18.お嬢様の前に神様が降臨する(1)
細い絹糸のような雨が、雪柳の小さな花をはらはらと散らす。王宮の広大な庭園の片隅で、ファーレンは苔むした石のベンチに腰掛け、ぼんやりとそれを見ていた。
散歩に出ていてにわか雨に遭ったのだが、雨を避けようという気力が全くわかない。
(このままわたくしも溶けて消えてしまいたい……)
雨が記憶を全部洗い流してくれればいいのに、という気分である。
妹に腕輪を取り上げられてから一昼夜。落ち着いてみれば、ここ数日の自分の言動や心持ちというものが恥ずかしすぎる。
(エイレンならきっと、どんな恥ずかしいことをしても平然と「あらそれが何か?」とか言い切るのに)
何かあれば妹を思い出し自分を励ましてきた。なのに、その妹を腕輪とられたくなさに斬ってしまったのが1番の後悔だ。
きっと相手が姉でなかったら、エイレンは油断しなかっただろう。
(あの子も相当ショックだったでしょうね。気にしていないようなフリはしていたけれど)
そうでなければ、まず「わたくしの勝ちね」などと姉に向かって言うのがあり得ない。
いつの頃からか妹はファーレンを庇護対象として扱っていた。親には「ファーレンに甘い」と 文句を言いながら、彼女自身も相当甘かった。競争意識など欠片もないはずなのだ。
(やっぱり……もう今このまま消えてしまいたい……)
はぁーあ……
深いため息は、急に肩に触れた温かいものに遮られた。
「我が姫君は何を悩んでおられるのだ?」
「国王様」
「ディードだ、ファーレン。風邪をひいてしまうぞ」
国王は上着を脱いでファーレンに着せかけ、侍女に聞いたら1人で散歩に出たというから探したんだ、と子どものような笑顔を見せた。
「国王様のお顔を見たら、悩み事など忘れてしまいましたわ」
マニュアル通りの返事に国王の表情が少し曇る。
「ディードだ。ひどいなお前は。私が出立するのが寂しくないのか?」
「もちろん寂しゅうございますわ、ディード様。今ももういっそこのまま消えてしまえたら、と」
なんとか辻褄を合わせた答えに、ディードは機嫌を直したようだった。
「それは困ったな。お前が消えたら、愛し合えないではないか」
「まぁ国王……ディード様ったらそんな」
ファーレンの頰が赤く染まるのディードは満足げに眺める。
「雨で出立が1日延びた。朝までお前と過ごせるぞ」
「嬉しい……」
ファーレンは国王の頰にキスをした。
心の中でため息をつきながら。
国王のことを愛していても、気持ちの全てを分け合えはしない。彼は愛の夢に酔いにきているだけで、なんなればその対象は自分でなくても良いのだから。
星が見たい、とファーレンは思った。しかしこの空模様では難しいだろう。
「では参りましょう。お約束通り、朝まで離さないで下さいませね」
心を明かせない時にマニュアルは便利だけど、わたくしったらなんて恥ずかしいことを言っているのかしら。
ディードはいっそう満足そうだった。
「もちろんだ。覚悟しておけ」
2人は寄り添って歩く。
「ところでファーレン。そなた妹御には会っているのか?」
「ええ……亡霊でしたら、たまにわたくしを訪うてくれますわ。国王様もお会いに?」
もし聞かれたらヘタに否定せず亡霊と答えよ。神官長からはそう言われている。
「まさか。しかし亡霊とはな。私も会ってみたいものだ」
「いやだ。わたくし、嫉妬してしまいますわよ」
ファーレンはクスクスと笑った。
部屋に戻ると、文机の上に小さな包みが置かれていた。
包みを開くと、あの腕輪が目に飛び込んだ。美しい星の輝きと深い夜空の煌めき。
いくぶんぎこちない字で、簡単なメモが添えられている。
『効能:決断力・胆力up、知力・神力(神魔法の力)若干up。貴女に勇気が必要な時に
呪詛効果:身に付けると離れない ※呪詛は封印済、当面影響なし』
「どうした?」
国王の問いに、ファーレンはなんでもありませんわ、と首を振り、腕輪を丁寧に包み直して引き出しにしまった。




