20.お嬢様は狩りのターゲットにされる(3)
「産後の回復は悪くないようですね」
リクウは白く長い毛を持つ狼のお腹を撫でた。まだ少しぶよっと余った感じがするが、この分だとやがては元に戻るだろう。
「かっわっいっいーはいーヨチヨチ」
「わたくし気になることがあるのだけれど、この仔たちの父親って」
「断じて俺じゃねーぞ」
精霊魔術師と2人の弟子、それになぜか神様のハンスさんも加わって、狼ファミリーの見舞いはなかなか賑やかなものとなった。
母狼が立ち上がってのびをし、洞穴の外に出て行く。
「肉はあるのに狩りでもするのかしら」
ハンスさんは毎日祭壇の肉を届けてやっているらしい。チャラい見た目の割にやることは小まめであった。さすが神様。
「散歩でしょう。息抜きも必要でしょうし」
今はまだ子供たちから目が離せませんからね、とのんびりリクウが言う。
狼の仔は生後15日ほどは目も見えず耳も聞こえないため、その間母親は付ききりになる。
普通なら警戒心が強い狼が人間に仔を任せるなどなさそうだが、里神とも呼ばれる彼女は、信頼できる人間がいることを知っているのだろう。
仔狼を抱き上げて頬ずりせんばかりのアリーファに安心して預けているのだ。
「で、いつ発つか決めましたか」
「まだもう少し。腕に痛みが残っているから」
リクウの問いに、エイレンは仔狼とアリーファに視線を向けたまま答える。
細やかにかけてもらう治癒のまじないのおかげで回復はかなり早いものの、まだ動かすと鈍い痛みがあった。少し前なら、この程度大したことない、と動き出しているところだが今は気が進まない。
名残惜しいとはこういうことを言うのだろうか、と『一の巫女』であった頃に使っていた言葉を思い出す。当時はシチュエーションに合わせて言うべき時に言うべきことを口と表情に乗せていただけだったのだが。
「隠れるなら俺が何とかしてやるぜ」
何も国外に行かなくても、とハンスさんは未練がましげだ。
「もともと行ってみたい場所はあるのよ。大体あなた、このわたくしに逃げ隠れして人生を終われというの」
「いや国王が飽きて忘れるまでだ」
「神様ならその程度、一瞬でして下さらない」
それは難しいな、とハンスさん。
「全国民を健忘症に、ってのなら簡単なんだが」
細かいことは苦手なのだ。
その時、うぉぉーん、という狼の遠吠えが聞こえた。
「なにかあったのかしら」
「様子を見てきます」
「わたくしも」
母狼は水を飲みにでも行っていたのだろうか。足跡が森の中に続いている。リクウが呪文を唱えると、黒く湿った土の上にその足跡だけが点々と白く浮かび上がった。
足跡の先には異様な光景があった。
一羽の鳥が母狼に襲いかかっている。決して大きいとはいえないその鳥は、俊敏な動きで反撃を避けては、執拗に狼を攻撃していた。
「ハイタカだ……」
ハイタカは森での狩りに使われる中型の猛禽類だが、普通は狼のような大型の獣を狙うことはない。産後で弱っているところを狙われたのだろうか。
「精霊魔術で止められないの」
「的が動きすぎて無理ですね」
先々代の頃までは魔物を封じたりと多少は攻撃的なこともしていたらしい精霊魔術だが、時代が変わり今はほとんど日常生活向けに特化されている。
ちなみに神魔法の方は戦闘向けだが、大技すぎて敵味方入り乱れている状態では使えない。
「ということはこれね」
エイレンは石を拾ってハイタカに狙いを定めた。利き腕でない方で当てるのは難しいが、注意を引くことはできるだろう。
ハイタカの足につけられた金のリングは、この鳥が身分の高い者の所有であることを表している。人が居ると分かれば狩りを中止するかもしれない。
しかしエイレンが石を投げるより早く、甲高い音で笛が鳴った。ハイタカが攻撃をやめ、狩人の腕に戻る。
1匹の猟犬を伴ったその狩人は、狼に駆け寄りケガを調べているエイレンとリクウに、深々と頭を下げた。
「失礼しました。借り受けたばかりだったのでチューニング中だったのですが……どうも命令を間違えたようですね。里神様にお詫び申し上げます」
お詫びの印にこれを、とまだ温かいウサギの亡骸を差し出す。
「近く鷹狩りでもあるのですか?」
「いえ」
狩人は首を横に振る。
「狩りといえば狩りですが……相手は人ですよ。こっちの犬は特別に鼻の良い奴でしてね。コイツを使って、しらみつぶしに探していく予定です。で、逃げ出したら鷹を使う」
「まぁご苦労様なこと」
「全く我々にとっては下らない用事ですがね、直々の命令とあっては仕方ない……おっと喋り過ぎました」
男は苦笑し、もう一度深々と頭を下げ、姿を消した。
幸いにも母狼に大したケガは無く、貰ったウサギを満足そうにしっかりと咥えて歩き出す。まだ神様から貰った肉も残っていた筈だが……全部食べるつもりだろうか。
彼女の後について洞穴に戻りながら、エイレンはリクウに尋ねた。
「さっきのどう思われたかしら」
「意外と本格的だな、と」
「わたくしも本気で狩られるとは思っていなかったわ」
明確に名前を言われたワケではなかったが、高貴な身分が極秘に行う人捜しが2件も重なるとは考え辛いのだ。
しかし野ウサギ扱いとは。国王は捜索段階から楽しむつもりらしい。側室の座をドタキャンしたことへの、彼なりの嫌がらせとしか思えない。
(全く、どうしてこうもすることが小さいのかしら。そんな暇があるならその小さなお頭で国家財政のことでも考えれば良いのに)
エイレンは内心毒づき、深くため息をついた。
どうやらあまりゆっくりとはしていられなさそうだ。




