22.お嬢様は旅に出る(3)
『みどりなす優しき山々よ、雲を映す川よ、野に若菜摘む乙女らよ
白き花咲く麗しきふるさとの
風よ空を渡る鳥よ、我が魂を届けておくれ
我が命は尽きるとも……』
海から吹く風が歌声を散らし、負けじと吟遊詩人は腹に力を込めて声を通す。
聖王国は今の世では驚くべきことに、神の加護の未だ厚い国だ。沖が時化で荒れている時も、入江は常に穏やかなのもその証拠。天然の地形もあって、ゴートは大陸でも有数の港と知られている。
しかし今朝の風は少しばかり荒い。神が不機嫌なのだろうか、と彼はこの国の人々の言い方を借りて考えた。
1年前の初夏に彼が帝国から聖王国へ渡ってきた時も、まず降り立ったのはこの港だ。たがその時は2人だった。彼は吟遊詩人として、もう1人は留学生の神官として入国審査をくぐり抜け、共に王都へと旅をしたのだ。
もう1人の方はいわゆるイケメンだった。端正な顔と物腰、誠実そうな眼差しに紳士の言動。彼にとってはできすぎていて気にくわなかったが、女性にはモテるのだろう。
何しろその男に課せられていた任務は、随一の神魔法の使い手である神殿の『一の巫女』を籠絡することだったのだから。彼の方はその後、女を連れて無事に出国できるよう手筈を整える役目だ。
帝国と聖王国の関係は目下のところ平和で、危険の少ない仕事のはずだった。会う度にイケメン君は女のことを話す……最初は淡々としていたそれが、次第に熱を帯びるようになってきても、なかなか思えなかったものだ。
騙されているのは俺たちの方じゃないのか、とは。
しかし女を連れ出す機会はなかなか訪れなかった。時期を待っているのだ、とイケメン君は言っていたが、いつにするつもりだったのだろう。
彼が徐々に疑念を持ち始めた頃、イケメン君は報告に現れなくなった。そして『春の大祭』で神への捧げ物として処刑された……彼らは失敗したのだ。
聖王国の国内に旅人は少ない。移動するとかえって目立ってしまうため、ほとぼりが冷めるまでこの港町には戻れなかった。どうやら安全だと踏んでそろそろと旅をし、再びゴートに着いたのが昨日のこと。
帝国への船が出るまでの間、久々に本業の方で稼ごうと朝から声を調整しているのだ。ちなみにスパイはバイトである。
海風で声が飛びやすいし、リュートの弦も湿って緩みがち。それでも、歌えることは彼にとって喜びなのだ。
年若い女性が1人、近寄ってきて銀貨を彼の膝に置いた。
「『青き花咲く野の乙女』を歌って下さらない」
「すまないが今は喪中なんでね、恋歌はダメなんだ」
彼の故国では喪中に歌えるのは鎮魂歌や悲歌だけだ。ヤツは最後まで友人未満であったが、彼が弔ってやらなければ、ほかの誰が弔えるというのだろう。
「そう、残念ね。あの人がよく歌っていたのだけれど」
女はそう言って、彼の横にストンと腰を下ろした。近い距離から彼の顔を見上げる眼差しは、思わず目をそらしたくなるほど強い。
「ご存じでしょう、カロスのことよ」
「いや、あまり聞かない名前だな。どこのカロスだい?」
出されたイケメン君の名に心臓が縮み上がった。この女は追っ手なのだろうか。
改めて女の姿を確認し、違うな、と思う。染めのない麻のワンピースになめし革のチョッキ。ワンピースはくたびれているが清潔で……
いや、よく見たらひじに穴が空いて、擦りむけた傷が除いている。それに膝のところもなにか引きずったような痕が。どこかで派手にこけたのかな。
女がチッと舌打ちした。
「今年『春の大祭』のオープニングで処刑された、帝国からの留学生のカロスよ。あなたのお知り合いだったのに忘れるなんてつれないわね」
「さぁなぁ……確かにそのカロスさんは知っているが、知り合いじゃあないんでね」
「あら、わたくしそのカロスさんからあなたのところへ行くよう言われていたのよ、キルケさん」
この国で彼の名を知っている者はそうはいない。警戒しつつキルケは口を開く。
「急に言われてもなぁ……カロスさんとやらは何でそんなことを言い出したんだか」
「僕の命で君を自由にしよう、とカロスは娘に言った。君はここから出て僕が君に見せたかった世界を全て見に行くんだ、ともね」
忌々しげに女が語る。
「全く、スパイのくせに大した自己犠牲精神を押し付けてくれたものだわ。大人しくわたくしの言うことを聞いて逃げれば良いものを」
「つまりその娘さんがあんたなのかい?」
ここまで言われてもキルケはまだ半信半疑だ。『一の巫女』がその地位を蹴って自らノコノコ出てくるなど、あり得るだろうか。
彼の問いに直接答えず、女はイライラしたようにつま先で地面をトントン叩いた。
「わたくしはまだ腹を立てているの。コナかけてきたのはそっちのくせに、乗ったフリして泳がせていたからといって何が悪いのかしら」
ああ、やっぱりそういうことか。今さらながらに納得の行く告白である。思えば最初が順調すぎたのだ。
「悪かったと思ったから、あんたここにきたんじゃないのか」
「そんな単純なものではないわ」
女の声は静かだった。
「大体が、たかだか1スパイのくせにこのわたくしに逆らうこと自体が万死に値するのよ。同情の余地など全くないわよね」
どうやら彼女はカロスを泳がせる一方で、無事に逃げられるようにも画策していたようだ。それがおそらくはカロスの妙な意地で失敗……なんか最後の方、あいつやばかったもんな。
経験豊富そうなイケメン君に「ミイラ取りがミイラになる」なんてことは言えなかったが、それに近い危うさを感じてはいたのだ。
「で、あんたがここに来た目的は何だ」
返事によっては、とリュートの持ち手を利き腕に変える。短刀が仕込んであるのだ。
「もちろん、利用させていただくためよ」
女は涼やかに答えた。
「わたくしは帝国へ行きたいの……悪い取引ではないでしょう」
確かに彼女を伴って帰国するメリットは大きい。もし、彼女が本物ならば。
「悪いが俺はあんたを信用していない。あんたがそれだという証拠でもあるのか」
「無いわ。でも、この方に免じて信じていただけると話が早くて助かるわね」
いつの間にか目の前に、金髪に金の瞳、健康そうな小麦色の肌の兄ちゃんが立っている。
「いよっ」
兄ちゃんは気楽な感じで手をあげ、挨拶をした。白い歯がきらーんと光る。
「誰だよ」
「紹介するわ。我が国の神様、ハンスさんよ」
「よっろしくぅ!」
なんで無駄に腕まくりして上腕二頭筋を見せつけるんだろう。
「まぁ、信じられなくても無理はないけれど」
「いや、逆に信じたよ」
あまりにもなさ過ぎて。
「そう?では話が早いわね」
サクサク行ってしまいましょうか、と女が言った。
「船が出るのは4日後だ」
「この方に送ってもらえばすぐよ。若干座標ずれて、若干ケガするかもだけれど」
「任せとけ。ただケガの方は自分で気を付けろよ」
ハンスさんはにっこり、片目をつぶった。
……本当に大丈夫なんだろうか。
いややっぱりやめます、と言う前にに、彼らの身体はふわりと宙に浮き、すごいスピードで飛び始めたのだった。
第一部はここで完了です。
ブクマやポイントつけてくださった方、読んで下さった方どうもありがとうございます。
第二部は帝国編の予定です。引き続き楽しんでいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。




