2.お嬢様は新しい職業につく(2)
字を書くという行為でリクウの頭にまず浮かぶのは、幼い頃に見た師の仕事だ。師の呟く言葉に従って、小さな火花を散らしながら文字が石に刻まれていくのは美しかった。
しかし最近ではそうした依頼はほとんど来なくなっている。代わりに増えたのが紙に書いた文字が長く消えないようにまじないをかけることだ。
増えたといえば仕事についてのやりとりに手紙を使うことも多くなった。数年前まで高級品だった紙は、今の王都では気軽に手に入るものになっている。
こうした技術の進歩が精霊魔術師の仕事を『無くても特に困らない』と言われるまでにしてしまったと思うと複雑だが、それにしても便利な世の中になったものだ。
そんなことを考えながら、リクウは文具店にいた。目抜き通りから1本裏に入った通りの端に最近開いた店で、年若い主が注文に応じて品物を揃えてくれる。
「羊皮紙2枚、特級紙1束、普通紙2束それにインクを下さい」
「重いですがかまいませんか?」
「平気です」
「では銅貨50枚。半銀でも良いです
よ」
財布の中を探った時、指輪を見つけた。紅い小さな石がついた細い金のそれは、少し前に偶然に出会った少女が置いていったものだ。
そういえば銅貨50枚はあの娘が必ず返すと約束した額と同じだが、もう忘れてしまったかもしれないな、と思う。
先日、春の大祭のフィナーレで宮殿と神殿の婚儀は何ら滞りなく行われていた。それも側室となる本人が無事に神殿に帰ったからこそだろう。
(国を出て最強になるとか言っていたが、そうならなくて本当に良かった)
彼女ならまず国境を越える前に悪徳商人にでもだまされそうだし、途中でだまされたことに気付いて、神魔法をぶっ放し周囲に甚大な被害を与えたりもしそうだ。
見送った後もあのまま放っといて良いものか少し悩んだが、彼女自らの意思で側室に戻ったのならそれが最良というものではないか。
金を払って店を出ると、日は既にかなり西の方に傾いていた。急ぎ帰り、ためていた書き物にとりかかろう。
荷物の入った袋を肩に担ぎ、歩き始めた時、リクウの耳に聞くともなしに会話が飛び込んできた。
「その娘がどうやら貴族の娘らしいってんで今評判なんだぜ」
「本人が言ったんじゃないんだろ?」
男達がひそひそと話していた。仕事帰りにどこかに遊びに行く予定であるらしい。リクウは思わず声をかける。
「すみません、その娘さんってまさか、濃茶色の髪と瞳で年の頃17、8くらいの?」
「さぁ?何でもワケありで顔を見せられないとかで、フードをすっぽり被って顔も見えねえし口もきかねえんじゃなぁ」
「それがかえってイイんだそうだ」
「そうですか……」
いやいや、何を心配しているんだ自分。今頃あの娘は国王の側室としてのんびり……かどうかは知らないが、とにかく王宮暮らしをしているはずだ。
「ただ、その肌が赤ん坊みたいに白くて滑らかで、フードからちょこっとのぞく口元に何とも言えない品があるんだとよ」
「へえ。それじゃ、その上品なお口でナニをくわえてくれるわけだな」
どっと笑いが起こった。それじゃあ今日は娼館はやめて川原の方に行ってみるか、と話がまとまりかけている。
「兄さん、あんたも行くかい?」
「遠慮しときますよ。お仲間でどうぞ」
リクウは『人畜無害』と評価されがちな微笑みを作ってみせ、再び帰路を急ぎ出した。
そう、食い詰めて身を売る元お嬢様なんていくらもいるのだ。そんな話を聞いて、すぐにあの娘だと思ってしまう方がどうかしている。