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1.お嬢様は帝国に着く(1)

眼下にきらめく波、のんびり動く漁師の船、岸辺で釣りをする男。やや低い位置の鳥の群れ。それらはすごいスピードで後方へ去り、去ったかと思うとまた現れた。


馬を疾走させるよりもなお速く、空を飛ぶ。キルケは必死にリュートにしがみつきつつ、隣の女を見た。


彼女は悠然と景色を見下ろしている。上空の風は身を切るほどに冷たいが、それをも楽しんでいるかのようだ。


「あんた怖くはないのか」


大声で尋ねたが、声は風に散らされて届かなかったらしい。彼女は笑顔を返して陸を指し、口をゆっくり開く。


も、う、す、こ、し、ね。


腹が立つほどの余裕ぶりに、キルケは確信するほかはなかった ―――やはり彼女が聖王国の『一の巫女』だったのだと。


切り立った崖を超えると、帝国の領土だ。懐かしい煉瓦造りの赤い建物に石畳の広い道、果樹園と畑。


野の色まで聖王国とは違う気がする……帝国の野は既に耕し尽くされていると思っていたが、上空から見るとけっこう余っているものだ。


やがて眼下に森が見えてきた。暗く広大なその森は、皇都が近い証拠ともいえるが、確か。


(まずい!)


この先は帝国最高峰といわれる山脈である。皇都は三方をこの山脈に守られるように位置しているのだ。


空を飛ぶスピードは全く弱まる様子を見せなない。このままだと。


(ぶつかる!)


山の表面が近くなってきた。こうなればもうできることはただ1つ。受け身だけだ。隣をちらりと見ると、女の方も慣れた様子で身体を丸めている。


ぼすん、と意外に柔らかい音を立て2人は山壁にぶつかった。


(冷たっ)


春も半ばだというのに、ここの雪はまだ厚く積もったまま。夏の盛りにゆっくりと解け、麓の村を潤すのだ。


「おい、大丈夫か」


「問題ないわ」


彼女はスカートから雪を払いながら立ち上がり、少し顔をしかめた。


「足をひねったようね」


「見せてみろ」


立ち上がろうとして、こちらもウッと声をあげる。


「腰やられた」


「折れたのかしら」


「いや、思ったより痛かっただけだ」


「ではやはり問題ないわね」


生きているし、ケガは2人合わせて足と腰少々。上出来だわ、と言い切って痛みをものともせずスタスタ歩き出す女をキルケは慌てて引き止めた。


「待てコラ!」


「あら、下山しないの」


「聖王国のなっだらかぁでかつ、ちゃんと道のある山と一緒にすんな。闇雲に下りようとすれば、雪解け頃には遭難死体だぞ」


帝国では山で道に迷ったらまず上を目指す。頂上から全体を見下ろし、下山プランを立てるのだ。


「では登ればいいのね」


「いや専用装備もないまま登るとか無茶だから」


「わたくしは平気だと思うけれど」


「あんたが日頃いくら鍛えてても、無理なもんは無理」


「このままじっとしていてもラチがあかないのではなくて」


「今考えているからちょっと黙ってくれ、えーと」


そういえば、自己紹介も何もなしでいきなり飛ばされたものだから彼女の名前も聞いていない。確か『一の巫女』の名は。


「エイレンさんだったかな」


「いえ、今は偽名を使っているのでそちらで……リャ」


言いかけて彼女は口を閉じ、首を振る。


「考えてみたら、ここまできて偽名の必要はないわね。エイレンで良いわ」


「よし、じゃあエイレンさんよ。ちょっと待っててくれ」


言いかけてふと気付いた。エイレンの耳が赤く染まっていることに。


「寒いのか?」


「平気よ。むしろあなたの方が寒そう。打つ手は見つかりそう?」


「せかすなよ」


とは言ったものの、正直な話が解決策など全く思い付かない。エイレンはしばらく考え、決意したように頷いた。


「やはりこれしかないと思うわ」


「何だ?」


「わたくしの神魔法でもう1度跳ぶ」


「そんなことができるのか」


「ええ……ハンスさんのよりもさらにコントロールできないけれど」


神魔法の力を暴発させて身体を吹き飛ばすだけだから、どこに着くかもわからないし、かなりの確率で死ぬかもしれないわね。


……おいおい、それじゃあただの事故だろ!


平然と説明された内容は突っ込みどころ満載だった。


「いややっぱやめとこう」


「ではほかに方法があるのかしら」


「……無いかな」


「大丈夫よ、安心して」


これほど根拠のない自信に満ちた台詞をキルケは聞いたことがない。


「あなたの命は、わたくしが見逃して差し上げなければ無かったも同然。もう一度わたくしに預けたところで何の問題も無いわ」


「そっちかい!」


話は済んだとばかりに詠唱を始めるエイレン。(いにしえ)の言葉の連なりは、高く囁いたり低くうねったりしつつ、力を持つ音韻となって彼女の周囲に渦巻いていく。


「やめろ!」


慌ててエイレンの腕を掴もうとし、鋭く痺れるような痛みを感じてキルケは手を引っ込めた。


だめだ。もう死ぬかも。でもまだ死にたくない。


「やめてくれ!」


ひたすら叫んでいると、ふっと詠唱が止まった。願いが通じたのだろうか、と思った自分が甘かった、とキルケが悟るのはほんの一瞬後。


エイレンの腕がギュッと彼の身体を捉え、同時に凄まじい爆発音が山々にこだまする。そして、彼らの姿は雪山から消えたのだった。


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