16.お嬢様は失せ物を回収する(3)
精霊はよく『思念を持たないエネルギー体』と表現されることが多いが、事実はほんの少しだけ、違う。
近場で何らかの事件や事故があると精霊たちは『騒ぐ』としかいいようのない反応をし、そのせいでまじないが使いにくくなるのだ。
今夜もまた精霊たちは妙に騒がしく、リクウを不安にさせていた。
神殿からの迎えで弟子が出かけてから既にかなりの時間が経っている。おそらくは後、2~3時間で明け方になるのではないだろうか。
冷静に考えれば、エイレンの場合に心配なのは絶対に「誰かを怪我させてるんじゃないか」ということに違いないのだが、その一方で彼は知っている。
弟子の、色んな意味で多少無茶をしても目的を果たそうとするその性格を。
(どちらにしても気になりますね)
つい考えてしまって、先程から読書がなかなか進まない。成り行きで弟子などとってしまったが、自分もまた未だ修行中の身だとリクウは思っている。
精霊魔術師としての仕事に若干の指導もあってまとまった時間がなかなかとれない今は、ちょっとした間も活用して勉強しなければならない……と、分かってはいる。
分かってはいるが、落ち着かない。
ついにリクウは外套をとって外へ出た。
透輝石の灯が、かすかに湿った土の道に残るのんびりとした馬の蹄跡を照らす。その跡をたどっていくと、春の花の香りに混じってかすかに血の匂いがした。
進むごとに血の匂いは少しずつ濃くなる。まずいな、とリクウは思い、先を急ぐ。しばらくすると静かな馬の蹄の音が聞こえてきた。
エイレンを送ってきたのは神官長の連絡係だという、二十歳そこそこの女性だった。
「お怪我がひどいので神殿に泊まるよう神官長様が引き留めたのですが、どうしても帰るとおっしゃいましたので」
どうやら今回は無茶をした方らしい。
「怪我の具合は」
「右手の肘から手首にかけての裂傷で、筋まで達しています。施しているのは血止めの応急処置のみです。出血が多かったのでかなり体力を失っておられると思われます」
「筋を早めにつないだ方が良いですね。彼女を降ろしていただけますか」
ここでエイレンが初めて口を開いた。腕以外は大丈夫よ、と意外なほど軽やかな動作で馬から飛び降りる。着地する時に少しよろけたが、すぐに姿勢を立て直した。
「ここでけっこうよ。このような時間に、ご苦労お掛けしたわね」
「いえ神官長様のお指図ですから」
「では神官長がご迷惑だったわね。ありがとう」
「では失礼します……お大事になさってください」
連絡係の女性を乗せた馬は、なかなかのスピードで来た道を戻って行った。
エイレンがリクウを見る。
「わざわざ迎えに来て下さったのね」
怪我を負っているというのに機嫌が良い口調だ。
「回収できたんですね」
と応えつつ腕に巻かれた布をほどくと、血止めの薬草を直接貼った傷が目に入った。圧迫がとれたために、薬草の隙間からまた小さく血が噴き出している。
「師匠、そこではなくて手首の方よ」
エイレンは不満げに言ったが、どう考えても今は回収物の確認より治療優先だろう。
口の中で呪文を唱え、手早く筋をつなぎ傷口を止める。
「痛いですか」
「痛いわね」
「それは良かった。また元通り動かせるようになりますよ」
ではとっとと帰りましょう、とリクウはエイレンに背を向けてしゃがんだ。
「早くしてください」
「……それはなに」
「おんぶしますから」
「一人で歩けるわ。大丈夫よ」
出血多量の怪我人のくせに何を言っているんだろうかこの娘は。
「もしかして照れてるんですか?まさかですよね」
「ええもちろん。受けて立つわ」
まるで決闘するような言い方をして、エイレンがリクウの背に身体を預けた。
細身の割にはずっしりと芯のある重みと、花の香りと血の匂い、冷たい肌。
「もう少しリラックスしておいてくれないと歩きづらいんですが」
「無理よ。他人に全てを委ねる感覚が大嫌いだもの」
だよな。
傷に響かないようにゆっくり歩く道々、エイレンは事の次第をかいつまんで話した。
「つまり呪詛自体は大したことなかったと」
「ええ。今はわたくしの方に移しているのだけれど、腕輪が外れない以外に影響はないわ」
「では腕輪自体の持つ特殊な効果といった線でしょうかね」
そうね、とエイレンが言い、そこで会話が途切れた。
館に戻ると、リクウはテキパキと弟子の着替えを用意した。エイレンが着ている夜着は血で汚れ、片袖がなくなっている。
「大変でしょうが一人で着替えられ
ますか?アリーファを起こしましょうか」
「あの子は何があっても起きないわよ。それよりわたくし、ものぐさなあなたがなぜ着替えのある場所を知っているのかが疑問だわ」
フッとリクウが微笑んだ。
「なぜ知らないと思うんですか」
僕はもう寝ますから君も早く休みなさい、と告げてベッドに潜り込む。
今夜はイレギュラーだらけだった。早めに腕輪を調べてみなければならないが、まずはひと眠りしたい。
しかし、リクウの意識がとろとろとした安息の闇に包まれかけた時、もう1つイレギュラーなことが起こった。
エイレンが冷たい身体を彼の隣に滑り込ませてきたのだ。
(ちょっと待て。なにごとだ)
もと神殿の姫は当然のように言う。
「わたくしのベッドでは寒くて眠れないから、失礼だけどこちらで寝かして下さるかしら」
「……」
しばらく逡巡するリクウ。しかしもう眠い。お互いに疲れてもいる。
よし、絶対に大丈夫だ。いろいろと。
「いいですよ。受けて立ちましょう」
答えた時には、エイレンはもう、穏やかな寝息をたてていた。




