9.お嬢様は初仕事に取り組む(3)
(まだ居る)
アリーファは自室の扉の隙から居間を覗き、舌打ちをした。
あの変な女が居間に住みつき4日目。彼女はアリーファの自室の前にでん、と陣取り動く気配を見せない。
(もういい加減、限界なんだけど!)
実はアリーファは部屋に引きこもっていたワケではない。両親が居ない間にコソコソと居間に出て、色々な用事を済ませていたのだ。
しかし彼女がやってきたせいで、それができなくなった。両親がアリーファのことを彼女に頼んだには違いないが、一体何と言ったのだろう?
以前やってきた神官のようにありきたりな説教をするでも扉を無理にこじ開けようとするのでもなく、彼女はただ悠々と楽しんでいるだけのように見える。
せめて寝ている隙に、と思うのだがいつ見ても起きているのも不思議なところだ。
しかし本当にもう、限界だ。備蓄食料も飲み物も尽きてしまった。かくなる上は、とアリーファは1日、扉の隙間から彼女を見張ることにしたのだった。
人間ならトイレに立ったり眠ったりするはずだ、当然。その間に……と思ったら、その間は抜かりなく母親に交代させていた。しかも短い。眠る時も20分以上連続でも眠らないのだ。
(この女、本当に人間?)
今日1日で何度そう思ったことだろう……しかし、チャンスは訪れた。
彼女はロッキングチェアの上で1つ伸びをすると、気持ち良さそうに居眠りを始めたのだ。
(やっと、やっとトイレに行ける……ッ)
用を足したらすぐに引き返して溜まっていたゴミを捨て、いやそれよりキッチンから食料を調達する方が先かな。
そっとドアを開けて部屋を出、彼女の側を通り過ぎようとして
「あっ……!」
コケた。
アリーファは足元を見て、この女に足払いをかけられたのだと悟る。彼女は澄まして挨拶をした。
「ご機嫌よう」
「んなワケないでしょ!……でもちょっと待ってて!」
「あらどうしたの?」
トイレである。
用を済ませて戻ってくると、彼女は既に部屋に入り込んでいた。かつて知ったる仲のごとく、ちゃっかり椅子に座っている。
「ゴミは出しておいたわ。それからアレも」
「うぅっ、アレ触っちゃったの?」
自分でも触りたくはないが、しかし他人に処理されるのは恥ずかしいアレである。
「当然でしょ、クサいもの……よくあんなのガマンしてたわね」
それは鼻が既にマヒしていたから。しかしそうは言いたくなかったアリーファは、笑って誤魔化すことにした。
「えへ」
「着替えはしていたの?シーツもたまには洗濯している?」
ノミやらダニやら発生すると気持ち悪いわよ、といきなり細かいところにチェックが入った。
「部屋の外に出しておけばメイドがしてくれるから」
「では食事もメイドが?」
「そう」
ここのところドアを開けられなかったのは、この女が四六時中居座ってくれたせいなのだ。
「運動は?」
アリーファは黙って部屋の隅のサンドバッグを指さした。ストレス解消を兼ねた格闘訓練が日課なのだ。今は、即席で描いたこの変な女の似顔が貼り付けられている。
彼女は近寄ってそれをまじまじと眺めた。
「ふうん、上手いものね。あなた才能あるわ……それに、生活も全然困っていないワケよね」
「そう!全くその通りよ!」
母親が扉の外で泣いていようが、父親が開けろと怒鳴ろうが、金持ち令嬢の引きこもりライフはなかなか快適なのだ。
「で、あなたは両親に頼まれたってところよね……でも私は絶対、あの2人と口なんか利かないから!」
「どうぞお好きに」
女は涼しい顔で、叩き売ったケンカをさらりとかわす。
「頼まれたのは本当だけれど、そんな約束はしていないから」
「じゃあ何をするっていうの?」
「あなたの話を聞く。それだけよ」
女は完璧な角度で小首をかしげ、にっこり笑ったのだった。




