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1.お嬢様は帝国に着く(3)

エイレンが派手につけてくれた目印のおかげで、森の中の移動は考えられないほどにスムーズだった。だがしかし。


「おい、なにか喋ってくれ」


長い沈黙に音をあげてキルケが言う。何事も起こらず、ただお互いに怪我の痛みに耐えるだけの移動とあって、2人ともが無口になっていた。


「あなたが歌えばいいでしょう、吟遊詩人さん」


「いやだね」


他のことをしながら歌うのは、ポリシーに反するのだ。


「帝国は初めてなんだろう。何か聞きたいことは無いのか」


美味い食べ物とか、流行の店とか。


しかしエイレンの返事は彼の予想の斜め上を行くものだった。


「だったらそちらの役人登用制度と貴族制度について詳しく教えてちょうだい」


なぜ能力主義の登用制度があるのに貴族がまだ生き残っているのかしら、と心底不思議そうである。


初めて来た国で興味があるのがそこか。ずいぶん片寄った娘だ、とキルケは呆れながらも説明を始めた。


「あんたの国の貴族とは成り立ちからして違うんだよ」


聖王国で政治系と呼ばれる貴族は、血統と役職で決まる。年若い子弟は補佐役として学んだ後、親と同じ役職を継ぐのだ。


「帝国の貴族は基本、土地持ちだ。役人登用でも多少の優遇はあるが、奴らは何も無理して政治に関わる必要はないんだ」


領地さえ無事に治めれば十分に優雅な暮らしが約束されているのがスタンダードな帝国貴族のスタイルである。彼らが政治に関わるのは、ステイタスのためか、あるいは経済的に苦しいか、のどちらかだった。


「ということは、帝国貴族って我が国の政治系貴族よりも何もしていないのかしら」


「うーん、それは人によるが、そういうのも居るだろうな」


領地その他の管理は家令にほぼ任せっきり、というやつだ。


「あり得ないわ。そんな人種がなぜ堂々と生息していられるの」


「まぁ国としてもこれ以上貴族を増やすつもりはないだろうが、わざわざ潰さなくても今のところは支障なしってことだろ」


「どこにでも腐った存在はいるものね」


「ま、そんなところだな……カロスともこんな話をしていたのか?」


聞きたいが聞いてはいけない、でもやっぱり聞きたい。好奇心に負けて尋ねると、エイレンはふんっと鼻で笑った。


「あなた吟遊詩人のくせに恋人同士が何話すかも知らないの」


「あんたにとってあいつは恋人にカウントされていたのか?」


「騙し合いを恋と呼ぶのならね」


気の毒なやつだ、とキルケはカロスに同情した。あんたは命落とすほどにとち狂ったが、お姫様の方は冷静なままだぜ。


「そもそも、嘘だと分かっていてなぜ応じた?放っておいてやってくれれば」


つい詰問口調になってしまうのを、無表情に受け止めるエイレン。


「本当にね。わたくしの判断ミスだったわ」


「あいつのことを少しでも愛していたからじゃないのか?」


「残念ながら無いわね」


彼のことを少しでも愛していたならあのバカバカしい自己犠牲精神に酔ったり感動したりできるのかしら、と彼女は考える。


彼の死は、己の軽率な言動の結果としてただ胸を突き刺すだけ。思い返してもあふれるのは、彼を死にまで導いた全てに対する怒りだけだ。


自身も彼も聖王国も、彼を見捨てることを選択した帝国も許せなかった。


抑えようとすればするほど荒れ狂う感情に負けて、このままではいられないと神殿を逃げ出したのだ。でなかったら、国中に雷を落として滅亡寸前にしていたかもしれない。


そこでリクウに出会い、こうした人々が暮らしているなら、単純に滅ぼすことはならないと考え直したのだった―――


リクウのことを思い出すと、カロスの記憶で蘇った荒々しい感情が消えていく。でもこれ以上は危険だわ。


(どうやら落ち着いたらしい)


キルケは自分の不用意なひと言がエイレンの中に引き起こしたブリザードが、なんとか治まった気配を感じてほっとしていた。


ほっとした理由はそれだけでない。この娘を憎まずに済みそうなことにも、だ。


彼女はカロスを愛してはいなかったかもしれないが、その死を冷然と受け止めたワケではないようだ。おそらくは、彼女自身にも説明しがたい様々な感情に突き動かされてエイレンは今、かつてカロスが望んだ通りの場所にいるのだろう。


「見ろよ」


森の出口から太陽が最後の光を投げかけている。あと少しだ。


ここを抜ければ、きっと見渡す限りの夕焼けが彼らを包み込むことだろう。

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