21.お嬢様は知り合いを訪問する(1)
王都の目抜き通りは『王宮通り』とも呼ばれ、石畳の幅広の道と、その両脇に並ぶこれまた石造りの尊大な建物に象徴される。
これらの建物の1つ1つには、老舗や高級と名が付く店が入っており、装飾に工夫を凝らしたドアを開ければ、そこにはそれぞれにきらびやかな世界が広がっている。
どの店も、主な客は政治系貴族やごく一部の裕福な市民で、一般庶民には敷居が高すぎる場所だ。ちなみに神殿系貴族は顧客といえばそうだが、店の方に出入りすることは滅多にない。
暇な政治系の輩と違い(と神殿系貴族は皆、胸を張って言う)、持ち場から離れるワケにはいかないのだと商人を呼びつける。そして値切る……どう考えても有難い客ではなかった、とエイレンは思い、緊張を新たにした。
そう、彼女は珍しく緊張しているのだ。店に入るだけなら、それがどんな豪華な造りであろうと気になることはない。だがしかし、アリーファの実家訪問となると話は別だった。
仕事ならばひとまずは丁寧に遜っておけば良い。交渉ごとなら、あらゆることを利用しつつ己に有利となる展開を引き出すだけでじゅうぶんだ。だがしかし。
(訪問目的の訪問なんてしたことがあったかしら)
単に『できるなら仲良くしたい』だけの訪問。これまで人と必要以上に馴れ合わず、かつ人の気持ちを踏みにじっても大して気にせず生きてきたエイレンにとっては、難易度の高いミッションである。
最初はアリーファを無理やりにでも連れていくつもりだった。だが、両親のこととなると彼女は頑なに拒む。どんな手口を使っても、だ。
(まぁ、そうよね)
大店で何不自由なく育った娘が、大して不満も漏らさず精霊魔術師の館でそこそこ質素な暮らしに耐えているのだから、その決意のほどは押して測るべし、なのかもしれない。
わたくし1人でもなんとかなるわ、とエイレンは店のドア横の壁にかけられた垂れ幕を見上げた。
『アリーファ流行雑貨店』
生成りではなくきちんと漂白された輝くような白地に、黒々とした飾り文字。親バカを誇示するかのような店名だ。
ステンドグラスの小窓が填め込まれた光沢のある木の扉を開けると、細い金属を連ねたチャイムがシャラシャラと音を立てた。
「いらっしゃいませ」
出迎えた店員はエイレンの姿に眉1つ動かさず、どうぞごゆっくりご覧下さいませ、とソフトな笑顔を向けた。
絹の服を身に纏った客ばかりの中で、染めのない麻のワンピースになめし革のチョッキという庶民なスタイルは悪目立ちだろうに、躾の行き届いた店である。
「ご主人に、リャーシャが参りましたと伝えて下されば分かるわ」
告げると初めて少し怪訝そうに、少々お待ち下さい、と奥へ引っ込んだ。
『リャーシャ』は追っ手の存在を知って以来ここ数日、使い始めた偽名だった。古の言葉で、愛される者、という意味である。
また似合わない名を、と言うと師匠はとぼけた顔で説明した―――どんなに適性が無くてもやがては精霊に愛されるように、という意味ですよ―――
もし他の者がそう言ったなら、心の底からムッとするところだが、おそらく師匠は本気でそう願い、この名を選んだに違いなかった。はるかな昔、弟子に名を与える風習があった頃のように。それを思うと微笑ましくさえある。
店内の客はまばらで、皆、目的のある買い物というよりは品物を見ること自体を楽しんでいるようだ。
店の中央の棚には、縁に色糸で刺繍の施されたハンカチ、色硝子の香水瓶、扇子などが彩りも華やかに飾られている。
壁際には、色とりどりの紙。繊細な透かし象嵌やマーブル模様などそれぞれに美しい。そして、わざわざ装飾が彫り込まれたインク壺。
彫刻部分にインクが染み着けば確実に取れなくなりそうだが、買う人もいるのだろう。年季が入っていくのを楽しむのが流行っているのかもしれない。
そう理解はしていても、数々の瀟洒な品に囲まれるのはなんとなく落ち着かなかった。
あくまでじっくりと物を選ぶふりをしながら徐々に場所を移し、包丁や小型のナイフが揃えられたコーナーに移動する。
庶民が主に使うのは銅製か石から削りだした刃物だが、この店に置いてあるのは、鉄だった。包丁に浮かび上がった見事な刃紋は、帝国の技術だろう。帝国では何もかもがこの国よりも進んでいる、と昔よく聞いたものだ。
さらにその隣の一角を見て、エイレンは内心首をかしげた。そこに置いてあるのは製薬の道具だ。乳鉢と乳棒のセット、薬匙、小型の蒸留器具などは彼女にとっては見慣れた物だが、この店にはそぐわない気がする。
「最近は庭で育てた薬草を楽しみたいというお客様が多いので、取り寄せましたのよ」
穏やかな声に振り向くと、小柄な中年の女性がそこに居た。鳶色の髪と緑の瞳がアリーファによく似ている。落ち着いた物腰は堂々としていて、前に会った時のよく泣く母親とは全く違う印象だ。
「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」
店の女主人は静かに言い、エイレンを奥の部屋へと案内した。




