっている。
「やめとけ」
ひょい、とエイレンを抱えようとしてキルケはよろめき、呻いた。
「腰っ……忘れてた……」
「まぁお気の毒」
明らかに哀れんでいる眼差しが痛い。
「女性は皆軽いものだと思い込んでいるからよ」
「いやぁ軽かったさ。腰さえ痛まなければなぁ」
エイレンは見た目よりかなり筋肉質だった。でも重いだなどとそんなことは、イケメン君ほどでなくてもそれなりにファンもいる身としては言えないのだ。
エイレンの瞳に面白がるような色が差す。
「そう残念ね。腰が傷んでいなければね」
「そうそう」
「蹴っ飛ばして差し上げるところだったのに」
「そっちかい!」
「足は平気なのよ。歩いて治すわ」
そんな治療法初めて聞いた。だがエイレンは引きずるような歩みを改めている。意地でも自力で歩き通すつもりらしかった。
「村からは馬車が出るから安心しろ」
帝国では村と大きな街の間を乗合馬車がつないでいることが多い。
次に行くような小さな村では、1日1往復程度だが、運賃はさほど高くないはずだった。道中に歌う代わりにタダ乗りさせてもらったこともあった。
エイレンは少し考え込む。
「そのニュアンスでいえば、荷物の代わりに人が乗るということかしら」
「正解」
そういえば聖王国では馬車といえば荷馬車だった。
「騎乗の方が早いではないの」
「車だと大勢乗れるだろ」
「荷物の代わりに運ばれるなんて気持ち悪いわね」
「何となくそう言うと思ったよ」
だが馬車も慣れるとけっこう楽しいぞ、とキルケは軽く嘘をつく。馬車の乗り心地は実のところ、最悪なのだ。舌を噛みそうな程に揺れ、馬車酔いする者も大勢いる。
最新式は鉄製の大型車輪が使われるようになるなどの工夫が徐々に加えられてはいるものの、おそらくそれほどは変わらないだろう、というのが正直なところである。
「では楽しくなければ降りればいいわけね」
「まぁ……そうだな」
冗談じゃない。そんなことになったら、街まで行くのに丸1日かかってしまうではないか。帝国はとにかく広大なのだ。
明日は馬車の中でどうやってこのお姫様を楽しませよう、とキルケは密かに計画を練り始めた。




