1.お嬢様は家出をする(3)★挿し絵付★
つかんでもするりと指を通り抜けて流れ落ちる黄金の髪に慎重に手をあて呪文を唱えると、そこだけが少し熱くなり一瞬の後にくるりと柔らかな渦を巻く濃茶色に変わる。
リクウはあくびを抑えつつ、その単調な作業を繰り返していた。
ほの暗く湿り気を帯びた森はまだ明け方を迎えたばかりである。鳥のさえずりも聞こえないうちからエイレンは起きだし、精霊魔術師に追加の仕事を要求したのだった。
「ほぼ初対面なのに人使いの荒いお嬢様ですね」
髪と瞳の色を変えて、お礼はまとめて(いつになるか分からないけれど)後払いで……との頼みに不機嫌な返答をしたにも関わらず、リクウの仕事ぶりは丁寧だ。
「わたくしは国境を越えたいのよ。でも、ほとぼりがさめるまではしばらく身を潜めていないといけないわ」
いずれ母国を出る。それがエイレンが出した、目下の結論だった。
「それなら気を付けて下さい。このまじないは1ヶ月ほどしか持ちませんから。それから神魔法を使った時も、効果が消えてしまいます」
神魔法と精霊魔術はとにかく相性が悪いのだ。
「1ヶ月もあればじゅうぶんよ」
おそらく『一の巫女』の代理はエイレンの姉がつとめるだろう。そもそも『一の巫女』=側室、という不文律自体が神殿と王宮の見栄であり、本質的により重要なのは血統なのだから。
そして婚姻を目前に『一の巫女』が逃亡した、などという外聞の悪い事実を神殿が大っぴらにできるワケもない。姉が余程の粗相をしない限りはエイレンの捜索など端から行われない可能性すらあった。
「わたくしは国外に出て……最強を極めるわ」
「わぁ頑張って下さいね。僕としては神殿に戻った方が良いと思いますけど」
「イヤなこと言う人ね」
「百人いたら百人ともがそう言いますよきっと」
エイレンの髪が完成した。なかなかの出来だ。
「さて、次は瞳ですね。目を閉じて下さい」
まぶたの上に手を置き、再び呪文を唱える。少女が目を開けた時、その特徴的な蜜の色はすっかり髪と同じ濃茶に染まっていた。
「すっかり印象が変わりましたね。知り合いが見ても気付かれないレベルだと思いますよ」
「なら、これでわたくしも一般庶民ね」
それはその言動を治してからだろう。
思ったが口には出さず、リクウは銅貨を10枚ほど差し出した。
「ついでに持って行きなさい。役に立つでしょう」
「ありがとう」
素直に受け取ってエイレンは小指にはめていた指輪をつっと抜き、リクウの手のひらに載せる。
「全部で銅貨50枚よね。必ずお返しする約束に、これを。売っていただいても大丈夫よ。安物だけれど、わたくしの物と知っている人はもうどこにもいないから」
もう行くわ、と軽く手をあげ少女は森の奥へと歩を進める。その細い背中を見送りながらリクウはふと、この娘の前途を祝福するまじないがあれば良いのに、と思った。
しかし祝福は神魔法の技であり、そして彼女自身はそれを望んでいないようである。
©️伊賀海栗さま
2019/10/09 伊賀海栗さまからいただいた挿し絵貼りました!伊賀海栗さまありがとうございます!